「先生が自白したか」
トーマの問いに、ユキトは笑顔のまま「違うよ」と答えた。
「ジン先生はおまわりさんの取り調べに、一晩中、ぜぇんぶ、自分とカズヤがやったって言い続けてた」
「……そうか」
トーマはつぶやいた。ジンをここまで巻き込んでしまったことは、心中の剣鬼に取り憑かれた今のトーマにも、後悔があるのかもしれなかった。
「まぁ単純に、学院の人間でコウキをやれるのは、衛士団の者か、武道系の部活の何人かか――あとはもう、トーマしかいないよね。俺とロウが名推理しなくても、いつかお前には行き着く。なら、その前に――」
アユミを一瞥して、ユキトは言った。
「早くやらなきゃ。でしょ?」
「ああ――そうだ」
トーマとユキトの間には不思議な共感が流れているように、アユミには思えた。トーマの真の目的を、ユキトはなんとなく勘づいていたらしい。名推理というなら、むしろこちらの方である。
ユキトは突っかけた靴を脱いで、格技場に上がった。
素足でペタペタと板張りの床を踏み、アユミの刀を拾い上げた。鞘の罅割れを見て「トーマとやってこれで済んでんの。頑丈だなこいつ」と感心する。
トーマは出て行くのをやめて、そんな金髪の少年を見守っている。
ユキトは、アユミのそばにやってきた。
表情を消して、見下ろす。アユミを助け起こす様子はない。
刀の鞘を持ち、柄をアユミに差し出して、
「抜きな、アユ」
「……嫌です」
上体を起こし、腕をこすり合わせて感覚を取り戻そうとしながら、アユミは反抗した。
「わたしの剣は、人を斬るためじゃなく、護るためにあるんです」
「うるせえって。綺麗ごと言ってんじゃないよ」
軽やかに厳しく、ユキトは言った。
「人を無駄に斬らないって信念そのものはいいさ。えらい。でも、今のアユはぜんぜんえらくない」
「わたしが弱いから、ですか」
「ばぁか」
ふだんガミガミ言われている鬱憤を晴らすかのように、ユキトは悪態をつく。「最強の俺より弱いのは当たり前。そんなことは関係ないよ」
ユキトはアユミの刀を自分の目の前に掲げた。
留め金を掛け、鞘に収められた、抜けない刀を。
「アユが抜かないのは、トーマを斬って自分が傷つくのが怖いからだ。この変な金具と割れた鞘は、アユを護ってるだけだ」
アユミは稲妻に打たれる心地で固まった。
「アユ」
「……はい」
「自分を護るのが衛士じゃない。あのとき言ったじゃん」
ユキトは懐かしそうに微笑んだ。
「キャンディ、弁償しろよ」
眼鏡の奥で、アユミは目をいっぱいに見開いた。
*
――どうやって、こわい男の人をやっつけたんですか。魔術?
――剣だよ。いつもは持ってないから、これでやったけど
――こわくないの?
――怖いときもあるよ。でも、自分を護るのが衛士じゃないからさ
*
あの果敢な〈少女〉の顔と、目の前の少年の顔が、初めてぴったりと重なる。
「覚えてるじゃありませんか……!」
「試験のとき、びっくりした。あのときの子が学院に来るなんて思わなかった」
「そういうことは言ってください! あなたって人は、本当に――」
「アユ、好きだよ」
「…………」
こんな極限状態で、こんな巨大な驚愕に襲われて、さらに。
もう絶句するしかない。
「俺は学院のみんなが好きだ。だから、アユも護ってあげる」
そういうふうに言ってから、ユキトはトーマに向き直った。
「俺がアユの代わりにやるか」
トーマはあっけにとられた表情になった。
その精悍な顔が、しだいに、子どものような喜びの色に染まっていく。
「いいのか」
「いいよ、トーマくふぅーん。アユミとしよう?」
平時ならアユミが本気でひっぱたきたくなるような台詞を裏声で言いながら、ユキトは刀の鞘を左手に持って、腰の高さに下ろした。
全身の力をほどよく抜いて、いつでも右手で抜ける体勢になる。
「お前なら、ハチジュッパーでも壊れないかな」
ユキトが八十パーセントの力を出せるというのは、トーマに対する高い評価なのか、この期に及んで不敵過ぎる物言いなのか。
「ユキト」
「なに」
「百パーセントの本気を出してくれないか」
「それは、そっちしだいだなぁ」
「そうか」
「うん」
「頑張って、出させてみよう」
「楽しみだな」
「そう思ってくれるか」
「期待できるね、トーマなら」
「光栄だ」
「俺はいつでもいいよー」
「わかった」
言葉だけを聞けば、リラックスしたやりとりだった。しかし、ふたりの放つものが、格技場の空気を硝子のように固く、脆く、張り詰めさせていく。
トーマが両手で刀を握り、右肩のそばに立てた。右八双の構えだ。
ユキトの左手の親指が、刀の留め金に触れる。
その手を、横から伸びた手が乱暴につかんだ。
よろめきながら立ち上がったアユミの手だった。
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