アユミはキョウコといっしょに寮を出た。
外は晴れていた。
五月はアユミの好きな季節だ。とくに今朝のような、陽ざしの暖かさとそよ風の涼しさをいっぺんに味わえる日は、気分も晴れやかになる。
鮮やかな青色の空の下を、初等部の児童たちから最高学年の十二年生まで、たくさんの生徒が行き交っていた。石畳の遊歩道だけでなく、芝生を横切って駆ける者も多い。登校の時間帯だった。
学院の敷地は、とにかく広い。ミナト区シバコウエンの全域にまたがっている。
三つの寮と十を超える校舎の距離は、それぞれ異なっているが、いくら遠くても遅刻の理由にはならなかった。余裕をもって朝の支度を済ませるのも、ゲオルギウス学院の生徒として当然の義務というわけだ。
煉瓦づくりの寮の前庭には、学院の名前の由来となった〈聖ゲオルギウス〉の銅像が建っている。
邪龍を退治したという古代の守護聖人は、剣を掲げ、今日も学院を無言で見守っていた。
「衛士のアユミさんは現代の聖ゲオルギウス。わたくしたちを守護してくれている」
大仰な称賛はとどまらず、キョウコは拳を握りしめて宙を見据えた。「いつか学院にアユミさんの銅像も建つわ。いいえ、わたくしたちが必ず建ててみせる。待っていてね」
「あの、キョウコさん」
「うん」
「気を確かに」
「わたくしは真剣よ」
上流階級の女子の考えることはよくわからない。
「それではアユミさん、ごきげんよう」
キョウコは優雅に一礼して、第八校舎――通称〈ハチコウ〉のほうへ歩いてゆく。魔術系の授業が行なわれる校舎だ。
その背中を見送ってから、アユミは逆の方向に足を向けた。
アユミとすれ違う学生たちの反応はさまざまだった。
ごきげんよう、ご苦労さまと挨拶してくる者もいれば、さりげなく顔をそむけて避ける者もいる。
衛士は尊敬と同時に、畏怖の対象でもあるのだ。
五分ほど歩いて、衛士団の本部に到着した。
鉄筋コンクリートで組み上げられた武骨な三階建てだ。高名な魔術師ギルドの手による精密な呪紋を刻まれた心材をふんだんに用い、霊的な防御が万全だという。
入口には歩哨が立っていた。学年の上下を問わない当番制で、アユミは明日の午後に務めることになっている。
今日は九年生の飛年=リビングストンだった。
眉毛の太い、いかにも元気そうな少年だ。赤い髪を短く刈りこんでいる。
腰に刀を提げているのはアユミと同じだが、刀身の長さが異なっていた。二尺二寸――六十センチ強の、小太刀と呼ばれる種類である。
「アユミさん、おはようございます!」
ヒトシの快活なあいさつに、アユミも明るく「おはようございます」と答えた。
ヒトシはアユミといっしょで、この春に入団したばかりの新人衛士だった。
もっとも、ヒトシは七年生から――つまり、中等部からの持ち上がりの学生である。衛士としては同期でも、学院生活においては先輩なのだ。
それでも「アユミさんは学年が上ですから」と、よく敬意を払ってくれている。
「あの、アユミさん」
ヒトシは直立不動の姿勢をくずさない。歩哨の鑑である。「自分に敬語を使わなくてもけっこうです」
「気にしないでください。ふつうにしゃべっているだけですから」
アユミは身分証明書を取り出した。竜と剣が組みあわされた紋章が陽光に光る。ゲオルギウス衛士団のシンボルマークだ。
「かまいません! どうぞ、このままお通りください」
きびきびとした所作で、ヒトシは道を開けようとする。
「いけません。規則ですから。わたしが贋者だったらどうするんですか」
身分証明書をきちんと提示しながら、アユミは言った。
贋者――そんなまさか、と、言い切れないのがトーキョーの実情であることは、ヒトシだって理解しているはずだ。だからこそ、衛士団なる組織が存在する。変装の手段はいくらでも存在する。ヒトシに幻術をかけるという方法もある。
しかし、赤毛の少年は断言した。
「自分にはわかります。まちがいなくアユミさんです」
「わたしって、そんなに特徴がありますか」
「特徴というか――」
ヒトシは首をひねって、「全体的に『アユミさんらしい』としか」
「変ですか、わたし」
こんなことを尋ねたくなったのは、キョウコの過剰な賞賛を浴びた直後だからだろう。
「変じゃないです! ぜんぜん! 自分はとてもいいと思います」
ヒトシは力強く言った。耳が赤い。暑がりなのか。
「はあ、そうですか」
「髪型も似合ってますし、眼鏡も似合ってますし」
「ありがとうございます」
「制服も似合ってますし、つまり、その」
「ヒトシくん」
「はい!」
「もういいですから」
「えっ」
「無理しなくてもいいですよ」
ヒトシはとてもいい人なのだが、少しお世辞が過ぎるところがある。訊いても参考にはならなさそうだ。
「いや、あの、無理とかではなく」
「では、失礼します」
敬礼をして、アユミは建物に入った。
その背後でヒトシが頭を抱えて肩を落としていることには気づかない。
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