「先週、アユミさんとトーマさんのデイトの現場を会員が目撃したのよ」
可憐な顔に、今までアユミに見せたことのない思い詰めた表情を貼りつけて、キョウコが言う。
昼休みにトーマと語らって、最後にユキトに茶々を入れられた、あれのことを指しているのだろう。会員とは、後援会とやらの仲間のことか。
「どういう関係なの」
「幼なじみです」
「素直に言ってちょうだい」
「素直です」
模範解答はキョウコの脳内で決まっているらしい。質問ではなく尋問だ。
「好きなんでしょう。そうなんでしょう。はいかいいえで答えて」
「はい」
その大雑把な二択を強いられればこう言うしかないが、キョウコは「アアッ」とはかない悲鳴を上げてベッドに突っ伏した。
「わたくしたちの愛は純粋な尊敬と献身でありあなたの幸せを心から願う気持ちに一片の曇りもないけどごめんなさいアユミさんそれはそれとしてやっぱり動揺は否めない否めませんでした。弱い。わたくしは弱いわ。無理よ……もう自分が……無理ィィィィーーッ……」
「違います、キョウコさん、そういう『好き』ではありません」
枕に爪を立てて身をよじるキョウコの両肩を揺すりつつ、なぜここまで否定しなければならないのかという疑問が頭をよぎり、じゃあ肯定したいのかと思ったところで、アユミもわけがわからなくなってきた。キョウコの錯乱が伝染したとしか思えない。
*
明鏡流の道場では、あくまでも近代体育としての「剣道」を、おもに近所から通ってくる者たちに教えている。
しかしトーマは、物心がついたときから、古来から連綿と伝わる「剣術」――明鏡流の奥義も伝授されてきた。次代の師範としての英才教育はすでに始まっていたのだ。
同じ歳ごろの人間とは腕前に天地の差が生まれている。
だが、トーマは決して驕らなかった。むしろ、剣の天稟が本格的に顕われてくるにつれ、かえって慎重な性格になっていったとアユミは思う。
強くなるごとに、剣の深遠さと危険さを思い知る。
自分にとって納得できる段階に届かなければ、人より上達しても「達した」ことにはならない。だから、他人との優劣にどんどん無頓着になってゆく。
そんな人間性の深さこそが、明鏡流がトーマにもたらした最大の成果だったかもしれない。
*
「たいていの小学生の男子って、むやみに女子をからかったり、逆に無愛想な態度を取ったりするじゃありませんか」
アユミは我に返ったキョウコに同意を求めたのだが、
「どういうこと?」
「えーと、その」
ピンと来ないらしいキョウコに問い返されて、説明に窮した。実はアユミにもよくわからない。とにかく、アユミの小学校における男子と女子は、総じてそういうものだった。
「好きの裏返し……なんて、言われがちですよね」
どうもキョウコとしゃべっていると、会話の流れで恥ずかしい単語が頻出する。これがガールズトークというやつなのだろうか。
「好きなのにいじめるのって変じゃない?」
「そうですよね。そうなんです。わたしもそう思ってました」
「裏返す必要なんかないのに。アユミさん、ずいぶん荒れた学校に通っていたのね。高潔なあなたにとっては理不尽極まりない環境だったでしょう」
愛し愛されて育ってきたのであろう健やかな令嬢らしい感想である。
*
トーマとは同じ小学校に通っていたので「明日の稽古は開始が一時間遅れる」といったような諸連絡は、学校で直接受けるようになった。
親しくなるにつれて、用事なしの雑談も交わすことが増えた。
ふだんお堅い印象のアユミに、上級生の男子がたびたび会いに来ることを、クラスの悪ガキたちはずいぶん囃し立てたものだ。
そんなときでも、トーマは決して騒がない。
――アユミは道場の仲間だよ。男も女も関係ない。親しくして何がいけないんだ。
トーマのことは下級生たちも知っている。静かなたたずまいの剣の達人が、理を持って諭せば、それ以上茶化せる者はいなかった。
*
「トーマくんは、特別わたしにやさしかったわけではないんです。ただ、当たり前に接してくれました。それは嬉しかったです」
「それで、トーマさんを追いかけてここにやってきたのね」
「そうですね。それはあります」
もっと敷居が低い他の高校にも、衛士団を擁するところはある。ゲオルギウス学院を選んだのは、あの〈金髪の少女〉の残影――ユキトとは呼びたくない――と、もちろん、トーマの存在が影響していた。
「完璧だわ」
キョウコは星を散りばめた瞳でアユミを見つめた。
「幼なじみの素敵な男子にただ護られるのではなく、その人を護るために剣を執る。完璧すぎる」
アユミの行動は王子道とやらに合致しているらしい。キョウコのことは好きだが、どうにも蜘蛛に糸で絡め取られていくような気分は拭えない。
「アユミさん、ドレスは持っている?」
「いえ」
「貸すわ。丈は直せばいいし」
「何のお話ですか」
「朗読会にトーマさんを誘って、アユミさんの晴れ姿を見せるの。延期が悔やまれるけど、仕方ないわね。不謹慎だもの」
朗読会。
年に二度、春と秋に、校舎に囲まれた中央庭園で、図書館の主催による盛大なお茶会が開かれるという。低学年の児童は無料でふるまわれる上等なお菓子に舌づつみを打ち、高学年の少年少女は贅を尽くした礼服に身を包んで、その華やかさを競い合う。そしてみんなで、図書局員が本を朗読するのを鑑賞する。
古風な習慣が脈づいているゲオルギウス学院の、花形の娯楽のひとつであった。
本来はもうすぐ行なわれる予定だったが、コウキの逝去を悼んで、来月以降に延期する旨が発表されている。
「あの、わたしはたぶん仕事がありますし――」
予期せぬ方向に話が進んでいるのを悟って、アユミは必死に言った。
朗読会や、修学旅行、学園祭などの各種行事のとき、衛士は警備に回る。交替制なので、一般生徒にまざって参加できる機会もあることはあるが――
「わたしにドレスなんて似合いません」
「そう思っているのはアユミさんだけよ。ねえ、前も言ったけれど、衛士だからって何もかもを犠牲にしなくてもいいと思うの」
それにね、とキョウコは続ける。
「トーマさんの正装を見たいとは思わない? あの長身で精悍な男性なら、モーニングがよくお似合いだと思うわ」
「それは――」
自分が着飾ることには抵抗があるが、トーマのそういう装いに興味がないことはない。
そんなアユミの一瞬の思念を見事にキャッチして、キョウコはにんまりと笑った。
「ね。礼装の男性を嫌いな女子はいないわ」
「…………」
何に負けたのかはわからないがとても敗北感がある。
「次の朗読会は何とかして出席して。アユミさん、約束よ」
「はい……善処します……」
キョウコに念を押されて、アユミはうなずくしかなかった。
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