剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

4 勇ましい子、気まぐれな子

公開日時: 2020年9月14日(月) 10:00
更新日時: 2020年9月14日(月) 10:14
文字数:2,323

「みんな、おはよー」


 緊張感のかけらもない第一声が、大講堂に轟いた。

 ユキトもマダム・チヨコと同じくマイクを使っていないが、これはマダムと違って、ただ地声が大きいだけである。


「えーと、あれ」


 上着の内ポケットをさぐって、眉を寄せた。


「まあ、いいや。昨夜、剣道部副将のコウキくんが殺されました。犯人は探し中。時間とか場所は新聞で読むかテレビで観てね」


 講堂がどよめいた。説明のまずさは問題にならなかった。それが真実であると衛士団の長が断言しただけで、生徒たちが動揺するのには充分だった。


「ロウに原稿をもらってたんだけど、どっか行っちゃったので、俺の思いつきでしゃべります」


 頭痛がするような裏事情を明かしたユキトは、


「みんな、学院は好き?」


 唐突に、壇上からこんな問いを投げかけた。

 生徒たちのざわめきはおさまらない。動揺というよりは、とまどいの気配が濃くなった。悲劇の報告の場にしては、あまりにも能天気な質問である。


「俺は好きだよ。景色はきれいだし、ご飯はうまいし、みんないいやつだし。中にはいじめっ子もいるけど」


 ――わたしですか。それ、わたしですか。

 眼鏡の奥で鬼火を揺らすアユミに、ヒトシが気の毒そうな視線を向ける。


「みんな、勉強がんばったり、部活がんばったりして、本当にえらいと思うよ。俺は衛士をやってるけど、別に努力してなったわけじゃない。たまたま最強だからやれてるだけでさ」


 謙遜なのか、自慢なのか。どちらでもないのだろう。自分を大きく見せるのも小さく見せるのも、根底は同じだ。そういった自己演出とユキトが無縁なことだけは、アユミも信用できた。


「学院のみんなのことが、俺は好きだよ。学院の人間が犠牲になっていい理由なんてない」


 いつの間にか、ざわめきは止んでいた。

 静寂の大講堂を、ユキトの声が渡っていく。


「俺たちはみんなを護る。みんなも俺たちに協力してほしいんだ。いいかな」


 呼びかけに返事はない。しかし、場の雰囲気はユキトに肯定的だった。


「今日から外出は禁止。我慢して。何かあったら衛士に言ってください。衛士はちゃんと、みんなの話を聞くから。よろしくね」


 団長代理はきびすを返した。幼稚園児みたいな駆け足で、アユミたちのところに戻ってくる。

 その背中に拍手が浴びせられた。

 最初はぱらぱらと。しだいに勢いを増して。

 本来なら、もっと厳粛で陰鬱な集会のはずだった。今、大講堂に満ちているのは、前向きな明るさである。マダム・チヨコとユキトの演説が、不安の泥沼に沈みかけた生徒たちを引っ張り上げたのだ。


 最後に一分間の黙祷を捧げて、全校集会は終了した。

 初等部から順番に、生徒たちが退出する。


「団長、すごいよかったです!」


 ヒトシが満面の笑顔でユキトを讃えた。


「そう? 俺ってやっぱ最強?」

「むしろ最高です!」

「ヒトシはわかってるなー」


 にこにこして、ユキトはアユミのほうを向いた。


「どうだった、何点くらい?」

「六点です」


 アユミはそっけなく言った。


「まさか百点満点じゃねえよな」

「ちゃんと靴を履いて裾を下ろしていたら八点ですね」


 さらに、いじめっ子扱いされなければ、十点満点をあげてもよかった。


「それでも八点かよー」


 天井を仰ぐユキトのもとへ、マダム・チヨコが近づいてきた。


「いい演説だったわ、ユキト」

「ありがと、おチヨさん」


 理事長をこんなふうに呼べる学院生はユキトが唯一だろう。

 マダムはとがめず、あたたかい微笑みを唇に溜めている。


「団長代理はどう? 少しは慣れた?」

「こんなに大変だと思わなかったよ」

「大変そうには見えませんけど」と、アユミは思わず口をはさんだ。

「あのね、俺たち幹部には、アユにわかんない仕事もいろいろあるの」

「例えばどんなものですか」

「ロウとかミッツさんに訊いて」


 嘆息するアユミと、苦笑するヒトシを、マダム・チヨコは交互に見やった。


「あなたたちが新人ね」

「はい、飛年ヒトシ=リビングストンと言います!」

亜弓アユミ=ヴェルノと申します」


 ふたりはかしこまって名乗った。

 理事長の肩書ではなく、マダムの存在感そのものが、自然と居住まいを正させたのだ。

 どう言えばいいのだろう――同じ人間と対面している気がしなかった。澄んだ湖のほとりに立つような、おおきくて深いものと向かい合う感覚に似ていて、アユミは静かに圧倒された。


「きれいな色ねえ。紅葉みたい」


 ヒトシの赤い髪を見上げて、マダムは典雅な感想を述べる。


「燃える男の色だよね、ヒトシ」

「はい、メラメラ全開です」


 緊張しているところに、ユキトに釣られて言動がおかしい。


「頼もしいこと。はりきってちょうだい」


 ヒトシからアユミに身体を向けるや否や、マダム・チヨコはくすくすと上品に笑った。身だしなみが乱れているのだろうかと、アユミは髪を撫でつけ、眼鏡をかけ直した。


「あなたね、ユキトの保護者って」

「えっ」

「ロウから話は聞いているわ。ずいぶん勇ましい子が入ってきたって」


 ――いったい副団長は、わたしのどんな紹介をしたんだろう。

 無精髭の寡黙な顔を思い浮かべたが、アユミの空想のロウからも、やっぱり感情はうまく読みとれなかった。


「ユキトはきまぐれな子だから、目が離せないでしょう」

「はい、そうですね」


 返答には悩まなかった。「いいえ。尊敬できる先輩です」なんて嘘はつけない。この女性の前では特に。


「どんどん叱ってあげてちょうだい。わたしが許可するわ」

「そりゃないよ、おチヨさん」

「団長代理なんだから、情けない声を出すんじゃないの」

「しょえー」


 しょえー、と言いたいのはアユミである。

 マダム・チヨコにまで、ユキトのお守り役を期待されてしまった。

 そしてやはり――がっくりと肩を落とすこの問題児に、団長代理の冠をかぶせることには、マダムもいっさい異議がないらしい。

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