取調室のドアが開いた。
本部に詰めていた衛士に先導されて入ってきたのは、マダム・チヨコであった。
「おチヨさん、どうしたの」
ユキトの問いに「魔術の発動を感じたのよ」と応えて、学院の理事長は痛ましそうにジンを見つめた。
「あらましは上で聞きました。ジン先生――なんということを」
「マダムは立派なお方だ。ぼくの素性を知った上で、学院に招いてくださった。感謝しています」
ジンは座ったまま、頭を下げた。
「なぜ相談してくださらなかったの」
「学院のことも、信じられなくなったからかもしれません。国に認められて魔術研究が盛んであるこの学校と、棄民の国などと呼ばれるあの町と、いったい何が違うのでしょう」
ジンは静かに問う。
小さく息を吐いてから、マダムは言葉を続けた。
「ここが楽園とは申しません。わたしの力も微々たるものよ。だからこそ、あなたには協力してほしかった。あなたと協力し合いたかったわ。残念です」
マダムはアユミに近づいて、額に手を当てた。
「じっとして」
マダムの手から、温かなものが流れこんできた。魔術による治癒だ。異様な発汗とだるさが、あり得ない早さで鎮まっていく。
ロウにも同じことを施しながら、マダムはユキトを見やった。
「ユキトは大丈夫そう。すごいわね」
「ジン先生にも言ったけど、俺ってバカだからさ、精神攻撃でつけ込まれるような悩みがないんじゃないかな」
「あなたが愚かだなんて、わたしはちっとも思わないわ。いちばん大切なことはきちっとわかっている子よ」
「聞いた、アユ? 今の聞いた?」
「二番め以降の事柄も大切にしてください。制服をちゃんと着るとか」
「この状況でそこかよ。おチヨさん、少しアユの元気を減らして」
ユキトが渋面を作り、マダムが微笑ましそうに目を細める。
回復したアユミは「先生」と、ジンに呼びかけた。
「副団長のおっしゃるとおり、地下鉄の駅員さんはまだしも、コウキさんやヒトシくんを先生が斬れるとは、わたしにも思えません。どうか教えてください。先生が竜の仮面を与えたのは誰なんですか」
「――すぐにわかります」
ジンはあえぐように言った。
「もう、次の襲撃は仕込んでしまった」
部屋に緊張が走った。
その場にいる全員の目が、ジンに向けられた。
「アユミくんやロウくんのように、基本的には強靱な精神を持っているというわけではない――そういう者には、指定した時間を迎えたら狂気に駆られるという、時限爆弾のような魔術をかけることもできるんです」
地上から、かすかに歓声が聞こえた。
地下のこの取調室に届くくらいだから、実際は大歓声である。
違う――アユミは悟った。
これは悲鳴だ。
「来な、アユ」
ユキトが駆け出す。
「行け。俺が残る」
ロウの言葉にうなずいて、アユミはユキトに続いた。
ただならぬ喧騒が、庭園で沸き起こっていた。
たくさんの生徒たちが、我先に逃げ惑っている。お互いにぶつかり、足をもつれさせ、よろめきながら庭園の外周にへばりつく。
庭園の中央に、ぽっかりと空間が生まれる。
その空間で、倒れたテーブルや椅子、散らばった茶器やお菓子に囲まれて、ふたりの生徒が主役を演じていた。
蓬髪の男が、双つ結びの女子を背後から抱き押さえ、悪魔のように引き攣れた表情で、その女子の喉元に西洋剣を押しつけている。
巡視していた衛士が三人、刀を抜いて、凶行に走った男を遠巻きにしている。うかつに手を出せないのは、人質がいるからというだけではなかった。単純に、男の放つ鬼気のすさまじさゆえだ。
女帝――コノミを捕らえているのは、正気を失った目をしたカズヤであった。
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