剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

7 ファンクラブ

公開日時: 2020年9月17日(木) 10:00
文字数:2,454

 和哉カズヤ=シルトと、好珠コノミ=アングラードを、衆人環視の場で真っ向から叱りつけた。


 そんな誇張の混じった噂が広まり、あの購買部での昼休みから一週間が経って、アユミはにわかに有名人となってしまっていた。

 特に、コノミに楯突いた(?)のが、恐れ知らずのふるまいということらしい。ゲオルギウス学院で、あの女帝はそれだけ大きな存在ということか。


 授業を受け、校内外を巡視し、寮に帰ってやすむという日常で、ふと、教室の隅や廊下の角から視線を感じる。目を向けると、いかにも驕慢そうな生徒が三、四人、なにやら隠微な気配をたたえてアユミをうかがっている。

 ユキトのいう「コノちゃんズ」の一員か、カズヤの不良仲間か。あるいは第三者か。

 直接の嫌がらせはない。衛士の権威のおかげだろうか。それゆえに、アユミはかえって気が塞いでくるのだった。行き場のない負の想念は、別の捌け口を求めて噴き出しかねない。

 もっとも、アユミに心情的な理解を示す者も少なからず存在した。同情の視線もたびたび注がれる。表だって味方につく者はいないが、それでよかった。変に祭り上げられ、生徒間の権力争いのようなものに巻きこまれるのは本意でない。


 ルームメイトのキョウコも、いつもの調子で「アユミさんってやっぱり素敵だわ」などと言ってくれるが、

「そんな――わたし、反省してるんです」

「間違ったことはしていないでしょう。行列の順番を守る。よそのお宅の悪口を言わない。人に対する当然の要求だわ」


 キョウコには詳細を話している。


「でも、もっと冷静にお話しできたと思うんです。わたしの軽率さのせいで、皆さんに、衛士団がただ高圧的なだけの集団と思われていないか心配で」

「気にしないで」

 キョウコは潤んだような瞳にアユミを映して、「衛士の肩書きがなくたって、アユミさんはきっと同じことをしたでしょう。アユミさんが一生懸命なのは、皆さんもわかっているはずよ」

「ありがとうございます」


 キョウコの思いやりが、アユミのくたびれた心をやさしく撫でてくれる。

 そこまではよかった。しかしこの官僚令嬢は、聞き捨てならないことをつけ加え始めたのだ。


「そんなアユミさんの後援会を作ろうという動きがあるのよ」

「後援会?」

「誤解しないでね。コノミさんみたいに派閥を起こそうというのではないの。純粋にアユミさんを後援するだけの――そうね、ファンクラブといったところかしら」

「ファンクラブ?」


 謎すぎる単語をおうむ返しにするしかないアユミである。

 自分を後援してどうするのか。後援って何をするのか。ある意味、カズヤやコノミより怖ろしかった。完全に未知の脅威だ。


「そんなものが成りたつわけがありません」

「そうね、活動はこれからよ。まだ十五人しか集まっていないもの」

「十五人?」


 そんなにいるのか。未知の脅威となり得る人たちが。


「もちろん、基本的には男子禁制よ」

「もちろんとは?」

「それでね、アユミさん」


 キョウコがにじり寄ってきて、アユミは部屋が急に狭くなったような気がした。


「ずっと訊こうと思っていたことがあるの。でもアユミさん、なかなか部屋に居つかなかったから訊けなくて」

「そうですね、忙しくて」


 剣道部副将のコウキが斬殺されてから、巡視のスケジュールが過密になって、衛士は多忙な毎日を送っている。学院全体の雰囲気はとりあえず落ち着いているが、どこかに翳りがあるのは否めない。



     *


 

 過日、衛士団本部で開かれた会議で――


「事件当日、不審人物の目撃証言があった」

 と、ロウが新しい事実を報告した。「殺害現場に近い公園のベンチで酔いざましに休んでいた会社員が、首から上が竜の人間が目の前を横切って公衆トイレに入っていったのを見たという」


 今日はユキトさんが欠席していてよかったと、アユミは妙な安心をした。「すげー」だの「かっこいー」だの、大騒ぎするのが容易に想像できる。


「寝ぼけてたんじゃないのか」


 ミツハルが疑問を投げる。


「本人もそう思って気に留めなかったそうです。だから証言が遅れた。しかし、トーキョーにはおかしな宗教や魔術結社がいくつもある。何らかの改造を施された竜頭人りゅうとうじんが存在してもおかしくはありません」

「トイレに手がかりはなかったんでしょうか」と、アユミは訊いてみた。

「指紋を検出したが、警察で採取している指紋リストに一致するものはなかった」


 前科はないということだ。


「そこに指紋を残すほど、うかつなやつですかね」


 隣のヒトシが小声でアユミに言う。


「そうですね――ないとは言い切れないと思います」


 アユミは答えた。人間、有事の際にはどうしても気が動転して、大事なことが抜けてしまうものだ。そうでなければ世の中に完全犯罪はもっと増えている。


「まさか、本物の幻生物げんせいぶつじゃねえだろうな」


 ミツハルが言った。

 笑う者はいなかった。

 白けたからではなかった。


 竜はいた。

 確かに、いた。

 この学院で暮らし、時計塔に刻まれた爪痕を毎日のように見ている者にとって、それは過去の厳然たる事実であった。宗教者が神の存在を疑わないのと同じく。

 ただし――


「常識的に考えれば、仮面か何かを被っているんだろう。あるいは幻術でそう見せているか」

「それをトイレで脱ぐか、魔術を解くかしたか。単純だが、有効な変装かもしれません」

「竜の頭ばかりに目が入って、体格や他の特徴まで気が回らなくなるものな」


 他の衛士たちが述べる感想が、現実的な見解ではある。

 ロウがまとめに入った。


「腕が立つ者が変装をしているとなると、計画的な犯行の可能性もある。剣道部もしくは学院への怨恨。それを踏まえて、巡視にいっそうの注意を払うこと」



     *



 幹部たちは警察と連携をとって独自に犯人の捜索も進めているようだが、新人のアユミにはまだわからないことが多かった。日常の業務が中心だ。

 今晩はひさしぶりに、何の仕事も割り当てられていなかった。

 勉強の遅れを取り戻そうと思っていたアユミだが、その前にキョウコを満足させないといけないようだ。


「訊きたいことって、なんですか」

「剣道部の主将について」

「えっ」


 死角から急所を突かれる思いだった。

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