岐阜へと向かう道中、熊があることを米満に話し始めた。
「米満、ところで丸山ダムは知っているか?」
熊に聞かれた米満は「勿論です。調べてきましたよ。」と語った。
その答えを聞いた熊は「丸山ダムもなかなかの曰くつきだぞ。丸山ダムにもカメラを仕掛けてオーブ(=霊魂)が映るか、試してみる価値はあるなあ。戦時中に作られたという事もあり、建立するに至って多くの殉職者並びに自殺者が出たとされている。ダムの近くには亡くなられた方々を弔うための慰霊碑がある。慰霊碑を撮影するのはまずいので、ダム付近の広場からダムを見渡せるところまで撮影してみようか?」
熊の提案に米満は「そんなところを撮影したら余計、亡くなられた方々を挑発する行為にも繋がりかねませんか?」と恐る恐る聞くと、熊は「米満、そんなことで怯えていたらこんな仕事なんて務まらんぞ。」と言われるのだった。
熊が休むことなくずっと運転を運転をすること6時間が経過した。
時計はもう17時をまわろうとしていた。
さすがに心配になった米満は熊に「もうそろそろ休憩しましょうよ。あとの多治見までは僕が運転します。朝方には多治見に着くことでしょうし、このまま泊まれるようなところで車の運転を中断して、休むことにしませんか?」と気遣うと、熊は「良いよ。ずっと運転するよって言ったのは俺のほうだからね。多治見に着いたら安いビジネスホテルにでも向かってそこで十分休憩は確保できるから。」と話すとそのまま車の運転を続行した。
そして朝の8時ごろに長崎を出た米満たちが多治見に着いたのは、夜の20時を回っていた。インターチェンジを下りてすぐ近くのコンビニにV60を停車させると、熊は近くのビジネスホテルを探しにGoogleマップ検索で熊が調べてみることにした。
「さすがにインターチェンジ付近じゃあ、愛のホテルしかないじゃないか!駅まで行くにしても駐車代が高くつきそうだな。」
熊が心配そうに財布の中身と相談しながら米満と語ると、米満は「仕方ないでしょう。駅前までわざわざ行くぐらいなら、愛のホテルに泊まるしかありません。ここ最近ビジネスホテル代わりに使う人だって結構いますよ。そんな恥ずかしい事じゃありません。宿泊代は2人で割り勘し合って、食事は近くのコンビニで済ませましょう。」と提案し、熊も「そうだなあ。駐車代のことも考えると、そうするしかないよな。」と話し、ラブホテルへと向かった。そして、ガレージに停車をさせ車を下車した2人はラブホテルの受付へと歩いて向かうと、チェックインの手続きを済ませた後、2人は用意された部屋へと早々と入っていく。大きなベッドを目の前に、熊が「あ~疲れた。寝る。」と言って大きくダイブするとあっという間に大きないびきをかきながら寝てしまった。
「寝るの、はやっ!」
米満が熊が熟睡しているのを確認してから、お風呂でシャワーを浴びることにした。
米満がお風呂から上がると、洗面所でドライヤーを用いて髪を乾かしてから部屋に戻ってくると、米満もそのまま熊の隣にそっと起こさないようにして寝始めた。
そして一夜が明けた。
2022年3月16日 水曜日。
朝の9時にチェックアウトをした米満と熊は多治見市内にある株式会社怪奇調査団が入るビルへと向かうことにした。
車は米満が運転した。
「怪奇調査団が入るビルには駐車場はありません。近くのコインパーキングに停車させ、徒歩で向かうしかないでしょう。」
米満がハンドルを握りながら熊に話すと、「そうだな。」といって返答した。
そして走らせること30分が経過し、やっと怪奇調査団の雑居ビルの近くにまでやってくると、停車をすることが出来るコインパーキングへと向かうことにした。
そしてコインパーキングから歩いて9分ほどで怪奇調査団が入る雑居ビルの中に入ると、5階のフロアへとエレベーターで向かった。エレベーターのドアが開いたと同時に”ようこそ 怪奇調査団”とドアの表札にあることを確認してから米満が開けた。
ドアを開けると出迎えてくれたのは花山だった。
「ようこそ。長い時間をかけてよく来てくれたね。安村君からは話は聞いているよ。朝鮮トンネルの挑戦ってやつか。良いだろう。ダム湖に沈むまでに協力してあげることは協力してあげるよ。」
花山は応接間に米満と熊を案内すると、現地の古地図を使って話をした。
「二股隧道というのは、ここの古い地図にもあるように木曽川の分岐点となるところが二股に分かれることから、二股という地名が付いた。トンネルは二股という地域になるから二股隧道と名付けられたのだろう。トンネルが入っていくと分岐点に入り二手に分かれるからという意味では恐らくなさそうだ。ただ謎が多いのは、朝鮮トンネルの名前の所以にもなった、朝鮮人を強制的に労働をさせた件については丸山ダムが着工されたのは昭和26年の9月で、工事が終わったのは昭和31年3月になる。つまり終戦を迎えたのが昭和20年になるので6年後になる終戦後の話だ。そのころには北海道の常紋トンネルにあるような強制労働もアメリカのGHQによる指導で見直され、終夜を問わない凄惨過酷ともいえる労働環境は改善の兆しを示したことになる。朝鮮トンネルは恐らくだが終戦後に着工されたであろう、ある情報筋では昭和21年、すなわち戦争が終わってから1年後に着工されたのならば、強制的に連れてこさせた可能性は皆無に等しくなる。だが、情報筋の情報に頼るしかないのには理由がある。現地の古い資料などを扱う図書館には足げなく通い、現地の方々からも取材を行ったが確かに朝鮮人が作ったという話は地元の人も知っているが、じゃあこのトンネルはいつどのタイミングで着工され、昭和31年5月に完成に至ったのか。恐らくだが、近くに笠置ダムというダムがあり昭和9年に着工され、2年後の昭和11年に完成した古くからあるダムがある。ひょっとすると朝鮮トンネルは、横に隣接する素掘りのトンネルを終戦後に改修工事を行った可能性がある。だとしたらその素掘りのほうが闇は根深い可能性が高い。となると朝鮮トンネルは、笠置ダムを造るための整備用のための道路であり、急ピッチで行う必要性があったため、終夜を問わず強制的に奴隷労働をさせたというのは有り得なくもない話になってくる。急な工事だったから、いつ工事が始まったのか、文献が残っていないのも頷ける。そして役目の終えた素掘りのトンネルを意図的に埋めて通行困難とさせたのだろう。だとすれば、そちらのほうに人柱があっても不思議ではないということになる。」
花山の話を一通り聞いたところで、米満が質問した。
「花山さんには個人的に聞きたいことがあるんです。それは、あの多久市内で有名な潤一郎さんの都市伝説でも知られている染澤潤一郎の遺骨が朝鮮トンネルに埋められているそうなんです。フェニックス・マテリアルの創業者でもある小鳥遊《たかなし》悟が生前に朝鮮トンネルを訪れ、この地に骨壺にコンクリートを流し固めた潤一郎の骨壺が朝鮮トンネルに埋めてきたと記載がありました。あの地は、潤一郎の墓場でもあり、またこれまでの呪いの連鎖を食い止めるヒントが隠されていると思えてなりません。僕はこの目で潤一郎が眠る墓を探し、そして隠された何かを探りたいんです。そのために、岐阜までやってきました。朝鮮トンネルの闇を暴くことも重要なことですが、僕達はその目標を果たすのが目的です。」
米満が話し終えると、花山が可能性を示唆した。
「ハハハ。なるほどな。都市伝説で噂された、横の洞穴でゾンビが現れたというのはひょっとすると潤一郎の御霊だったのかもしれないね。良いだろう。でも答えは分かり切っていることだ。埋めた可能性があるとするなら、横の洞穴か或いは洞穴を出た先か、朝鮮トンネルの出入り口付近もしくは入り口の近くにある脇道だろう。ただこちらの脇道は徒歩でなければ入っていけないほどの険しい道のりだ。そんなところに骨壺を生める可能性は皆無に等しいでしょう。昭和50年ごろの出来事ですからまだ今みたいに廃道と化してはいなかったのでしょう。やはり川沿いの、洞穴付近に埋めたと考えるのが妥当だろう。」
花山の答えを聞き、米満は「なるほどですね。」と語ると、隣にいた熊は「確かに洞穴付近に埋められた可能性は捨てきれません。だが、そうなると仰って頂いた、素掘りのトンネルの工事に携わった方々のご遺体がこの地にもし埋められているとしたら潤一郎の遺骨は、その方たちの遺体の中に紛れていることになりますよ。」と話すと米満が否定的な考えを示した。
「仮にもし、殉職された方のご遺体を、横の洞穴に入れその上を石で埋め尽くしたとしたら、後々何かしらの理由で掘り起こさなければいけない事態になったときに発見されるリスクが高いことになります。強制労働をされた末に殉職されたことが事実なら遺体は隠すためにも木曽川へ流したと考えるのが妥当じゃないのでしょうか。それが後々の丸山ダムの建設の際に事故でお亡くなりになる、或いは自殺者が多数出た理由にも繋がります。過去に過ちを犯したから祟られたのでしょう。そのために慰霊碑がある。戦前の笠置ダムの建築時にそれこそ、強制労働をさせて作ったのであれば今頃きっとこのダムも心霊スポットの一部になっていたはずです。しかしそういった情報はありません。つまりこの二股隧道は、笠置ダムの工事の着工前から存在しており、現存する昭和31年5月に完成したのは新しく作り直したと考えるのが筋でしょう。横の洞穴はダム建築の際に使用する資材を運搬するためのトンネルとしての役割を果たしていたに過ぎなかったのでしょう。だからあんな素掘りの、いつ天井が落盤してもおかしくないようなトンネル状況であっても、急ピッチで笠置ダムの工事が捗ったわけです。緊急用に作ったに過ぎないがため、素掘りのトンネルは使う用途が無くなったことにより、遺体を隠すのではなく通行止めを表すために埋めたとするのが妥当です。あくまでも改修工事を行ったに過ぎないために、いつごろ実施したのかの正式な記録がないだけなのかもしれません。その可能性はありますよね。」
説得力の高い米満の指摘に、花山はどう答えたらいいのか迷った末に切り出した。
「確かに。その可能性は否定できない。だとしたら、どうして素掘りしたトンネルの工事記録が残っていないのは謎として残らないか?」
その問いに米満は冷静になって答えた。
「言いました。あくまでもダム工事を運搬するのが目的のトンネルだと説明しました。資材を乗せた荷車が押せるぐらいのスペースさえ確保できれば、充分通路としての役割を果たせるわけですから、公共の通路と考えるよりも、工事用の通路と考えるのが正解かもしれません。だから記録がないと考えていいと思います。そこに闇があったか否か、それは霊能力者でなければ僕にはわからないことですけどね。」
米満が導き出した答えに、花山は「凄いな。我々は都市伝説をもとに13・14号トンネルに伝わる口裂け女の伝説を調べたりしたが、米満君が行くことが出来ればきっと違うって探偵ばりに覆すだろうね。我々は13号トンネルに入るまでの14号トンネルが立入禁止のフェンスに覆われるまではトンネル近くの精神病院から抜け出した女がその場に遊びに来た子供を脅かしたという話を信じていたが、数年前にある霊能力者がその可能性をWEBサイトで否定したんだ。それがこのWEBサイトだ。」
花山がそう語ると自身のWindowsのノートパソコンをデスクから持ち出し、WEBサイトにアクセスをしたものを熊と米満の前に見せ始めた。
”霊能力者銀河 慰霊の旅路”
そこには全国津々浦々の自殺の名所や心霊スポットを訊ねた銀河という霊能力者が肝試しや或いはその土地を管理する方からの御祓いや除霊の依頼などを引き受け、またこの世を彷徨う悲しき御霊に対して依頼がなくとも積極的に過去の歴史を調べ上げて供養をしている姿が紹介されてあった。
そこに13・14号トンネルの記載がトンネル内部を一眼レフで撮影した写真と共に紹介されてあった。
「ここにはトンネル工事に関わった方達の哀れな、御霊が亡くなってしまったことにすら理解を示さずに霊になってもなお現れ続けるのだろう。不慮の事故だったがゆえに、死を迎える準備が出来ずに旅立たれてしまったに違いない。きちんとした供養を行わずにトンネルを開通させたがため、殉職された方々を最終的には怒らせる結果に繋がったのだろう。その結果が精神的に追い詰められた末に汽車への飛び込み自殺だろう。地蔵が自殺した方々への供養が目的なら、殉職された御霊達の怒りを鎮めるのも狙いの一つとしてあったに違いない。そして定光寺駅近くの東海自然歩道入り口脇に改めて中央線建設工事殉職者慰霊碑が建立された。口裂け女が出てくるのは、二つの見方がある。まずは飛び込み自殺を図った女性が死んだ際に列車に顔面を轢かれたことにより、死後口が裂けてしまった姿になったかもしれない。もう一つはマスク姿のホームレスの女性を見た少年が気味悪さゆえに怖いと考えて逃げ出した。後述した内容は起こりやすい出来事ではあるが、果たしてトンネルの中からひょっこりと出てくるだけならばよっぽどの怖い見た目でなければ脅かすまでの存在とは言い切れない。前述した飛び込み自殺については可能性は低い。口だけが裂けるのなら、その他にも轢かれた事により損傷が激しい箇所があってもおかしくない。それこそ口だけ裂けて死ぬことは考えにくい。よって都市伝説と考えて良いだろう。」
内容をじっくりと読んだ米満が「こんな指摘をする霊能力者もいるんですね。でもよく見たらこの人”銀河@Twitter”ってWEBサイトのサイドバーにありますよ。ダイレクトメッセージとか気になったら送ってみたらどうですか?」と花山に提案したが意外な答えが返ってきた。
「実はこのWEBサイトは最近知ってね、銀河君は恐らく14号トンネルがフェンスで封鎖される前に訪れた可能性は高い。この当時の事を知る資料があるなんて珍しくてね。何度かメッセージを送っているが忙しいのかなかなか返事が無くてね、WEBサイトだって2020年の12月に更新されたのが最後でそれから新しい情報がない。銀河君が調べた内容について読めば読むほど興味深くて、いつか会ってみたいんだよ。」
花山の願いに、熊は頷きながら「確かに会ってみたいですね。ここまで言及する人なんて珍しいですし、何だか僕も会ってみたい気持ちになりました。」と話し始めた。
その一方で米満はある予感を感じていた。
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