「ユキトォ、出てこい!」
カズヤは叫んで、コノミをさらに強く引き寄せた。
もともと険のある顔が、狂気に引き攣っている。街でこんな男が向こうから歩いてきたら、誰もが目を伏せてやり過ごすだろう。
「誰も動くなぁ! 見ろ、これから起こることを目に焼きつけろ」
そんな脅しをかけられて、庭園にいた生徒たちは逃げるに逃げられない。コノミの仲間たちも身を寄せ合って、女帝を心配そうに見守っている。
この人が――アユミは蓬髪の男子を、怒りと恐れを持って見つめた。
このカズヤが、ジンから竜の仮面を与えられて数々の兇刃を振るった張本人か。そして今、ジンにかけられた精神崩壊の魔術によって暴走し、この事態を引き起こした。購買部で恥をかかされた恨みが、コノミを人質に選ばせたのだろう。
「お前! 誰にこんな真似をしているか理解していて? 身の程を知りなさい」
西洋剣を背後から喉元に当てられて、こんな台詞が飛び出すコノミも、ある意味で大したものだった。行為への恐怖より、自分の扱いへの憤りが勝っているらしい。女帝の名前にふさわしいと言えば言える。
「呼んだ?」
ユキトはいつもの調子で言う。
庭園にいた生徒たちの目が、いっせいにこちらに注がれた。
巡視の衛士たちが「申しわけありません!」と声を上げる。
「ロウが、こいつも含めて怪しそうな何人かに、見張りをつけてたはずだけど」
ユキトの問いに、衛士のひとりが痛ましそうに答える。
「いま確認中ですが、おそらく――」
「やられちゃったか。そのまま見ててね。アユも」
ユキトは前に出た。
「来たな!」
カズヤの声には喜びすら感じられた。
「ユキト、遅い! 早くこの下郎を何とかしなさい!」
コノミが召遣いに対する口調で命じる。
「んー」
ユキトは唸って、首をかしげた。
皆が固唾を呑んで見守ったが、
「どうしよっかなー」
放たれた言葉は、さらに一同を静まり返らせた。
囚われたコノミも、威しているカズヤも、あっけにとられた表情で、
「ふざけてる場合じゃありませんわ!」「きさまぁ、どこまでふざけている!」
ほとんど同時に叫ぶ。奇妙な意志の統一だった。
「あなた、団長代理でしょう!」
「早くコノミさまを!」
コノミの取り巻きたちも急かすが、ユキトはとんでもないことを言い出した。
「コノちゃんズ、アユが生意気だって、圧をかけてるんでしょ」
待機しているアユミは絶句した。こんなに自分の名前を挙げてもらいたくない状況が他にあるだろうか。
「コノちゃんのせいでストレスが溜まったアユが、今度は俺に厳しくする。よくない流れだよねー。憎悪の連鎖っつうの、こういうの?」
「俺は本気でやる! 舐めるんじゃあないぞ!」
カズヤが剣をコノミの首に接触させた。少しでも刃を引けば、血が流れる。
正気こそ欠いているが、カズヤの手や身体に震えは生じていなかった。その意味では落ち着いている。つまり、やると決めたら本当にやる。
「何を言っているの! 助けなさい! ほら!」
カズヤの本気を察したからか、ユキトがこうだからか、コノミの声に初めて怯えが混ざった。
「お前、我が家から学院に毎年いくら寄付しているかわかっていて?」
切羽詰まったせいか、若干せこいことも言い出した。「衛士団の資金が潤沢なのもわたくしのおかげですわ! わたくしに万が一のことがあれば、それは衛士団の危機! わたくしを助けることはお前の責務! さあ、早く!」
「寄付ってそういうもん? じゃあ別に要らない」
「何ですってぇ! ユキト、お前はぁ!」
「お金が足りなきゃ俺がバイトする。学院を辞めて傭兵になって〈東北海道〉の〈内戦〉に参加でもしたら、けっこう稼げると思うよ。俺、最強だし」
コノミもたいがいだが、ユキトの返事もいろいろとおかしい。
ユキトは揺るがない。よくも悪くも。だらしない服装も、ゆるい表情も、普段と変わらない。
もう黙っていられない。自分が行こうと踏み出したアユミを、
「待て」
やって来たロウが制した。その後ろに、衛士ふたりに守られたマダム・チヨコもいる。
「ユキトに任せろ」
「ですが」
「見ていろ。なぜあいつが団長代理なのか、わかる」
こちらも揺るがない。ユキトに任せて事態が収束すると信じている。いや、信じるという希望的観測で、この副団長は動かない。
「なあ、ロウ」
ユキトが首を回して、肩越しにロウを見やった。
「俺が甘かったのかな。俺は学院のみんなが好きで、だから、カズヤみたいなやつも護りたかった。それって、甘い願いなのかな」
そのまなざしに、アユミは胸を突かれた。
不意にそんな目で、そんな言葉を。
――あなたは一体、何なのですか。
「お前なら、いつか叶うかもしれん。だが今日は無理だ」
ロウが厳かに告げ、
「そっか。ロウが言うなら、そうなんだろうな」
ユキトは微笑んだ。
そして、カズヤのほうに顔を戻した。
「何をごちゃごちゃとやっている! 俺を無視するんじゃあない!」
カズヤが唾をとばしてわめく。
「いつもいつも、その余裕ぶった態度! 大物を気取るための小芝居だろうが。きさまのような男がのさばっている衛士団も学院も、実に腹立たしい」
「俺のほうが腹立ってると思うよ」
ユキトは静かに応えた。
アユミは息を呑んだ。身体の芯が凍えた。
その声。
初めて聞く響き。
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