翌朝、テレビと新聞で事件のあらましが報じられた。
ごくひかえめな扱いだった。「トーキョーで十八歳の男子学生が刃物で襲われて死亡した。警察は容疑者の行方を追っている」といった具合で、ゲオルギウス学院の名称も、コウキの名前も明かされない。凄惨な殺され方もぼかされている。こんな事件があったことは、すぐに世間から忘れられてしまうだろう。
学院の生徒が関わる事件に、警察や報道機関は積極的に介入してこない。
コウキの父であるユンファ議員が、ゲオルギウス学院の管理体制を糾弾することもできる。しかしその結果、学院の評判が落ちたら、めぐりめぐって誰の不興を買ってしまうかわからないのだ。
学院の関係者、卒業生は多岐にわたり、その中には〈貴族院〉の代議士より強い権力を持つ人間もいる。
身内の死は政治家にとって、必ずしも第一次の重要事項ではなかった。自分と、自分の一族の繁栄を存続させることが最優先される。だから、蛇がいる藪はつつかない。
マスコミも、大手のテレビ局や新聞社であるほど、営利商売という現実から逃れられない。学院が悪目立ちするのを厭う権力者によって会社が潰されかねない危険を冒してまで、ひとつの事件を報道することに拘泥しない。
要するに、学院は重要人物があまりにも多すぎて、一種の不可侵地帯と化しているのだった。
警察は衛士団に対して、ある段階までは協力を惜しまない。取り調べにも衛士を立ち合わせるあわせるなど、民間人――しかも学生の扱いとして、異例中の異例だ。
しかしそれは、実質的な捜査やその結果について、衛士団が一切の責を負うことも意味していた。誰かを裁く過程で、衛士たちが恨まれようが攻撃されようが、警察は関与しないという、暗黙の協定が形成されているのだ。
トーキョーに複数ある中でも、ゲオルギウス学院の衛士団が特に強力なのは、そのような巨大で隠微なパワーバランスの〈生贄の山羊〉であるからだった。
ただの〈羊〉では、食われてお終いである。学院を護り続けるために、羊の皮をかぶった〈狼〉であることを自然と課せられる。一般の学生とは毛色の異なる者たちが集まるのは必然であった。
*
一夜明けて、衛士団や教師たちが妙にあわただしい動きをしていることで、学院の内部でも事件の噂がたちまち広まっていた。上流階級の人々も――だからこそかもしれないが――ゴシップへの興味は尽きないらしい。
「アユミさん、あの『トーキョーの男子学生』って――」
朝の身支度をしながら、キョウコも尋ねてくる。
「全校集会で、詳しいお話がされると思います」
どう答えていいかわからず、そんな言い方になってしまった。
「怖いわね、この都市は」
キョウコは重い声でいった。「アユミさんも気をつけてね」
全校集会は、二時間めの授業を中止して行なわれた。
一年生から十二年生まで、三千人以上の生徒が大講堂に集まる。入学式や卒業式といった各種式典、講演会、音楽会などが催される、石造りの重厚な建物だ。天井には巨大な正五角形の採光窓が取りつけられている。
アユミは、舞台の右袖にいた。ヒトシとともにユキトの後ろに付き従っている。団長代理ひとりで衛士団としての用は足りるのだが、例によって、新人の後学のために連れてこられた。
大講堂はしばらくのあいだ、ざわめきが波立っていたが、
「みなさん、お静かに願います」
司会である生徒会役員の声がかかると、たちまち静まり返った。
十歳に満たない児童たちも、背筋を伸ばして口をきゅっと閉じている。さすが名門校と、アユミはおかしなところで感心した。大人のように礼儀正しい。
「それでは、理事長よりお話がございます」
黒いスーツの上からケープをまとった、小柄な初老の女性が壇上に現われた。
学院の最高責任者、千代子=フジワラである。通称マダム・チヨコ。
「すでに噂が流れているようだけれど、昨晩、痛ましい出来ごとがありました」
前置きなしに、チヨコ理事長は語りはじめた。
「これから衛士団長に説明をしてもらいますが、その前に、わたしから、みんなに聞いてほしいことがあるの」
マダム・チヨコはマイクを使わない。入学式のときと同じだった。ささやくようなしゃべり方なのに、その声は講堂いっぱいに――いや、ひとりひとりの耳元に響いている。全員がイヤフォンを装着したかのように。
マダムが優れた魔術師であることは、学院の常識だ。
何もないところから物体を出現させたり、自分自身が空間を飛び超えて移動したりするさまを、無数の人間が目撃している。声という名の空気の震えを、数千人の鼓膜に均等に転移させることなど朝飯前だろう。喪われた〈旧魔術〉の領域に深く身を置いている女性だった。
「このゲオルギウス学院は、よその学校と少し違っています。人と違っていると、褒められることもあるし、からかわれたりいじめられたりすることもあるわね。でも、人と違うということは、なんにも恥ずかしいことではありません。かといって、自慢するようなことでもない。違うということは、普通のことなのよ」
穏やかだが張りのある声に、アユミはじっと聴き入っていた。
「自分が人と違っていても、いばったり、いじけたりしないでほしい。人が自分と違っていても、それは当たり前のことだと思ってほしい。自分のことも人のことも、ありのままに愛することができる。学院のみんなにはそういう大人になってほしいと、わたしは思います」
初等部の子どもたちにもわかるよう、マダムは易しい表現を使っている。
なぜ、このような話をするのだろう。事件と直接は関係ないように思える。しかし、疑問符を頭上に浮かべる者はひとりもいなかったと、壇上から全体を見渡していたアユミは思う。
不思議と、今、聞くべき言葉のように感じられる。
この事件の根底に横たわる何かを〈旧魔術〉の徒であるマダムは、予言者のように幻視しているのかもしれなかった。
マダム・チヨコが話を終えて、ユキトが前に出た。
上衣を着て、ネクタイを締めている。これまで見た中でいちばんちゃんとした格好だと思っていたら、たった今、気がついた。スラックスの裾をくるぶしまでまくって、なんと来客用のスリッパを履いているではないか。サンダルすら履き忘れてくるのか。
上半身ばかりに目がいって、足元のチェックを怠ったことをアユミは悔やんだ。
――どうか真面目にお話ししてくださいね。本当に。
眼鏡を光らせて、アユミはユキトの背中に念を送る。
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