「みんな、おはよー」
緊張感のかけらもない第一声が、大講堂に轟いた。
ユキトもマダム・チヨコと同じくマイクを使っていないが、これはマダムと違って、ただ地声が大きいだけである。
「えーと、あれ」
上着の内ポケットをさぐって、眉を寄せた。
「まあ、いいや。昨夜、剣道部副将のコウキくんが殺されました。犯人は探し中。時間とか場所は新聞で読むかテレビで観てね」
講堂がどよめいた。説明のまずさは問題にならなかった。それが真実であると衛士団の長が断言しただけで、生徒たちが動揺するのには充分だった。
「ロウに原稿をもらってたんだけど、どっか行っちゃったので、俺の思いつきでしゃべります」
頭痛がするような裏事情を明かしたユキトは、
「みんな、学院は好き?」
唐突に、壇上からこんな問いを投げかけた。
生徒たちのざわめきはおさまらない。動揺というよりは、とまどいの気配が濃くなった。悲劇の報告の場にしては、あまりにも能天気な質問である。
「俺は好きだよ。景色はきれいだし、ご飯はうまいし、みんないいやつだし。中にはいじめっ子もいるけど」
――わたしですか。それ、わたしですか。
眼鏡の奥で鬼火を揺らすアユミに、ヒトシが気の毒そうな視線を向ける。
「みんな、勉強がんばったり、部活がんばったりして、本当にえらいと思うよ。俺は衛士をやってるけど、別に努力してなったわけじゃない。たまたま最強だからやれてるだけでさ」
謙遜なのか、自慢なのか。どちらでもないのだろう。自分を大きく見せるのも小さく見せるのも、根底は同じだ。そういった自己演出とユキトが無縁なことだけは、アユミも信用できた。
「学院のみんなのことが、俺は好きだよ。学院の人間が犠牲になっていい理由なんてない」
いつの間にか、ざわめきは止んでいた。
静寂の大講堂を、ユキトの声が渡っていく。
「俺たちはみんなを護る。みんなも俺たちに協力してほしいんだ。いいかな」
呼びかけに返事はない。しかし、場の雰囲気はユキトに肯定的だった。
「今日から外出は禁止。我慢して。何かあったら衛士に言ってください。衛士はちゃんと、みんなの話を聞くから。よろしくね」
団長代理はきびすを返した。幼稚園児みたいな駆け足で、アユミたちのところに戻ってくる。
その背中に拍手が浴びせられた。
最初はぱらぱらと。しだいに勢いを増して。
本来なら、もっと厳粛で陰鬱な集会のはずだった。今、大講堂に満ちているのは、前向きな明るさである。マダム・チヨコとユキトの演説が、不安の泥沼に沈みかけた生徒たちを引っ張り上げたのだ。
最後に一分間の黙祷を捧げて、全校集会は終了した。
初等部から順番に、生徒たちが退出する。
「団長、すごいよかったです!」
ヒトシが満面の笑顔でユキトを讃えた。
「そう? 俺ってやっぱ最強?」
「むしろ最高です!」
「ヒトシはわかってるなー」
にこにこして、ユキトはアユミのほうを向いた。
「どうだった、何点くらい?」
「六点です」
アユミはそっけなく言った。
「まさか百点満点じゃねえよな」
「ちゃんと靴を履いて裾を下ろしていたら八点ですね」
さらに、いじめっ子扱いされなければ、十点満点をあげてもよかった。
「それでも八点かよー」
天井を仰ぐユキトのもとへ、マダム・チヨコが近づいてきた。
「いい演説だったわ、ユキト」
「ありがと、おチヨさん」
理事長をこんなふうに呼べる学院生はユキトが唯一だろう。
マダムはとがめず、あたたかい微笑みを唇に溜めている。
「団長代理はどう? 少しは慣れた?」
「こんなに大変だと思わなかったよ」
「大変そうには見えませんけど」と、アユミは思わず口をはさんだ。
「あのね、俺たち幹部には、アユにわかんない仕事もいろいろあるの」
「例えばどんなものですか」
「ロウとかミッツさんに訊いて」
嘆息するアユミと、苦笑するヒトシを、マダム・チヨコは交互に見やった。
「あなたたちが新人ね」
「はい、飛年=リビングストンと言います!」
「亜弓=ヴェルノと申します」
ふたりはかしこまって名乗った。
理事長の肩書ではなく、マダムの存在感そのものが、自然と居住まいを正させたのだ。
どう言えばいいのだろう――同じ人間と対面している気がしなかった。澄んだ湖のほとりに立つような、巨きくて深いものと向かい合う感覚に似ていて、アユミは静かに圧倒された。
「きれいな色ねえ。紅葉みたい」
ヒトシの赤い髪を見上げて、マダムは典雅な感想を述べる。
「燃える男の色だよね、ヒトシ」
「はい、メラメラ全開です」
緊張しているところに、ユキトに釣られて言動がおかしい。
「頼もしいこと。はりきってちょうだい」
ヒトシからアユミに身体を向けるや否や、マダム・チヨコはくすくすと上品に笑った。身だしなみが乱れているのだろうかと、アユミは髪を撫でつけ、眼鏡をかけ直した。
「あなたね、ユキトの保護者って」
「えっ」
「ロウから話は聞いているわ。ずいぶん勇ましい子が入ってきたって」
――いったい副団長は、わたしのどんな紹介をしたんだろう。
無精髭の寡黙な顔を思い浮かべたが、アユミの空想のロウからも、やっぱり感情はうまく読みとれなかった。
「ユキトはきまぐれな子だから、目が離せないでしょう」
「はい、そうですね」
返答には悩まなかった。「いいえ。尊敬できる先輩です」なんて嘘はつけない。この女性の前では特に。
「どんどん叱ってあげてちょうだい。わたしが許可するわ」
「そりゃないよ、おチヨさん」
「団長代理なんだから、情けない声を出すんじゃないの」
「しょえー」
しょえー、と言いたいのはアユミである。
マダム・チヨコにまで、ユキトのお守り役を期待されてしまった。
そしてやはり――がっくりと肩を落とすこの問題児に、団長代理の冠をかぶせることには、マダムもいっさい異議がないらしい。
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