「ご来店ありがとうございました」
ウラヨコの路上で立ち尽くすアユミに、慇懃な声がかけられた。
振り返ると、異形の仮面をつけた門番が、アユミとロウの刀を手にしていた。客の見送りのために居残ったらしい。
「こちらをお返しし、お二方がお持ちのものを預かります」
ふたりは刺客から奪った刀を渡して、自分たちの刀を取り戻した。
不穏な物々交換だが、行き交う誰もまるで気にしない。ただの武器など、ここでは特に興味を示されないのだった。
「あと、こちらをお渡しするようにと、店主より言いつかっております」
門番が一通の封筒を差し出した。
受け取ったアユミは「なぜ、あんな人のもとで働いているのですか」と訊かずにいられなかった。
この門番は、ただ者ではない。おそらく、アユミたちが退けた刺客たちより遙かに腕が立つだろう。まっとうな警備や護衛の仕事はいくらでも見つかりそうだが――
「待遇がよいので。具体的に申せば、給金が多く休みもあります」
あまりにもシンプルでわかりやすい理由に、アユミも毒気を抜かれて、それ以上何も言えなかった。
「それでは、失礼いたします」
門番は一礼してきびすを返し、たちまち雑踏の中に紛れていった。どこへ戻るのかはわからなかった。あんな精霊じみた仮面をつけていても、さらにおかしな格好の連中の群れに埋没してしまうのが、ウラヨコであった。
アユミとロウは外に出た。
アユミは陽射しに目を細めた。雑居ビルのドアを一枚隔てたアメ横は、アユミの知る日常の風景だった。
手の甲に刻まれた入場許可証は、ひとりでに消えていた。ドアを開けてみたが、外観から想像できる狭い廊下に繋がっているだけであった。
幻のような体験だった。
封筒だけが、ウラヨコに行って帰ってきた唯一の証拠だ。
開けてみた。
「――そんな!」
中から出てきた写真を一目見て、アユミは小さく悲鳴じみた声を上げ、ロウは険しく眉をひそめた。
*
今日のゲオルギウス学院は、本来なら、図書館主催の朗読会が盛大に行われているはずだった。
延期を不満に思ったらしい好珠=アングラードとその仲間たちが、個人的に庭園でお茶会を開いているくらいで、学院は静かな昼下がりを迎えていた。
アユミは衛士団本部にいた。
すでに制服に着替え、地下にある取調室の隅に立っている。
対角線上の角では、椅子にユキトが逆さに座って、背もたれに肘をついている。
武骨なテーブルをはさんで、ロウと、衛士団が呼び出した人物が向かい合っている。
ムメイが寄こしてきた数枚の写真を、ロウは対面の相手に見せた。
あの美しく禍々しい男から竜の仮面を購入している者が、遠く近く、さまざまな角度から映っている。とても隠し撮りとは思えない。魔術か、あるいは〈旧科学〉による高性能カメラの仕業と思われた。違法なショップの主として、当然の保険ということか。
「こちらは、先生ですね」
「はい。ぼくです」
あっさりと首肯したのは、陣=ウィリアムズ教師だった。
平静を装っているが、アユミは膝の力が抜けそうになっていた。
剣道部の顧問が、部員の殺害に関与しているとは。
事件が起こった夜、打ちひしがれてトーマに慰められていたのが、完全な演技だったとは思えない。あれは単純に、自分がしでかしたことへのショックで茫然としていたのにすぎなかったのか。
ウエノから学院へとって返し、教員寮へ押しかけて、本部への同行を求めたときも、あっけなく応じていた。落ち着いているというよりは、きょとんとして自分の置かれた状況をわかっていない様子に、やはりムメイの写真はこちらを攪乱させるための捏造ではないかとアユミは疑い、むしろ安心しかけていたのだ。
しかし、ジンは大きくため息をついて、かすかに笑った。
「衛士団の捜査能力はすごいですね。こんなに早くヤマザキの店に行き着くとは思わなかった。やつも面白がって、あっさり教えたんだな」
妙に余裕のある、さばさばとしたジンの態度に、アユミの胸の奥がざわついた。何だろう、この嫌な感じは。既視感がある。
「どうしてですか」
アユミは思わず口を挟んでいた。「自分の教え子ですよ」
「ぼくの教え子ではありません。顧問は名前を貸しているだけ。実質的な部の運営は、みんなトーマくんがやっています」
拗ねた子どもみたいな理屈に、アユミは唇を噛んだ。
好きな授業の先生だった。この国の歴史を伝える丁寧な話しぶりに、静かな情熱を感じていた。教師という役割を外れれば、こんな青年だったのか。
「まあ、トーマくんには申し訳ないことをしました。部はよくて活動停止。廃部も大いにありえる」
「先生――あなたは!」
剣道への愛着が弱いのはいい。それでも、自分がひとたび預かった集団の行く末に対して、対岸の火事のような言い草は赦しがたかった。
そして、個人的な怒り――この人のせいで、トーマくんが賭けてきたものが!
「アユミ」
ロウが手を挙げて制止しなければ、ジンに食ってかかっていただろう。激昂を抑えるためには、ひとつ深呼吸を要した。
そして、気づいた。同じような思いを、午前中にしてきたばかりだった。
今のジンの、神の視点に立って物事を論じるような不遜な態度は、どこかムメイに似ているのだった。
「先生が直接やったわけじゃないよね」
ユキトが、だらしない座り方のまま、いつもの口調で問う。
「仮面を被って斬ったのは、誰?」
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