左膝をついて座し、アユミは心気を凝らしていた。
素足の指が、板張りの床を噛む。
アユミは敵と対峙していた。
三人。みんな大柄だ。両刃の西洋剣を携えている。
アユミの正面と左右に立ち、三角形をかたどって、アユミを包囲していた。
殺気が凝縮した。
ゼロコンマ数秒のずれをつくって、三人が斬りかかってきた。同時ではない。ひとりがかわされても、別のふたりの刃が達する。複数でかかるときの常道だ。
アユミは膝をついたまま右足を一歩踏みこみ、腰の刀を抜き打った。
すくいあげるように、ひとりを逆袈裟に斬り上げる。
その勢いを殺さず、手元で小さな円を描くようにして力の向きを転じ、迫るふたりめを斬り下ろす。
さらに素速く横へ身体を振って、三人めを横薙ぎに一閃。
反撃のいとまを与えられず、敵はそろって同時に倒れた。
――刀を納め、留め金を掛けると、アユミは床に置いてある〈仮想球〉に手を伸ばした。
金属の枠に嵌めこまれた、直径十五センチほどの墨色をした水晶球だ。それに触れると、床に伏している影法師みたいな敵が、大気に溶けるようにして消滅した。
衛士団の備品である〈旧魔術〉の産物のひとつだった。
使用者の希望を読み取って、さまざまな仮想の戦士を喚び出してくれる。生み出した戦士を操って敵と戦わせることが本来の用途である。
衛士団の入団試験では、この〈仮想球〉を用いた模擬戦が課せられた。
サンドバッグ代わりの立ったまま動かない影を生むこともできる。攻撃はしてくるけれど、実際のダメージはない影も。だが、アユミが作り出して闘った敵は、手にした西洋剣が当たれば本当に負傷する存在であった。
アユミは深く息を吐いた。
悪くない、と思った。
ふつう。いつも通り。
つまり、上達はしていない。
衛士としての学生生活は想像以上に多忙で、なかなか鍛錬の時間が取れないせいだとアユミは考えていた。それが衛士なのだから、無為な言い訳に過ぎないのだが。
「また腕を上げたな」
アユミを観ていたトーマは、満足そうに拍手した。
キョウコに朗読会の出席を迫られた翌日の放課後である。
ふたりは空いている小型の格技場を借り受けていた。トーマが「アユミの試し斬りを観たい」と言い出したからだ。
トーマの褒め言葉に、アユミは表情を曇らせた。「そうかな。鈍ってない?」
「そんなことはない。丁寧な、いい剣さばきだ」
「実戦でちゃんと役立つかな」
「自分に自信があるのかないのか、アユミはよくわからないな」
困ったように、トーマは妹弟子の不服そうな顔を見つめてくる。
アユミは、トーマを見つめかえした。
「どうした?」
「思っていたより元気そうで、ほっとした」
全幅の信頼を寄せている副将が亡くなったのだ。大会など出られる状態じゃなくなったっておかしくない。トーマの精神力の強さは疑う余地もないが、同時に、責任感が強く心やさしいこともアユミは知っている。一抹の不安はあった。
「葬式にも行ったし、気持ちの切り替えは済んだ。ここで俺が崩れてしまっては、かえってコウキに申しわけないからな」
トーマの瞳の色が、悲しみを乗り越えてさらに深みを増したように感じられて、アユミは切なくも頼もしく思った。
「少し話さないか」
「うん」
ふたりは格技場の隅に腰を下ろした。こうして並んで板の床に座っていると、小学生のころを思いだす。
「最近、ずいぶん勇ましいそうじゃないか」
愉快そうなトーマに、アユミは弱りきった表情を見せた。「コノミさんのこと? トーマくんまでそんなふうに言わないで。普通にお話ししただけ。そんなに悪い人だとは思わなかったよ」
カズヤのように性根がねじれた感じは受けなかった。
「アユミらしいな」
「優等生的って言いたいなら言って」
「そんなことはまだ言っていない」
「まだ?」
「……すまない、失言だ」
アユミはふくれっ面になって、トーマを苦笑させた。
キョウコが目撃していれば垂涎ものの表情だろう。トーマといるときくらいしか見せない、くだけた態度である。
ともあれ、こんなトーマとの日常的なやりとりが、アユミには心地よかった。
コウキの事件以来、不審者は現われない。
もちろん、平和なのはいいことである。このまま二度と姿を見せない確証ができればもっといいのだが。
ふたたび起こるかどうかはっきりしない襲撃に対して、あてもなく待つ、備える、警戒する――という状態は、想像以上に精神を磨耗させる。そして精神の磨耗は、肉体の消耗に直結する。
実は、自分が息抜きをしたかったのだと、アユミは気づいた。
そういう時期だろうとトーマは勘づいていたから、声をかけてくれたのかもしれない。
敵わないな――そう思いながら、アユミは幼なじみの精悍な横顔を見やる。
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