剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

7 ウラヨコ

公開日時: 2020年10月2日(金) 10:00
更新日時: 2020年10月3日(土) 23:32
文字数:2,036

 アユミはあぜんとした。

 雑居ビルの内側には絶対に収まらない規模の、もうひとつの街が広がっていたのだ。手の甲に貼りつけた呪紋は、ここに転移するための許可証であったか。

 アーケード街だった。雰囲気は、表のアメ横に似ている。

 しかし、店先に並ぶ商品は大いに異なっていた。

 奇怪な植物、鉱物、古書、何らかの機械やその部品、生前はどんな姿をしていたのか想像できない謎の動物の頭蓋骨など、アユミには用途がわからない代物ばかりだ。魔術研究の衛士であるワタルの部屋のようすが思い出された。


「これが――」

 と、アユミはロウに言った。「ウラヨコですか」

 ロウはうなずいた。


 裏のアメ横――ウラヨコ。

 違法な魔術用品を扱う闇市場であった。

 ここに至るためのゲートは、日替わりでさまざまな場所に設けられる。今日はあのビルの入口のドアであり、本日限定の通行証をロウは入手したのだった。

 私服で来た意味をアユミはようやく実感した。ゲオルギウス学院の灰色の制服は、ここではあまりにも場違いだ。


 ロウに付き従って、アユミは魔性のまちを歩き出した。

 行き交う客も、危険な気配を漂わせている。

 五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラム鉤十字スワスチカといった魔術記号を顔やら腕やらに彫っている者が目についた。

 よく鍛えられた裸の上半身――その背中に「セフィロトの樹」の図案を背負っている男性もいる。

 額の中央に「第三の目」を輝かせる女性もいて、これはさすがに驚いた。ボディピアスのような作り物の装飾を埋め込んでいるだけなのか。あるいは。

 全員が奇妙ビザールというわけではない。日常的な風体の人もいる。

 くたびれた服装の陰気そうな青年は、魔術マニアなのだと思う。スーパーマーケットに買い物に来たような感じで、奇妙な色彩の薬草だか毒草だかを吟味している中年女性は、逆に何者なのか見えてこなくて怖ろしい。


「あの、副団長」

 小声で訊いた。「なぜ、わたしを」


 ここの捜索にもっとふさわしい、歴戦の衛士は他にも大勢いる。


「ユキトの指示だ」


 ロウの返答に、アユミの胸がちくりと痛んだ。

 治療院で言い争って以来、ユキトとはあまり話していない。

 向こうは気にしていない素振りだが、アユミのほうにわだかまりがある。

 自分が衛士として感情的すぎたと言われれば、その通りなのだ。理屈ではわかることが納得できないのは、アユミが勝手に裏切られたような気持ちでいるからだった。おかしな話だが、ユキトには――ヒトシの負傷に、もっと団長代理らしからぬ動揺を見せてほしかったのだ。


「俺も賛成した」


 ロウはそう言ってくれた。指示だから嫌々連れてきたのではない、と。


「アユミは、見られるものをすべて見たほうがいいだろう」

「――ありがとうございます」


 自分は、護られている。まだ、護られながら学んでいく段階だ。どこかでそれを見失っていたのかもしれないと、アユミは思った。


 左右に目配せしながら進んでいたロウが、立ち止まった。

 遊牧民の住居のような、中が見えないテント状の店舗の前だ。入口のそばに門番キーパーのように立っている男を見て、アユミはハッとした。

 黒いスーツを着て――民芸品じみた異相の仮面を被っている。

 仮面。


 ロウが店に近づくと、門番の男はさりげなく入口を塞ぐように立ち位置を変えた。できる、とアユミは思った。訓練を積んだ者の足さばきだ。


「失礼ですが、武器は預からせていただきます」

「俺も連れも手ぶらだ」

「視えないだけで、お持ちですね」


 門番は確信を持って言った。

 ロウはアユミを見て「迷彩を外せ」と言った。

 不安だが、副団長の判断だ。アユミは空っぽの腰に手をやって、思念を篭めた。

 提げている刀が現われた。

 出かける前に衛士団で施してきた〈魔術迷彩〉も、このウラヨコでは通じないようだった。ロウも自分の刀を出現させる。

 ふたりの刀をうやうやしく受けとって、門番は「お帰りの際に、間違いなくお返しします」と言い、元の位置に退がった。

 ロウとアユミは垂れた布をかき分けて、テント状の店内に足を踏み入れた。


 アユミはため息をついた。

 ウラヨコは、見た目通りの広さではいけない規則でもあるのだろうか。

 二百人が座れる学院の大教室と同じくらいの空間が広がっていた。天井の高さもたっぷりと確保されている。壁も床も真っ白で、遠近感が狂いそうだ。

 等間隔でガラスケースが並べられている。

 その中に、さまざまな仮面が行儀よく収まっている風景は、美術展か何かを連想させた。


「副団長!」

「ああ」


 ふたりの目はケースのひとつに吸い寄せられた。

 その中身は、ヒトシが奪取したものと非常によく似た形をしていた。竜を象った仮面。被る者の精神から殺人の禁忌を取り除く、狂戦士バーサーカー造りの呪具だ。


「ようこそ」


 どこからともなく、色気を含む声がした。


「さすが学院の衛士。ウラヨコにも容易たやすく入れるのだね」


 背中に電流が走る心地で、アユミは入口のそばまで飛び退いた。いざというときの逃走経路を確保する、反射的な行動だった。

 ロウは慌てず、ゆっくりと視線をめぐらせた。

 空間の奥に人影があった。間違いなく、一瞬前まではいなかったはずの。

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