剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

12 ある証明

公開日時: 2020年11月8日(日) 10:00
更新日時: 2021年3月20日(土) 20:58
文字数:2,232

「どうしたの、アユ」


 刀の留め金を外そうとしたユキトの左手に、アユミの右手が重ねられている。それをそのままにして、ユキトは優しく訊いてきた。

 アユミは息も絶え絶えに言った。


「駄目、です」

「何が」

「わたしが、です」


 アユミはユキトを見つめた。穏やかな表情だった。これからトーマと戦おうという人間とは思えないほど。


「休んで、俺を応援してて」

「嫌です」

「おい」

 ユキトは苦笑した。「やっぱりトーマに勝ってもらいたいの?」

「嫌です」


 アユミは繰り返した。


「ユキトさんが勝つのも、トーマくんが勝つのも、駄目です」

「俺とトーマに引き分けはあり得ないよ」

「違います。わたしがやらなきゃ、駄目なんです」


 アユミはトーマに目を向けた。

 トーマは右八双の構えを解き、自然体に戻っている。

 明鏡流めいきょうりゅうの道着を身につけたトーマを見ていると、この格技場が、長年親しんだ道場のように思えてくる。

 アユミがよく知っている、灰色の髪をした、背の高い、精悍な顔の、いつもアユミを鍛え、勇気づけてくれた、強くて、やさしい、当麻トーマ=ザウエル――

 しかし、その彼は今、アユミが初めて出会った剣客だった。

 その剣客は、アユミに会いに来たのだから、アユミが迎えなければいけないのだった。


「アユ、無理だよ」

「やります」

「アユ――」

「やります!」


 ユキトの言葉を遮って、アユミは腹の底から絶叫した。


ここであなたに! 何もかも任せたら! わたしもう生きてる意味ない!


 アユミの脳裏に、ヒトシのことが浮かんだ。

 治療院のベッドに横たわっている同期の仲間は、自分を護らなかった。衛士として、重要な手がかりである竜の仮面の確保にいのちを賭した。

 アユミも衛士だ。

 そして、その前に剣士だ。

 自分で選んできた役割をここで証明できなければ、衛士団長のユキトの前にも、明鏡流後継者のトーマの前にも、顔を上げて立っていられない。

 呼吸を整える。身体に熱が巡ってくる。

 トーマの一撃を受けて感覚を喪っていた手に、再び力が篭もる。

 アユミは右手を、ユキトの左手から、刀の柄に移した。


「――抜きな、アユ」


 ユキトは左手の親指で留め金を弾き飛ばした。


「――はい!」


 アユミはユキトが持つ鞘から逆手で刀を抜いた。

 業物の刀身が剥き出しになった。手入れは欠かしていない。この瞬間のために。

 手元でくるりと刀を回し、アユミは順手でしっかりと握り直した。


「トーマ、やっぱり代打はなしだ」


 空の鞘を振って見せて、ユキトは愉快そうに言った。


「そのようだな」


 トーマは唇の端を上げて、再び刀を構えた。


「でもちょっと残念。アユミもトーマくふぅーんとやりたかったなぁ」

「アユミはわたしですしそんなしゃべり方をわたしはしません」

 身をくねらせるユキトに、アユミは冷ややかに言った。「今度その真似にもなっていないおふざけをしたら、いくら団長代理でもいい加減に許しませんよ」

「何が『いい加減に』だよ。アユが俺に何か後輩らしい遠慮とかしたことあんの」

「やめますか、遠慮。やめてみてもいいですか」

「キレててテンション高えよ! こわっ」


 身を縮めて怯えた仕草をするユキトに、


「感謝するぞ、ユキト」


 そうトーマが言って「嫉妬もする」と続けた。


「嫉妬って、何で」

「俺はアユミをその気にさせられなかった。ユキトは、俺よりもアユミをよくわかっているらしい」

「バカなだけじゃね? アユは自分でやる気を出した。俺は何もしてないよ」


 ユキトは入口付近の壁際まで下がった。

 ここからは、アユミとトーマの時間だった。


 アユミに顔を振り向けたトーマは、唇を引き結んで、たちまち殺気を高め直す。

 この幼なじみが、アユミの中に何を見い出したのか。それは後で訊こう。話ができるような状態で終われるかどうかはわからないけど。

 アユミは刀に意識を集中した。

 雑念は自然に退いていった。



     *



「始まるところだね」


 中性的な声がして、ユキトは右隣を見た。

 銀色の長髪を垂らし、華奢な眼鏡をかけて、輝くような布でできた服を纏った男が立っている。


「どっから入ってきたの」

「もちろん入口からだよ」


 ユキトは、入口の右横にいる。

 つまり、ユキトの目の前を通らなければ、ユキトの右隣に来られるはずはない。


「ふーん」


 と言ったきり、ユキトはそれ以上、追及しようとはしなかった。


「お前、いくつ?」

「見ての通りだが」

「見たまんまじゃないから訊いてんだけど。百歳か。二百歳か」


 ユキトの問いに、男は肩をすくめた。そんな仕草も様になる、美しい男だった。


「わかるかね」

「わかるよ」

「ふつうは疑問に思わないものだが」

「俺は思った。何か文句あんの」

「とんでもない。さすが雪都ユキト=シュッテンだと感心していたのだよ」


 男は微笑んだ。人を不安にさせるような微笑みだった。


「お前がヤマザキ?」

「いかにも――いや、君たちはムメイと呼びたまえ」


 仮面の店のあるじは、対峙するアユミとトーマを観察した。


「アユミの本性が見られるのを愉しみにして来たよ」

「見たままじゃん、アユは」

 ユキトは不機嫌な声でいった。「ただアユがキレるところを見たいだけか。浅いなあ、お前」

「ほう、ユキトには彼女の本質が見えているのかね」

「だから本性とか本質とか、そんなの勝手な思い込みだってば。アユはアユ。そこにいるまんまだよ」


 こういう言葉をもっと本人に聞かせれば、ユキトへの印象はずいぶん修正されるだろう。しかし、今のアユミは勝負に集中しきっていて、外野の声など届いていない。


「見るんなら黙って見てな」

「では、拝見しよう」


 ムメイがそう言ったときだった。

 アユミが動いた。

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