剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

9 獣狩り

公開日時: 2020年10月6日(火) 10:00
更新日時: 2020年10月6日(火) 18:02
文字数:2,211

 野獣――?


 反射的に、アユミはそう思った。

 違う。人間だ。しかし、新たに現われた三人からは、飢えた野生の獣じみた気配が吹きつけてくるのだった。

 拳法着のような上下を身に着け、打刀を手にし――仮面を被っている。それぞれ、豹、虎、獅子を象ったものである。

 仮面の魔力に染まり切ると、このような禍々しい殺気を放つようになるのか。


「特に鍛錬していない者が、その面を連続で装着していると、やがて精神は面が模したものに近づいていく。もはや人間の心は欠片程度しか残っていまい」


 姿をくらましたムメイのあやしい色気に満ちた声は、暗黒空間の上空から降ってくるようでもあり、遙か下から沸いてくるようでもあった。


「ああ、安心したまえ。善良な市民をさらってきて実験台にしたわけではない。この国の社会から外れてどこにも居場所がない者を、身柄ごと買い取ったのだよ。いなくても誰も困らぬ、誰も悲しまぬ者どもだ」


「闇の裏から出ろ」

 ロウは鋭く言った。「お前の魔術は法の範囲を超えている。警察に連行する」

「〈大戦〉の勝者から圧しつけられた悪法など、法ではない」


 ムメイの声から初めて、揶揄めいた響きがわずかに薄れた。


「科学も魔術も、この国はどれほど理不尽に制限され続けていることか。他の先進国と比べて、この国の発展が何年分遅れているのか知っているかね。この国はいまだ、連合国側の実質的な統治下にあるのだよ」

「それが人をおかしくする理由にはならない!」


 アユミは叫んだ。ムメイの自己正当化に、胸が焼けるような憤りをおぼえた。


「国がどうであろうと、あなたの行為は人の尊厳を踏みにじる、許してはいけないことです」

「私を許さない――けっこうだ、アユミ」


 姿なき怪人は愉快そうに言った。


「ならば、その者たちをどう扱うのか見せてもらおう。やれ」


 号令がかかるや否や、仮面の刺客たちは弾かれたように動いた。


「ガアアッ」


 喉から発せられるのはまさに獣の叫びであり、駆ける速度も獣のそれであった。

 豹の仮面がアユミに、虎と獅子の仮面がロウに迫る。


 片手打ちで刀が振り下ろされた。アユミは身を引いて避けた。

 縦、縦、横――立て続けに来る。

 力任せの雑な太刀筋で、軌道は読めるが、とにかく速い。気を抜けば斬られる――というより叩き潰される。


「素手での獣狩りはきつかろう。アユミ、刀を返そうか」

「獣ではなく人間です」


 ムメイの呼びかけを拒否しながら、何度めかの斬撃を、横に動いてかわした瞬間だった。

 アユミの腰が固いものにぶつかった!


っ――」


 よろめくアユミの目の端に、消失していたはずのガラスケースがひとつだけ復活しているのが映る。ムメイの嫌がらせだと悟ったときには、頭上から追撃の一刀が舞い降りていた。

 とどめを刺せる――豹面の狂戦士バーサーカーは確信したに違いなかった。


 だが――ここからだった。

 この状況に対応できるから、アユミは明鏡流めいきょうりゅうの剣士を名乗れるのだった。


 アユミは無理に踏みとどまらなかった。前方へ身を投げるようにして、自ら兇刃の下に潜りこみ、刀を持つ相手の手首をつかんで捻り下げたのだ。

 刀を振り下ろす勢いが、手首への関節技をさらに深く極めさせて――

 豹の仮面の指がゆるんで刀を取り落としそうになる。

 すかさずアユミはそれをもぎ取りつつ、下へ押しつけるようにして豹の仮面を投げ飛ばした。

 転がった敵が跳ね起きる速さは凄まじかったが、その首元にアユミが刀を突きつけるほうが速かった。豹面の刺客は、中腰の姿勢で動きを止めた。


 できた――

 決して敵から気は逸らさなかったが、アユミの心は小さくも確かな安堵を得ていた。

 二年前、これができなかったのだ。

 道場破りに来た男を、同じ無刀取りの技で倒したときは、錯乱して何も覚えておらず、気がつけば相手を必要以上に傷つけてしまっていた。覚悟して斬るのはいい。我を失うのがいけないのだ。それは己に負けることだった。

 同じ轍は踏まなかった。

 成長できた――そう思うことを、久しぶりに自分に許せた。


 ほぼ同時に、ロウも勝負を決していた。

 副団長は指揮が主な仕事であるが、頭脳労働が専門というわけではない。

 ロウは、アユミのように様子見の段階は踏まなかった。自ら相手に組みついていって打刀を奪い取り、足を切り裂いて起き上がれないようにしていた。このあたりは古兵ふるつわものらしく容赦がない。

 倒れた虎の仮面も獅子の仮面も、這ってまでロウと戦うつもりはないようだ。動物に近い精神であるからこそ、ロウの峻烈しゅんれつさに、なんら恥じることなく戦意を失ったものと思われた。


「ロウのように斬らないのかね」


 ムメイが声だけで問うてくる。


「必要ならば」


 アユミは応える。それによって生じたわずかな隙を突いて、豹の仮面が大きく飛びすさった。

 助走をつけて真っ正面から突っかけてくる。


「そうら、すぐ必要になったぞ」


 愚弄する声を今度は無視して、アユミは右手を閃かせた。

 その眼前で、敵が消えた。

 豹面の刺客はちゅうおどり上がったのだ。アユミの攻撃が外れたタイミングを計って、頭上から襲いかかる流れだったが――


 ロウが「ぬうっ」と唸った。

 ムメイが「ほほう」と感心した。


 アユミは刀を振っていなかった。右手を空振りすると同時に、お手玉のように刀を反対の手に持ち替えながら退がっている! 

 読み合いはアユミが上回った。動揺した豹の仮面の落下攻撃を余裕をもって躱しながら、アユミは左手の刀を下から上へと軽やかにはしらせた。

 切っ先は狙い通り、仮面のみを斬り上げて――

 魔性の面はふたつに割れた。


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