剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

12 君に誓う

公開日時: 2020年9月22日(火) 10:00
更新日時: 2020年9月22日(火) 11:11
文字数:2,088

 規模は小さいが、斯界しかいで確固たる評価を得ている明鏡流めいきょうりゅうのもとには、ときおり己の名を上げんとする道場破りが訪れる。


 アユミが中学二年生のときだった。セイジ師範が亡くなった年である。


 ――ぜひ一手、ご教授願いたい。


 そんな道場破りの常套句を述べて現われたのは、ある新進流派の師範代だった。三十代前半の男。実力に経験が加味されて、もっとも脂が乗った時期だ。

 セイジさえ存在しなければ、他の門弟には勝てると踏んだのだろう。確かに、超がつく高齢にもかかわらず、セイジの力は群を抜いていた。

 ただし道場破りは、セイジの孫がまだ少年だと見くびっていた。

 その真価を見誤らなければ、トーマが学院から帰省している時期も避けたはずだ。


 トーマは道場破りを一蹴した。


 逆上した男は、観ていたアユミに斬りかかったのだ。眼鏡をかけた細身の少女――居並ぶ門弟の中で、いちばんくみしやすそうに見えたのだろう。

 決して腕の劣る男ではなかった。トーマが強すぎたのだ。アユミも他の門弟たちも完全に不意を突かれ、迫る死の一刀に、アユミは頭が真っ白になった。


 気がつけば、右腕の肉を骨がのぞくほど斬り裂かれた男がのたうち回っており、アユミは男が持っていたはずの刀を手に、立ち尽くしていた。

 状況が少しずつ頭に染みこんでくる。


 床に散る大量の血飛沫、

 男を取り押さえる門弟たち、

 アユミの手からそっと刀をもぎ離すトーマ、


 自分が相手の武器を奪って斬りつけた――それ以外の解釈はないことを悟った瞬間、アユミは再び気が遠くなって倒れた。

 道場破りもアユミも、我を忘れていたがゆえの惨劇だった。

 このころには、伸び悩んでいたことへの迷いも晴れ、少しは強くなったつもりでいた。だが、心は未熟なままだった。なまじ技術は向上していただけに、無用に相手を傷つけてしまった。

 警察沙汰にはならなかった。十六歳の少年に負けた腹いせに十四歳の少女を襲って、さらに返り討ちに遭ったのだ。こんなみじめな事実が公になれば、男が属する流派にとって致命的である。


 それから半月ほど、アユミは刀を執らなかった。

 自分の弱さに怯えた。

 このまま辞めてしまうことすら考えた。両親はそれを望んだ。


 でも、棄てられなかった。

 明鏡流が好きだった。自分から逃げるのが嫌だった。



     *



「まだ、少し怖いんだ」


 声が震えるのをアユミは自覚した。喉に力を篭めて震えを抑え、


「でも、もう誰も不用意に傷つけない。傷つけなくても済むくらい、必ず強くなる。それまでは――」


 留め金は、そんなアユミの自戒の証であり、誓いの形なのだった。

 そのことについて、トーマはもう、何も言わなかった。

 ただ「抜いてもいいか」と訊いてきた。アユミはうなずいた。


 留め金をはずして、トーマはゆっくりと刀を抜いた。


「大した業物わざものだ」


 小窓から射しこむ陽光に刃をかざして、感嘆する。


「古刀じゃないな。麗市レイイチあたりか」


 トーマは銘を確認するまでもなく、刀工の名前を言い当てた。

 レイイチはまだ三十代の、新進気鋭の刀鍛冶である。〈戦前〉に精製された合金なども大胆に用いつつ、あくまでも伝統的な製法に則って質実剛健な刀を打つ、若き匠として注目されている。


「高かったろう」

「ローンを組んでもらって、なんとか」


 奨学金の一部を返済に宛てている。

 トーマは〈仮想球かそうきゅう〉に手を伸ばした。


「使い方はわかる?」

「以前に衛士団から借りたことがある」


 アユミは退がった。兄弟子の技を見るのは久しぶりである。

 トーマが思念を凝らすと、墨色の水晶球が淡く光り、西洋剣バスタードソードを手にした影が立ち上がってきた。

 巨漢だ。百九十センチは下らない。でくの坊を喚び出したわけではないのは、放たれる殺気でわかる。


「シッ」


 鋭い呼気とともに、何の予備動作もなく、トーマは右手で刀を振った。

 たったそれだけの、誰でもできそうな動きに、見ているアユミは完全に虚をつかれた。対面していれば、ただ棒のごとく斬られていたに違いない。誰でもできそうで、誰にもできない。無駄がない。だから美しい。それが技と呼べるものだった。トーマが動けば、それが技になるのだった。

 もちろん仮想の敵も反応できず、音も立てずに斜めに斬れた。

 少し間を置いて、ゆっくりと身体の上部が切断面を滑って、ごろりと転がる。

 力まかせでは決して成しえない、研かれた技の凄みだった。


「手入れは怠っていないな」


 自分の技の成果にはさして関心を払わず、トーマは刀を眺めてうなずいた。


「無闇に抜かなくてもいいさ。でも、錆びつかせるなよ。斬らないのと斬れないのは違う」


 錆びつかせるなとは、刀のことでもあり、アユミのことでもあっただろう。


「うん」


 アユミはうなずいた。

 この尊敬する少年が、一人前の剣士と認めてくれていることに恥じぬ自分であろうと、誓いを新たにした。



     *



 そして、トーマと別れて衛士団本部に向かう道すがら、アユミは思ったのだ。

 状況が落ち着いて、朗読会の開催が決まったら。


 ――トーマくんを、誘ってみようかな。


 キョウコの望み通り着飾るかどうかはともかく、せっかく一年間だけ同じ学舎まなびやにいるのだから、その間に何かひとつくらいトーマといっしょに学院生活を楽しんだ思い出をつくるのは、いいことかもしれない。

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