「呪具ですねぇ。結論から述べると」
渉=キャメロンはそう言って、テーブルの上に竜の仮面を置いた。
ヒトシが命を賭して奪い取った、敵の貴重な手がかりである。
ワタルは十一年生。丸い眼鏡をかけた、カーリーヘアの痩せた男子である。制服の上によれよれの白衣を羽織っている。魔術研究が専門の衛士だった。
さまざまな書物、瓶に小分けにされた奇怪な液体や粉末、その他アユミには使い途の見当もつかない道具で埋め尽くされたこの部屋は、衛士団本部の三階にある。ほとんどワタルの私室として使われているらしい。
地下鉄駅での襲撃の翌日である。
ロウはアユミを伴って、ワタルに預けた仮面の分析結果を聞きに来たのだった。
「大方の予想はついていましたが、原始的なトーテミズムに立脚して制作された呪具です。えーとねぇ」
と、顔はロウのほうに向けながら、アユミにちらりと目をやる。
「『竜の形状を模した仮面を装着することで竜の力を我が物とする』という思想だね。共感呪術の理論は〈戦前〉からすでに欠陥が指摘されていたんだけど、実地においては依然として有効なんだよねぇ。不思議だよねぇ、人間って。認知の歪みで実際の因果を逆転させてしまう。えーとねぇ、つまり、思い込みが迷信を現実化するということ」
そこで早口の言葉を切って、またアユミをちらり。
新人の自分のために解説を加えてくれたのだと気づいて、アユミは「わかった――と思います」と言った。我ながら切れの悪い返事だが、知ったかぶりはできない。
ワタルは続きを話し始める。
「これを装着することにより、脳が一種の酩酊状態に陥入します。具体的には、殺人への禁忌が薄れる。同時に心理的な枷が解除されて、潜在的な能力が発揮されます。麻薬などと異なり、肉体への化学的な痕跡は残らない。長時間の装着で精神がどう変容するかは未知数だけどねぇ」
「脱いでしまえば、即席の暗殺者だったことはわからんか」
ロウが言うと、ワタルは満足そうに「そこなんですよねぇ、副団長」と応えた。ロウはいい聴き手のようだ。
「この仮面が同種の呪具と比較して優秀な点はそこ。魔力が外部に漏洩しない。しっかりと仮面に封入されて、装着者以外に影響しない。不謹慎を承知で賞賛させていただきます。造り手の業前が素晴らしい」
学究的な興味がなにより勝るらしく、伝わってくるのは仮面への感嘆ばかりだ。
これのせいでヒトシが、そしてあるいはコウキが――と考えると、アユミとしては複雑な思いもあるが、ワタルの純粋さから悪い印象は受けなかった。剣士にもこういうところはある。シミュレーションとして、いかに人を効率よく斬るかということは考え、話し合う。
「むろん、法からは逸脱しています。違法な〈旧魔術〉の領域だねぇ」
「そうなると――」
ロウの目が猛禽の光を放った。
「棄民の商品か」
「おそらく」
ワタルはうなずいた。
*
棄民の国。
トーキョーの北東――邪気を喚びこむ鬼門の方角――の一帯を占める、不可侵の無法地帯を指す。正式な名称ではないが、現在では本来の地名よりも通りがいい。
政府の公式な見解では、そのような場所は存在しないことになっている。
〈大戦〉の後、陰陽師、祈祷師、呪術師など、広い意味での魔術を駆使して〈大戦〉に参加していた者たちに対する、粛清の嵐が吹き荒れた。
この国から、強力に発達した魔術と科学の力を削ぎ、旧いものとすることによって、世界の軍事的なバランスを保つ――それが、連合国側が目指す平和であり、世界に掲げる大義であった。
どんな戦犯よりも厳しく、魔術師に類する存在が処罰された時期があるのだ。
極刑にかけられた人数は一千人を下らないという。連合国の統治から脱して長い時を経た今も、彼らの名誉は回復されていない。
命は奪われなかったものの、何の補償も与えられずに放り出された者たちは、一箇所に寄り集まって、妖気漂うスラム街を作り上げた。政府の方針に反発して、みずからそこの住人となった魔術師もいた。彼らはこの国のいっさいの制度を拒否した。税金は払わない。戸籍は持たない。警察も消防も要らない。
不用意に踏みいった愚か者は〈旧魔術〉の実験体にされて、二度と還ってこられないと噂される異界。
国に棄てられ、国を棄てた人々の棲む町。
それが棄民の国だった。
もっとも、生きるためにこの国の貨幣は必要だ。「外貨」を得るために、表の世界では非合法の喪われた魔術を切り売りしており、危険な呪具の出所はたいてい棄民の国というのが通説である。
*
「棄民の国に、行くのですか」
アユミは恐る恐る尋ねた。
「必要ならば」
ロウの返事は果断だ。
「だが、俺たちの目的はこれを使った者の確保だ。極端な話、仮面の製造元はどうでもいい」
「まずは、密売しているお店や人を探すのですね」
言いながら、アユミはふと、視線を感じた。
「ワタルさん」
呼ぶと、丸眼鏡の男子はアユミからすーっと目を逸らした。
「わたし、見当違いなことを言ってしまいましたか」
「や、別に」
「すいません。まだまだ未熟ですが、よい衛士になれるよう努力していきます」
「えーとねぇ、そうじゃないんだ」
壁の棚に目をやりながら、ワタルはぼそぼそと何かつぶやく。声が小さい上に早口だから、アユミでも聞き取れない。
「何でしょう?」
「なんでもない。衛士の仕事には無関係なことだ。こちらこそ謝罪するべきだ。すまなかった」
「いえ、あの、何を謝られているのか」
「いいんだ。忘れなさい」
「はあ」
釈然としないアユミからは見えない角度で、ロウが珍しく、唇の端にほんの少しだけ苦笑を浮かべていた。ロウは聞き取ったのかもしれない。ワタルの「顔がいい子としゃべるの、緊張するよねぇ」というぼやきを。
ロウは咳払いをひとつしてから、
「まずは、ウラヨコか」
と言った。
「ウラヨコでしょうね、たぶん」
ほっとしたようにワタルが同意する。
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