〈旧魔術〉で不死の兵隊と化した暴力団がロッポンギを修羅の巷と化した抗争事件――通称「生屍体事件」を、ユキトが解決したと、ヒトシは言うのだ。
「現場にいたユキトさんが、誰ひとり巻き添えを出さずに、剣一本で全員を制圧したそうです。警察の機動隊が到着したときには、もう闘いは終わっていた、と。雪都=シュッテンの伝説のひとつです」
「ロッポンギは巡視ルートに入っていませんよね」
「へっ?」
同期生の少年の憧れにケチをつけるようで心苦しくもあったが、アユミは「別の学校の衛士団の管轄では。なぜユキトさんが夜のロッポンギに?」と、まずそこを指摘せずにいられなかった。
「それは、副団長が分析したトーキョーの情勢をもとに、ユキトさんが勘を働かせて独自に駆けつけたのだと思います。管轄外だけど此処からは近い街ですから。ユキトさんに直接お訊きしたこともあるんですけど――」
「返答は?」
「『偶然だよ、おいしいオムライスを食べに行きたくて巡視のルートを少し変えちゃっただけだよ』なんて、謙遜していました」
「謙遜」
自分が強すぎると公言して憚らないユキトからは遠い言葉だ。ルートを変えた――というか、さぼった――のが事実の全てなんじゃないかとアユミは思ってしまう。
「ユキトさんは、ただ強いだけじゃありません」
ヒトシは熱っぽく語り続ける。「ふつうの人間って、どうしても見栄とか常識とかに縛られてしまいます。でも、縛られているほうが安心するみたいなところってありませんか。うまく言えないけど」
「それは、わかる気がします」
「本当ですか! よかった」
ヒトシの顔がほころんだ。
「自由にやっていくのも、きついことが多いと思うんです。いろんな不自由と闘わなきゃいけない。それを貫き通しているユキトさんを、自分は尊敬しています。だから、ユキトさんが学院にいるうちに衛士になりたかった」
「夢が叶ったんですね」
「はい!」
ヒトシの笑顔は夜の闇を払うかのようにまぶしかった。
自分の目が節穴なのかもしれないと、アユミは初めて思った。
ヒトシの他にも、ロウ、トーマ、マダム・チヨコ――誰もが、あの子どもみたいな団長代理を一廉の人物だとみなしている。無邪気すぎる態度の奥にユキトが秘めているものを、アユミも、見つけられるなら見つけてみたいのだ。
とくに何も起こらないまま、学院の壁沿いの道を半周した。
地下鉄のシバコウエン駅も、降りて見て回る。改札口のそばの事務室に立ち寄り、駅員に許可をもらって、プラットホームも端から端まで歩いた。
この駅の利用客は学院に用事のある者が大半なので、この時間帯、人の姿はなかった。
出口から地上に上がりかけたところで、
「すいません、ちょっとトイレに」
「はい、どうぞ」
階段を二段飛ばしで下りていくヒトシを、アユミは見送った。
地上に上がり、出入口の前で、同期の衛士が戻るのを待つ。
少し遠くに、ハママツチョウやシンバシの街明かりが光っている。
先ほど話題に挙がったロッポンギに限らず、トーキョーの繁華街はどこも危険だ。不法に武器を持ち歩く者が後を絶たない。麻薬禍も、アユミが子どものときほどではないが、依然として根強かった。魔術と組み合わせることで、負の薬効はより高まる。
学院のような、全寮制で衛士団も擁している学校に、高額の学費でも大勢の生徒が集まるのは必然だった。安全な学園生活が保障される。
それが揺さぶられた。外出先のこととはいえ、学院生が兇刃に斃れた。
暴力は、いつも理不尽に襲いかかってくる。
――刀は、実は「武器」じゃあないんだよ、アユミ。
セイジ師範が語ってくれたことを思いだす。
――すべからく、暴力から人を護る「盾」であるべきなんだ。
アユミの好きな言葉だった。子どもながらに深く感じ入り、今もアユミの心に根を張っている。闘うためではない。闘いを鎮めるために、業を磨くのだ。
自分の力が及ぶのは、ごく狭い範囲だ。ならばせめて、届くところだけでも護りたい。そのために、アユミは衛士になった。
近くの信号が赤になり、ふたたび青になった。
ヒトシはまだ戻ってこない。
不審に思って、アユミも再び駅の階段を下っていった。
踊り場まできたところで、鼻を異臭がかすめる。
気のせいではない。
匂いの正体を悟るや否や、アユミは飛ぶように駆け下りた。
それは血臭だった。
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