剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

第2章 鏡のように曇りなく

1 事件

公開日時: 2020年9月12日(土) 10:00
更新日時: 2020年9月12日(土) 11:05
文字数:2,060

 張り詰めた空気が、アユミの肌をちりちりと痺れさせる。


 衛士団えいしだん本部三階の会議室に、二十人ほどの衛士が集まっていた。

 幹部たちは前に出て座り、平の衛士は起立している。アユミはヒトシと並んで部屋の後方にいた。同期の赤毛の少年も、アユミと同じく緊張の面持ちだ。


 むろん、これで全員ではない。たった今も、ゲオルギウス学院の構内や、周辺の市街地――シンバシ、ハママツチョウ、アザブなどを巡視している衛士がいる。

 団員の正確な人数を、アユミは知らない。極秘任務で他の地域ブロックに遠征しているという真の団長をはじめ、会ったことのない衛士がたくさんいる。

 学院から籍を抹消され、身分を隠し、トーキョーの各地で諜報活動に就いている者すら存在するという。ゲオルギウス衛士団のすべてを把握しているのは、ごく一部の幹部たちに限られていた。


 ――いや、あの人はどうかな。覚えてなさそう。


 怪しむ目線の先には、幹部席に着いている金髪の童顔があった。さすがに神妙な面持ちで座っている。

 そんなユキトの前に立っている、焦茶色の癖毛を長めに伸ばした、鋼の印象の男子は――


「――今の副団長がもし知らない人だったら、自分は絶対に近づきません」

 ヒトシの耳打ちに、アユミは「そうですね」と同意した。


 ふだんから無愛想ではあるのだが、今晩のロウは放つ気配も穏やかではなかった。双眸に冷え冷えとした光が宿っている。

 手にした書類に一瞬だけ目を落としてから、


「先ほど、ミナミアオヤマ一丁目の路上で学院生の死体が発見された」


 と、淡々と告げた。そして「殺人だ」と断じた。


 アユミの内臓がぎゅっと縮んだ。

 予想はしていたが、実際に副団長の口から聞かされると、やはり衝撃は大きかった。果たして、誰が。


「失礼します。関係者をお連れしました」


 アユミを呼んだのとは別の伝令係が、会議室に上がってくる。その後ろについてきた男たちを見て、アユミは息を呑んだ。


「剣道部の当麻トーマ=ザウエル主将と、顧問のジン=ウィリアムズ先生だ。――夜分に申しわけありません。どうぞ、こちらへ」


 灰色の短髪の男子と、黒ぶちの眼鏡の青年は、ロウの勧めに従って無言で椅子に腰を下ろす。

 トーマの精悍な顔が、蛍光灯に照らされて、黄ばんだような白色をさらしていた。

 いつも泰然として、ものに動じない幼なじみである。こんな血の気の引いたトーマの表情を、アユミは見たことがなかった。祖父のセイジが亡くなったときだって、もう少し気丈だったように思う。

 隣のジンはひたすら動揺していた。眼鏡をはずしてこめかみを揉み、かけ直して、指先を擦りあわせる。せわしない。五、六歳、老けこんだように見える。武道とは無縁そうな教師だから、名義だけの顧問なのだろう。


「被害者は十二年生の弘毅コウキ=ユンファ。剣道部副将で、アオヤマの寿光館じゅこうかんへ出稽古に行った帰り道だった。そうですね」

「ああ。コウキが学んでいた流派だ」


 トーマはしわがれた声でロウに答えた。


「被害者は頭頂から股間まで鋭利な刃物で断ち切られ、即死した」

「真っぷたつってこと?」


 ユキトの無遠慮な問いに、ロウはうなずいた。

 会議室に初めて、ざわめきの波が起こった。殺人そのものには、さして驚かない。殺され方を聞いてようやく反応する。これが衛士なのだ。


 生きた人間を両断することが、いかに困難か。

 実践したことはないが、アユミにも想像がつく。

 肉があり、骨があり、内臓がある。それらの全てが絶えず動いている。全てを断ち切る最適な角度で斬り抜けるのは、ほとんど偶然の域だ。鉄の塊を斬るほうが、コツをつかめばよほどたやすい。

 もし犯人が刃物で凶行に及んだのならば、相当な手練れであった。


「現在はアカサカ署の警官が周辺の訊き込みに回っている。通常通りこちらに必要な情報は卸してくれる。質問は」

「魔術の関与はあるのか」


 十二年生のミツハルが訊く。いかつい丸顔から、平常時の呑気な雰囲気は去っている。


「現場に漂う魔力の残滓ざんしは、通常の市街であり得る濃度だそうです。今の段階では何とも言えない」

「少なくとも〈旧魔術〉の呪殺などで、内側からひとりでに裂けたわけじゃないんだな」

「おそらく。魔術が使われたとしても補助的なものでしょう」


「ほーい」と、団長代理が手を挙げた。

「トーマに訊きたいんだけど」

「なんだ」


 トーマは顔をユキトのほうに巡らせた。


「そのコウキってどんくらい強かったの」

「俺を除けば、部で一番の腕前だった。自分で言うのもなんだが」

「いいじゃん。強いやつは強いって言ってこう」

「ユキトが言うと説得力があるな」


 トーマは努めて、ふだんと変わらない調子でしゃべっている。それが、アユミにはかえって痛々しく感じられた。


「コウキは簡単にやれる相手じゃないんだ」

「ああ。その意味でも信じられない」

「そっか。ありがと。――じゃあ、プロも洗わなきゃだめだね」


 後半の発言は、副団長に向けられたものだった。

 職業として殺しを請け負うシステムを確立している暗殺者ギルドが、トーキョーにはいくつか存在する。誰でも彼でも依頼できるような組織ではないが、本気で伝手つてを求めれば接触は可能だ。

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