剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

6 剣道部

公開日時: 2020年9月2日(水) 09:30
更新日時: 2020年9月2日(水) 20:56
文字数:1,990

 ゲオルギウス学院には無数の部活動があるが、近年は剣道部の隆盛がめざましい。

 格技場の入口から、アユミはその稽古のようすを眺めていた。


 午後の授業がない学生たちが――あるけど出席していない者もいるかもしれないが――袴と防具を身につけて集っている。

 開け放たれた戸や窓から射しこむ陽が、板張りの床を白く光らせている。


 壁際で素振りをする一団がいる。高段者とおぼしき上級生も基礎練習を怠らないのは、当然のことではあるが、部長の指導力のたまものだろう。

 一対一で打ち合う者もいる。勝敗を決めるというよりは、技の研鑽という意味合いが強いようだ。

 懐かしい雰囲気だった。いまは真剣を携えるアユミも、初めはこうやって、スポーツとしての剣道で腕を磨いたのだ。


 アユミは部長の当麻トーマ=ザウエルを目で追いかけた。

 灰色の髪を短く刈った男子だ。背が高い。面をつけておらず、彫りの深い精悍な顔立ちが表にあらわれている。


 トーマは部員たちの間をゆっくりと見てまわり、指導に当たっている。

 こまごまと言い募りはしない。ときおり誰かに近づいて、構える竹刀の位置を直したり、自ら手本のかたちを示したりする。

 アユミには、何を指摘しているのかがわかる。

 もしアユミが指導者だったら、漠然と「何か違う」としか言えなかった人が、トーマによって具体的に修正されるのを見て、初めて「そうか、そこがまずかったんだ」と気づかされる。

 さすがトーマくんだ、と感心する。

 まさにその部分でつまづいている者にとっては、すぐに本質を理解できないかもしれないが、よい教えというのは必ず後から巨大な財産となることを、アユミはトーマとともに学んできたのだった。


 トーマの実家は、ナカノ区サギノミヤで明鏡流めいきょうりゅうという剣術道場を開いている。

 始祖であるトーマの祖父はすでに鬼籍の人となっており、トーマの父は剣術と関係のない仕事に就いている。現在は数名の高弟が師範代として道場を運営していた。

 来年、学院を卒業したら、トーマは明鏡流の二代目師範となる予定だ。


 アユミは八歳のときに明鏡流へ入門した。

 そのころから、ふたつ歳上なだけのトーマは、すでに大人と混じって厳しい稽古を積んでいた。アユミの目にはまぶしく映ったものだ。その輝きは、八年経ったいまも変わらない。

 尊敬する同門の先輩であり、兄のように慕っている存在なのだった。


 こちらに気づいて、トーマが近づいてきた。

 無造作な足どりなのに、正中線がいっさい揺らがない。武道や舞踊に通じている者ならそれだけで感嘆を惜しまない所作だった。


「どうした」

「調子はどうかなと思って」


 この国最大の高校剣道大会の地区予選が来月――六月から始まるのだ。十二年生のトーマにとっては最後の大会になる。


「アユミに見られると緊張するな」

「嘘ばっかり」


 アユミの身長は、女子としては高めの百六十七センチ。だがトーマは百九十センチ近くあるので、目線は自然と斜め上に向く。

 見上げるトーマは、いつもの静かで朗らかな笑顔を浮かべている。


「ちょっと出るか」

「いいよ。ごめんなさい、邪魔して」

「俺がいなきゃ稽古もできない部じゃないさ。一服しよう」


 アユミを、トーマはじっと見つめる。

 トーマくんはいつもわたしを真っ直ぐ見る、とアユミは思う。


「衛士の仕事があるのか」

「うん。――ううん」

「どっちだ」

「もうすぐ巡視だけど、いまは昼休み」


 アユミが答えると、トーマは部員たちに「少し外す」と告げた。


 格技場から少し離れ、アユミとトーマは遊歩道のベンチに腰を下ろした。

 稽古を私用で中座しても何も言われないトーマの人望と実力は疑うべくもない。とはいえ、やや奇異に感じる行動ではあった。


「本当にいいの」

「相変わらずだな」

「だって」

「アユミに会いたいと思っていた」


 アユミは目を見開いた。

 いままで、トーマにそんなことを真顔で言われた記憶はない。


「最近、気が張っていてな」

「大会が近いものね」


 トーマ自身のことを、アユミはまったく案じていなかった。この少年に勝てる高校生など、この国のどこにいるのだろうかと思う。

 ただし、トーマはひとりじゃない。一軍を率いる将だ。その肩には、何十人もの部員たちを預かってきた責任が重くのしかかっているのだろう。


「わたしといて、息抜きになるの」

「長い付き合いだからな」

 

 しばし、無言の時間が流れた。

 それが苦にならない相手なのだった。

 幼なじみの自分といることで気分転換できるのなら、望むところだった。

 自分も、トーマといると落ち着く。


 ただ、袴を身につけたトーマと、男子の制服を着て刀を携えたアユミの組み合わせは、通りすがりの学生たちの好奇の視線を集めるようだった。別に悪いことはしていないが、なんとなく気恥ずかしい。


「どうかしたか」

「ううん。――今年は勝てそう?」


 照れをごまかすように、アユミは訊いた。


「副将が闇討ちでもされなければ、全国には進めるだろう」


 剣道部主将はさらりと言ってのける。

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