「デイトじゃありません、トーマくんに迷惑がかかる表現は慎んでください」
アユミはユキトに抗議したのだが、
「別に迷惑はしないが」
真顔でトーマがそんなことを言い、アユミに「トーマくん?」と声を上げさせた。
「何だよ、アユ」
ユキトが不服そうに眉を寄せた。「俺とずいぶん扱いがちがうじゃん」
「それは、トーマくんは旧知の仲なので」
「なんぼ幼なじみでも、俺を呼ぶときは『ユギトざんっ』でこっちは『トーマくふぅーんっ』って、こんな露骨な差ってある?」
鼻にかかった声を出し、身をよじってみせる。
アユミが「そんなふうに言ってません!」と怒鳴りつけると、ユキトは怯えた表情を作って自分の肩を抱いた。完全にアユミをバカにしているのだが、実際、かよわく見えるから質が悪い。
「さすがだな。衛士団の長を相手にちっとも怯まない」
トーマは感心したようにうなずいた。こちらはこちらで反応がズレている。
ため息をつくアユミの横で、ユキトがトーマに訊く。
「調子はどう。大会、近いんでしょ」
「少し疲れていたが、アユミに励まされたよ」
「えー、俺も励まされたいな」
アユミは脱力してうなだれた。トーマも屈託がなさすぎる。
「アユ、午後から巡視だろ」
「それが何か」
「俺もいっしょに行く」
「なぜ」
「団長が巡視するのになぜじゃねえっつうの。あっ、やっぱりサボってデイトを」
「ユキトさんが真面目に仕事をするのが信じられないだけです」
「これだもんなー」
大仰に額を押さえて、ユキトはトーマに話の矛先をむけた。
「なあ、アユって昔からこうだったの」
剣道部主将は腕を組んで、しばし黙考した。
「今より堅物だったかもしれない。最初は話しかけるのに緊張した」
「トーマくん?」
「じゃあ、俺はそろそろ戻る」
聞き捨てならないことを言い残して、トーマはベンチから腰を上げた。このタイミングは逃亡のように思えなくもない。
「団長、アユミを頼む。剣の腕は確かだ。一人前の衛士に育ててくれ」
「まかしとき」
ユキトはどんと自分の胸を叩いた。
アユミはもう何か反論する気力も沸かず、去ってゆくトーマに弱々しく手を振ることしかできなかった。
「さっ、行こう」
ユキトはうきうきとアユミを促す。
*
「――アユ、ソフトクリーム食べたくない?」
「だめです」
アユミは即答した。巡視開始一分でこれである。
「甘いものは嫌いだっけ」
「嗜好ではなく是非の問題です」
ユキトは不満げに唇を曲げた。「アユは頭が固すぎる。固いのがいつでもいいとは限らないぜ」
トーマやロウに言われれば響いた言葉かもしれないが、発言者はもらったネクタイを縄みたいに結んでぶら下げた、柔らかすぎる少年である。
アユミはあたりを見渡した。
朝や夕方に比べれば、人の往来は少ない。それでも、休講になったり、もともとこの時間帯の講義を取っていない生徒が、いろいろ見うけられる。
ぶ厚い本を何冊もブックバンドで束ねて、単眼鏡を嵌めた少年が図書館から出てくる。
遊歩道の各所に設けられているベンチとテーブルで、男女混じったグループが慎ましく談笑中だ。
お揃いの樫の木の杖を小脇にかかえて中央棟のほうに向かっているふたり組は、ドルイド魔術の研究会のメンバーだろう。
多様だ。しかし――
「ユキトさんよりだらしない生徒はひとりもいませんね」
「人は人、自分は自分だよ。アユだって男の制服、着てるじゃんか」
「男性向けというだけで、校則にこれを女子が着ていけないとは書いてません」
「じゃ、俺も女の子の制服を着る」
「やめてください。わたしへの当てつけで望まないことをやるのは」
「望まなくない。着てもいーよ。俺がスカート穿いたら似合っちゃうし」
――た、確かに。
思わず言いかけて、アユミは口をつぐんだ。髪型や化粧に少し凝れば、自分よりも愛らしい少女が誕生するだろうし、ユキトならやる。
「着てもいいですけど、きちんと校則通りに着てもらいます」
「それじゃあつまんないな」
ふと、以前から気になっていたことを思いだした。
「ユキトさん」
「まだ怒るの」
子犬みたいな目で見られるのは心外だ。
「わたし、そんなに怒ってばかりじゃありません」
「自分のことは自分じゃわかんねえんだな」
「怒ってませんってば!」
「ほらぁ。で、なーに」
「ユキトさんは、刀を提げていませんよね」
基本的には、剣術を修めていることが衛士の条件である。魔術が専門の者や、他の武器に長けた者もいるが、数は多くない。
刀剣が発明されたのは、槍や斧といった武具が大きくて携帯しにくく、要人の警護に適しないという歴史的な経緯がある。衛士団の性質を考えても、刀はもっとも衛士にふさわしい装備だった。
しかし、アユミが知るかぎり、ユキトはつねに丸腰だ。
「素手の技のほうが得意なんですか」
ユキトの体格では、レスリングや柔道は不利だが、拳法ならあり得る。小柄さを生かした俊敏な動きで相手を翻弄するスタイルなのかもしれない。
「別に、得意ってほどでもないな」
「ただ、重たいから提げるのが嫌だっていう理由じゃないでしょうね」
「それもあるけど」
「あるんですか」
自覚という単語の意味を問い質したくなる。
「あのさ、強すぎるんだよね、俺」
「だからと言って、――はい?」
あまりにも自然に言われて、聞き逃すところだった。
「俺が刀なんか抜いたら、いくら手加減してもだいたいのやつは死んじゃうからさ。持たないようにしてる」
威張るでもなく、単なる事実として語っている。
アユミは歩きながら、ユキトを見つめた。
仮にも団長代理に任命されるほどの男なのだ。弱いはずはない。ないのだが、ロウやミツハルのような貫禄とは無縁である。どうしても、そこまで豪語するほどの腕前だとは思えない。
今だって、隙だらけではないか。
ここでアユミがいきなり仕掛けたとする。ユキトはその肩書きにふさわしく、造作もなくかわすことができるのか。疑念が拭えない。
――変な人。
さまざまな意味をこめて、アユミは胸のうちでつぶやく。
――本当にこの人が、わたしの運命を変えた、あのときの?
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