――アユミは衛士として、学院の敵と戦わなければならない。
トーマの言葉が、アユミの脈拍を、呼吸を、かき乱す。
間違ったやり方とはいえ、あくまでも、ジンを護るために剣を振るったはずだった。それがアユミの知るトーマだ。
しかし、その台詞は。
人をあやめ、カズヤが次々と凶行に走るのを黙過していたのは、自分が「学院の敵」となってアユミと戦うためだった――そんな言い草ではないか。
トーマの刀先から、殺気が放たれた。
その殺気に打たれて、アユミは反射的に腰から鞘ごと刀を抜いていた。
「――まだ、抜かないつもりか」
「トーマくんを斬りたくなんかないよ」
「見くびられたな」
トーマの口調に苦々しさが滲んだ。
アユミは唇を噛んだ。
「それでも、わたしはこのままで戦う」
「そうか」
トーマが斬り込んできた。
アユミは受けた。
刃と鞘がぶつかって、寒気のする金属音が上がる。
トーマから繰り出される技は、速さも重さも凄まじい。長年、同門で共に鍛えてきたおかげで、技の癖を知っているから、かろうじて対応できた。
まだ、事態を呑みこめなかった。呑みこむことを心が拒否していた。乱心したトーマへの困惑が、アユミから積極性を奪っていた。
「抜け、アユミ!」
トーマの刀が床すれすれの位置からアユミの胴へと撥ね上がる。
鞘つきの刀を立てて防いだが、競り負けた。
吹き飛ばされたアユミは、無我夢中で床を踏み締め、なんとか倒れるのをこらえた。
右腕が妙に熱い。制服の袖が血で濡れていた。痛みはそれを見てからやってきた。いつの間にか、浅いが斬られていたのだ。
「もう手加減はよせ」
「そんな余裕なんかない……」
「鞘の重さで剣速が鈍い。それが手加減でなくて、いったい何だ」
「いやだよ、トーマくんを傷つけたくない」
「抜けば勝てると言いたいのか」
「違うってば!」
アユミは金切り声で叫んだ。
「わたし、トーマくんに嫌われることをした? 衛士団に入ったのがそんなに嫌だった? 一緒に剣道をやらなかったから怒ってるの?」
すがるようにアユミは訊いた。下らない詰問を重ねる自分がみじめだった。トーマにこんな悪意を浴びせられるなんて。トーマと話していて、こんな絶望的な気持ちになるなんて。
「――あのとき、道場破りを倒したアユミを見て、俺は初めて他人の才能に恐怖した」
「きょう、ふ?」
我を忘れて相手をいたずらに負傷させた、アユミにとっては後悔でしかなかったあのことが、トーマを畏怖させていた? まさか。
「アユミは自分の力にまだ気づいていない。俺には敵わないと思い込んでいる。もどかしいよ」
信じがたいことに、トーマの声には生々しい嫉妬の響きがあった。
「本当のアユミとやるために、全てを棄てた。どうしても付き合ってもらう」
トーマは刀を上段に持ち上げた。防御を度外視した、一撃必殺の姿勢だ。
「嫌だ……やめて……」
アユミは首を横に振った。本当も嘘もない。トーマの前ではいつでも、ありのままの自分でいられたのに。それをトーマがわかってくれない。どうしてこうなってしまったのか、アユミにはまったくわからない。
トーマが間合を詰めてきた。
体重を乗せた斬撃が真っ向から降ってくる。
受け止められたのは単なる幸運だと思う。
それでも、衝撃が腕から全身に回った。
気がつくと、格技場の壁際に倒れていた。一瞬か、それとも何秒か経ったのか。
コウキのように両断されることは回避したが、手の感覚がなかった。痺れすら感じない。目で視なければ、手首から先が消失したとしか思えなかった。
刀が、少し離れたところに転がっていた。鞘に亀裂が入っている。
トーマが、虚ろな洞窟の目でアユミを見下ろしていた。
アユミは懸命に首を起こした。頭が割れそうに痛む。
「まだ、怒りが足りないか」
トーマは淡々と言った。「もうひとり斬れば、俺を憎くなるか」
「もう、ひとり?」
アユミは、灰色の髪をした精悍な男子を見上げた。
なんだか、トーマとは別人のような気がしてきた。現実逃避のために認知が壊れ始めている。本当に別人であってほしかった。
「アユミのルームメイト――キョウコと言ったか」
アユミは声にならない悲鳴を漏らした。
髪の毛が太るような恐怖とはこれだろう。ときには濃すぎて困るくらいの、しかし曇りのない親愛の情をアユミに示し続けてくれている、この学院で最初の――そして最大の友人を、トーマはアユミから奪おうというのか。
いまのトーマくんなら、本気でやりかねない――アユミは直感した。
瘴気のような自暴自棄の気配が、兄弟子を包んでいる。
「すぐに戻る」
「だめ……トーマくん、だめ……!」
かすれた声しか出てこない。身体がうまく動かない。
もがくアユミに背を向けて、トーマは外へ出て行こうとした。
その足が止まった。
格技場の入口に、小柄な人影が現われたのだ。
ふわふわの金髪。着崩した制服。こんな学院生はひとりしかいない。
「よく来たな、ユキト」
「来たよ。来るしかないじゃん。朝っぱらからこんな殺気が流れてきたらさ」
衛士団長代理は、剣道部主将に笑顔で応えた。
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