剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

4 〈旧科学〉

公開日時: 2020年9月1日(火) 14:19
更新日時: 2020年9月1日(火) 16:21
文字数:1,660

 団長席のユキトはわざとらしくアユミから顔をそむけて、机の引き出しから本を取りだした。

 もちろん――というのも虚しくなるが、衛士団に関係のある内容ではない。「トーキョーグルメガイド・東エリア篇」と表紙にある。


「よせ、また崩れる」


 ロウに言われて、アユミは再び振り上げてしまった手をあわてて下ろした。


「も、申し訳ありません」

「〈戦前〉は、こんな紙の書類は不要だったという」


 特に怒ったふうもなく、ロウは淡々と語る。


「個人用の、手のひらに収まるような小型のコンピュータが学生にまで普及していて、何十万枚もの書類を一台にすべて記録できた。検索や書き換え、複製の配布もコンピュータ上で容易だったらしいな。夢のような話だ」


「〈旧科学〉ですね」と、アユミは答える。


 いまよりはるかに進んでいたという〈戦前〉の科学を〈旧〉と呼ぶのも奇妙な感じだが、それが現在のこの国の失われた技術ロスト・テクノロジーの総称であった。


「でもさ、そのコンピュータが盗まれたり壊されたりしたら、一発で終わりじゃん」


 ユキトは身も蓋もないことを言って、「ロウの脳みそと腕っ節のほうが信用できるな、俺は。だからこれからもがんばれ」


 完全に他人事みたいな団長代理の言葉をどう受けとめたのか、外面からロウの感情はうかがえない。黙々と、書類の束を手に取っている。


「副団長もユキトさんに何か言ってください」

「言って直るものなら、ああなっていない」


 妥協のない現実的な分析に、アユミは憤りがしぼむのを感じた。

 ユキトは開いた本に顔を隠し、目だけを出してアユミを見つめてくる。


「アユ、怒ってる?」

「もう怒ってません」

「よし。えらいえらい」


 刀の柄に手が伸びかけたが、握り拳を作ってこらえる。


「ご自分の仕事はないんですか」

「ない」


 団長代理に仕事がないわけがない。ロウに丸投げしているのだ。


「では、授業に出てください」

「もったいないよ、こんな天気のいい日に」


 うきうきと窓の外を見やる目が、子どもみたいに輝いている。問題はユキトが子どもじゃないのでまったく微笑ましくないことだ。


「アユ、まだ何か言いたそうだね」

「無限にありますけど、まず、ネクタイくらい締めましょう」

「忘れちゃった」

「初めから締める気がないのを忘れたと言わないでください」


 不意にロウが立ち上がり、アユミは期待のまなざしを向けた。とうとう叱るのか。

 次の瞬間、アユミは眼鏡に罅が入るかと思った。

 ロウが自分のネクタイをほどいたのだ。


「副団長!」

「どうした」

「なんの解決にもなっていません」

「替えはある。後で取ってきて着けるから許せ」

「いえ、あの、副団長を許すとか許さないとかではなく――」


 ヴヴッとうめいて、アユミは口をつぐんだ。

 それ以上、副団長に向かって意見するのはためらわれたのだ。これが普通のアユミの思考で、ユキトへの接しかたが特例なのである。


「返さなくていい。失くさないことだけ考えろ」

「ありがと、りょーかい」


 ユキトはロウのネクタイを嬉しそうに受けとって、慣れない手つきで巻いてゆく。

 毎日の動作のはずが、どうしてこんなに慣れていないのか、アユミはもう考えないことにした。


 外で鐘が鳴った。

 電子音ではない。本物の鐘を撞く響きだ。時計塔が鳴らす、一時間めの授業が始まる合図だった。


 そろそろ行かなくては――そうアユミが思ったとき、巨漢の男が階段を昇ってきた。

 鍛錬場にいた衛士のひとりで、光晴ミツハル=ノアという。最高学年の十二年生だ。


 アユミは敬礼した。「ミツハルさん、おはようございます」

「おう、アユミか。引き継ぎご苦労。――ぬおっ、ユキトがネクタイ」


 いかつい丸顔を、心底からの驚愕が塗りつぶす。


「白猫が大量に横切るのを見た気分だな」

「ミッツさん、今日は縁起がいいと思うよ」

「まったくだ。百万円を拾うかもしれん」

「俺にも十万くらい分けてね」


 先輩にこんな口をきいて、ユキトは臆するところがまるでない。ミツハルのほうも豪快に笑うばかりだ。


 アユミはため息をついた。

 トーキョーで最強と目されるゲオルギウス衛士団が、こんなに和気藹々とした集団だとは、まったく予想していなかった。

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