剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

10 ありのままの

公開日時: 2020年11月4日(水) 10:00
更新日時: 2020年11月5日(木) 14:20
文字数:2,030

 ――アユミは衛士として、学院の敵と戦わなければならない。


 トーマの言葉が、アユミの脈拍を、呼吸を、かき乱す。

 間違ったやり方とはいえ、あくまでも、ジンを護るために剣を振るったはずだった。それがアユミの知るトーマだ。

 しかし、その台詞は。

 人をあやめ、カズヤが次々と凶行に走るのを黙過していたのは、自分が「学院の敵」となってアユミと戦うためだった――そんな言い草ではないか。


 トーマの刀先から、殺気が放たれた。

 その殺気に打たれて、アユミは反射的に腰から鞘ごと刀を抜いていた。


「――まだ、抜かないつもりか」

「トーマくんを斬りたくなんかないよ」

「見くびられたな」


 トーマの口調に苦々しさが滲んだ。

 アユミは唇を噛んだ。


「それでも、わたしはこのままで戦う」

「そうか」


 トーマが斬り込んできた。

 アユミは受けた。

 刃と鞘がぶつかって、寒気のする金属音が上がる。

 トーマから繰り出される技は、速さも重さも凄まじい。長年、同門で共に鍛えてきたおかげで、技の癖を知っているから、かろうじて対応できた。

 まだ、事態を呑みこめなかった。呑みこむことを心が拒否していた。乱心したトーマへの困惑が、アユミから積極性を奪っていた。


「抜け、アユミ!」


 トーマの刀が床すれすれの位置からアユミの胴へと撥ね上がる。

 鞘つきの刀を立てて防いだが、競り負けた。

 吹き飛ばされたアユミは、無我夢中で床を踏み締め、なんとか倒れるのをこらえた。

 右腕が妙に熱い。制服の袖が血で濡れていた。痛みはそれを見てからやってきた。いつの間にか、浅いが斬られていたのだ。


「もう手加減はよせ」

「そんな余裕なんかない……」

「鞘の重さで剣速が鈍い。それが手加減でなくて、いったい何だ」

「いやだよ、トーマくんを傷つけたくない」

「抜けば勝てると言いたいのか」

「違うってば!」


 アユミは金切り声で叫んだ。


「わたし、トーマくんに嫌われることをした? 衛士団に入ったのがそんなに嫌だった? 一緒に剣道をやらなかったから怒ってるの?」


 すがるようにアユミは訊いた。下らない詰問を重ねる自分がみじめだった。トーマにこんな悪意を浴びせられるなんて。トーマと話していて、こんな絶望的な気持ちになるなんて。


「――あのとき、道場破りを倒したアユミを見て、俺は初めて他人の才能に恐怖した」

「きょう、ふ?」


 我を忘れて相手をいたずらに負傷させた、アユミにとっては後悔でしかなかったあのことが、トーマを畏怖させていた? まさか。


「アユミは自分の力にまだ気づいていない。俺には敵わないと思い込んでいる。もどかしいよ」


 信じがたいことに、トーマの声には生々しい嫉妬の響きがあった。


「本当のアユミとやるために、全てを棄てた。どうしても付き合ってもらう」


 トーマは刀を上段に持ち上げた。防御を度外視した、一撃必殺の姿勢だ。


「嫌だ……やめて……」


 アユミは首を横に振った。本当も嘘もない。トーマの前ではいつでも、ありのままの自分でいられたのに。それをトーマがわかってくれない。どうしてこうなってしまったのか、アユミにはまったくわからない。


 トーマが間合を詰めてきた。

 体重を乗せた斬撃が真っ向から降ってくる。

 受け止められたのは単なる幸運だと思う。

 それでも、衝撃が腕から全身に回った。

 気がつくと、格技場の壁際に倒れていた。一瞬か、それとも何秒か経ったのか。

 コウキのように両断されることは回避したが、手の感覚がなかった。痺れすら感じない。目で視なければ、手首から先が消失したとしか思えなかった。

 刀が、少し離れたところに転がっていた。鞘に亀裂が入っている。


 トーマが、虚ろな洞窟の目でアユミを見下ろしていた。

 アユミは懸命に首を起こした。頭が割れそうに痛む。


「まだ、怒りが足りないか」

 トーマは淡々と言った。「もうひとり斬れば、俺を憎くなるか」

「もう、ひとり?」


 アユミは、灰色の髪をした精悍な男子を見上げた。

 なんだか、トーマとは別人のような気がしてきた。現実逃避のために認知が壊れ始めている。本当に別人であってほしかった。


「アユミのルームメイト――キョウコと言ったか」


 アユミは声にならない悲鳴を漏らした。

 髪の毛が太るような恐怖とはこれだろう。ときには濃すぎて困るくらいの、しかし曇りのない親愛の情をアユミに示し続けてくれている、この学院で最初の――そして最大の友人を、トーマはアユミから奪おうというのか。

 いまのトーマくんなら、本気でやりかねない――アユミは直感した。

 瘴気のような自暴自棄の気配が、兄弟子を包んでいる。


「すぐに戻る」

「だめ……トーマくん、だめ……!」


 かすれた声しか出てこない。身体がうまく動かない。

 もがくアユミに背を向けて、トーマは外へ出て行こうとした。

 その足が止まった。

 格技場の入口に、小柄な人影が現われたのだ。

 ふわふわの金髪。着崩した制服。こんな学院生はひとりしかいない。


「よく来たな、ユキト」

「来たよ。来るしかないじゃん。朝っぱらからこんな殺気が流れてきたらさ」


 衛士団長代理は、剣道部主将に笑顔で応えた。

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