剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

9 〈仮想球〉

公開日時: 2020年9月19日(土) 10:00
文字数:1,894

 左膝をついて座し、アユミは心気しんきを凝らしていた。

 素足の指が、板張りの床を噛む。


 アユミは敵と対峙していた。

 三人。みんな大柄だ。両刃の西洋剣バスタードソードを携えている。

 アユミの正面と左右に立ち、三角形をかたどって、アユミを包囲していた。


 殺気が凝縮した。

 ゼロコンマ数秒のずれをつくって、三人が斬りかかってきた。同時ではない。ひとりがかわされても、別のふたりの刃が達する。複数でかかるときの常道だ。


 アユミは膝をついたまま右足を一歩踏みこみ、腰の刀を抜き打った。


 すくいあげるように、ひとりを逆袈裟に斬り上げる。

 その勢いを殺さず、手元で小さな円を描くようにして力の向きを転じ、迫るふたりめを斬り下ろす。

 さらに素速く横へ身体を振って、三人めを横薙ぎに一閃。


 反撃のいとまを与えられず、敵はそろって同時に倒れた。


 ――刀を納め、留め金を掛けると、アユミは床に置いてある〈仮想球かそうきゅう〉に手を伸ばした。

 金属の枠に嵌めこまれた、直径十五センチほどの墨色をした水晶球だ。それに触れると、床に伏している影法師みたいな敵が、大気に溶けるようにして消滅した。

 衛士団の備品である〈旧魔術〉の産物のひとつだった。

 使用者の希望を読み取って、さまざまな仮想の戦士を喚び出してくれる。生み出した戦士を操って敵と戦わせることが本来の用途である。

 衛士団の入団試験では、この〈仮想球〉を用いた模擬戦が課せられた。

 サンドバッグ代わりの立ったまま動かない影を生むこともできる。攻撃はしてくるけれど、実際のダメージはない影も。だが、アユミが作り出して闘った敵は、手にした西洋剣が当たれば本当に負傷する存在であった。


 アユミは深く息を吐いた。

 悪くない、と思った。

 ふつう。いつも通り。

 つまり、上達はしていない。

 衛士としての学生生活は想像以上に多忙で、なかなか鍛錬の時間が取れないせいだとアユミは考えていた。それが衛士なのだから、無為な言い訳に過ぎないのだが。


「また腕を上げたな」


 アユミを観ていたトーマは、満足そうに拍手した。

 キョウコに朗読会の出席を迫られた翌日の放課後である。

 ふたりは空いている小型の格技場を借り受けていた。トーマが「アユミの試し斬りを観たい」と言い出したからだ。


 トーマの褒め言葉に、アユミは表情を曇らせた。「そうかな。鈍ってない?」

「そんなことはない。丁寧な、いい剣さばきだ」

「実戦でちゃんと役立つかな」

「自分に自信があるのかないのか、アユミはよくわからないな」


 困ったように、トーマは妹弟子の不服そうな顔を見つめてくる。

 アユミは、トーマを見つめかえした。


「どうした?」

「思っていたより元気そうで、ほっとした」


 全幅の信頼を寄せている副将が亡くなったのだ。大会など出られる状態じゃなくなったっておかしくない。トーマの精神力の強さは疑う余地もないが、同時に、責任感が強く心やさしいこともアユミは知っている。一抹の不安はあった。


「葬式にも行ったし、気持ちの切り替えは済んだ。ここで俺が崩れてしまっては、かえってコウキに申しわけないからな」


 トーマの瞳の色が、悲しみを乗り越えてさらに深みを増したように感じられて、アユミは切なくも頼もしく思った。


「少し話さないか」

「うん」


 ふたりは格技場の隅に腰を下ろした。こうして並んで板の床に座っていると、小学生のころを思いだす。


「最近、ずいぶん勇ましいそうじゃないか」

 愉快そうなトーマに、アユミは弱りきった表情を見せた。「コノミさんのこと? トーマくんまでそんなふうに言わないで。普通にお話ししただけ。そんなに悪い人だとは思わなかったよ」


 カズヤのように性根がねじれた感じは受けなかった。


「アユミらしいな」

「優等生的って言いたいなら言って」

「そんなことはまだ言っていない」

「まだ?」

「……すまない、失言だ」


 アユミはふくれっ面になって、トーマを苦笑させた。

 キョウコが目撃していれば垂涎ものの表情だろう。トーマといるときくらいしか見せない、くだけた態度である。


 ともあれ、こんなトーマとの日常的なやりとりが、アユミには心地よかった。

 コウキの事件以来、不審者は現われない。

 もちろん、平和なのはいいことである。このまま二度と姿を見せない確証ができればもっといいのだが。

 ふたたび起こるかどうかはっきりしない襲撃に対して、あてもなく待つ、備える、警戒する――という状態は、想像以上に精神を磨耗させる。そして精神の磨耗は、肉体の消耗に直結する。

 実は、自分が息抜きをしたかったのだと、アユミは気づいた。

 そういう時期だろうとトーマは勘づいていたから、声をかけてくれたのかもしれない。

 敵わないな――そう思いながら、アユミは幼なじみの精悍な横顔を見やる。

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