アユミとヒトシは夜の巡視に就いていた。
近隣の街に出る日もあるが、今夜は学院周辺が担当である。
ゲオルギウス学院の敷地をぐるりと囲む石壁に沿って、ふたりひと組で歩く。武器を携帯しているのは言うまでもない。アユミは刀、ヒトシは小太刀を腰に提げている。
月がある。学院の時計塔の真上で、鮮やかな銀色に輝いていた。
基本的にシバコウエンは閑静な一帯である。住宅地でも商業地でもないから、この時間になると車の往き来も少ない。
「この生殺しの状態、正直言って疲れます」
ヒトシの言葉に、アユミも賛成だった。
「事件から、もう十日めですものね」
終わりの見えない警戒態勢は、気力の消耗が激しい。
しかし、待つというのは、剣士の重要な能力のひとつである。
歴史上の名勝負を紐解けば、一昼夜もの間、どちらかにわずかな隙が生じるまでひたすら睨み合った挙げ句、勝負はたった一太刀で決したという事例はままある――
そんなことをアユミが話すと、ヒトシは「ひええ」と息を吐いた。
「それ、もう剣術は関係なくないですか。単なる気力の勝負というか」
「でも、片方の実力が劣っていれば、出会い頭に負けてしまう。剣の腕が五分だから睨み合いになるわけです。その意味では、闘いとは出遭う前から始まっているのでしょう。実際の勝負は、それまでに積み上げた努力の『答え合わせ』みたいなもので」
「アユミさんは、自分とは違うなあ」
ヒトシが感心したように言う。だが、わずかに翳りのある声にも聞こえた。
「何も違いません。同期の衛士じゃないですか」
「でも、自分は五回落ちましたから。アユミさんは一発合格でしょう」
衛士の募集は入学シーズンに限らず、必要に応じて随時行われる。いつ欠員が出てもおかしくないからだ。怪我による離脱。自主的な退団。死亡という最悪の事態も、決して無縁ではない。それが衛士団である。
ヒトシは中等部――七年生からの入学組で、十年生になるまでの三年間、全ての機会を逃さず、試験を受け続けてきたのだという。
「やっぱり才能が違うんだな、自分とアユミさんは……」
「そんなことは――」
ありません、と言いかけたアユミは、いきなりヒトシが「ウォーッ!」と頭を抱えて叫びだすのに驚かされた。
「すいません、ウザいですね自分! こんな卑屈なことを言ってしまって――と言ってしまうのも『そんなことはありません』ってアユミさんに言わせるための誘導みたいでウザいっていうこの無限ループ! こんなんじゃダメだぞ自分! ましてアユミさんの前で! と言ってしまうのも以下略! タスケテー!」
「ヒトシくん?」
キョウコといい、ヒトシといい、自分と親しい同期生はいきなり錯乱する癖がないだろうか。わたしに何か相手を困らせる要素があるのかな――と、不安が胸にきざすアユミである。
すー、はー、と深呼吸をしてから、ヒトシは恐る恐るという感じでアユミを見やった。アユミも恐る恐る見返す。
「本当にすいません……」
「いえ、他人と比べて自分が何もかも劣っているように思えるときは、わたしにもあります。だから、わたしとヒトシくんは何も違いません」
「――心から言わせてください。アユミさんは立派な剣士です」
ヒトシは晴れ晴れと言った。その声に、さっき感じた翳りはなかった。
だから、アユミも「ありがとうございます」と笑顔で応えた。
「ヒトシくんは、なぜ衛士に?」
「人の役に立ちたいってのが一番ですけど――ユキトさんの下で働きたかったのが大きいですね」
「は?」
大きな声が出てしまった。
「アユミさんはいきなりユキトさんに認められて、あんなに親しく話せて――そこも凄いです。少し嫉妬します」
「嫉妬?」
「はい、羨ましいです」
「羨ましい?」
目を活き活きと輝かせるヒトシだが、アユミの目は眼鏡の奥で死んでいく。
「自分、変ですか」
「はい」
反射的に力強く肯定してしまい、慌てて言葉を付け加える。「いえ、ごめんなさい。それは、人それぞれですけど――」
「けど?」
面白そうにヒトシが訊いてくるので、
「ユキトさんが、そんなふうに尊敬される人には思えません」
同期に対する気易さで、アユミはかなりの本音を吐いた。
「明鏡流――わたしが通っていた道場――に稽古に来る、小学生のやんちゃな男の子みたいだから、つい先輩ってことを忘れちゃいます。わたしの態度は失礼かなって思うときもあるんですよ。でも気がつくと叱ってる」
「アユミさんにかかれば、あの魔人もやんちゃ坊主かぁ」
「魔人」
なんと大仰な――というのがアユミの率直な感想である。
「ふだんはあんな気さくな人ですけど、いくつもの伝説があります。アユミさん、ロッポンギの『生屍体事件』って覚えてますか」
「はい」
二年ほど前、対立する暴力団の抗争が激化し、ついに夜の繁華街で、両団体合わせて六十余名の組員が刀剣や銃火器で殺傷し合ったのだ。一般人に負傷者がいなかったのが奇跡的な騒動であった。
そのような抗争事件そのものは、トーキョーでたびたび起こってきた。
しかし、一方の団体が〈旧魔術〉によって仮の不死状態にされた、いわゆるゾンビーと化した兵隊を投入したことは世間を騒然とさせ、俗に「生屍体事件」と呼ばれるようになった。
明鏡流の道場でも、剣で火器と闘うにはどうしたらいいか、集団との乱戦をどう生き残るべきか、生屍体の動きを止めるにはどう斬ればいいか――など、さまざまな角度から話題になった記憶がアユミにもある。
「あれを収めたのは、ユキトさんです」
と、ヒトシは言った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!