野獣――?
反射的に、アユミはそう思った。
違う。人間だ。しかし、新たに現われた三人からは、飢えた野生の獣じみた気配が吹きつけてくるのだった。
拳法着のような上下を身に着け、打刀を手にし――仮面を被っている。それぞれ、豹、虎、獅子を象ったものである。
仮面の魔力に染まり切ると、このような禍々しい殺気を放つようになるのか。
「特に鍛錬していない者が、その面を連続で装着していると、やがて精神は面が模したものに近づいていく。もはや人間の心は欠片程度しか残っていまい」
姿をくらましたムメイの妖しい色気に満ちた声は、暗黒空間の上空から降ってくるようでもあり、遙か下から沸いてくるようでもあった。
「ああ、安心したまえ。善良な市民をさらってきて実験台にしたわけではない。この国の社会から外れてどこにも居場所がない者を、身柄ごと買い取ったのだよ。いなくても誰も困らぬ、誰も悲しまぬ者どもだ」
「闇の裏から出ろ」
ロウは鋭く言った。「お前の魔術は法の範囲を超えている。警察に連行する」
「〈大戦〉の勝者から圧しつけられた悪法など、法ではない」
ムメイの声から初めて、揶揄めいた響きがわずかに薄れた。
「科学も魔術も、この国はどれほど理不尽に制限され続けていることか。他の先進国と比べて、この国の発展が何年分遅れているのか知っているかね。この国はいまだ、連合国側の実質的な統治下にあるのだよ」
「それが人をおかしくする理由にはならない!」
アユミは叫んだ。ムメイの自己正当化に、胸が焼けるような憤りをおぼえた。
「国がどうであろうと、あなたの行為は人の尊厳を踏みにじる、許してはいけないことです」
「私を許さない――けっこうだ、アユミ」
姿なき怪人は愉快そうに言った。
「ならば、その者たちをどう扱うのか見せてもらおう。やれ」
号令がかかるや否や、仮面の刺客たちは弾かれたように動いた。
「ガアアッ」
喉から発せられるのはまさに獣の叫びであり、駆ける速度も獣のそれであった。
豹の仮面がアユミに、虎と獅子の仮面がロウに迫る。
片手打ちで刀が振り下ろされた。アユミは身を引いて避けた。
縦、縦、横――立て続けに来る。
力任せの雑な太刀筋で、軌道は読めるが、とにかく速い。気を抜けば斬られる――というより叩き潰される。
「素手での獣狩りはきつかろう。アユミ、刀を返そうか」
「獣ではなく人間です」
ムメイの呼びかけを拒否しながら、何度めかの斬撃を、横に動いて躱した瞬間だった。
アユミの腰が固いものにぶつかった!
「痛っ――」
よろめくアユミの目の端に、消失していたはずのガラスケースがひとつだけ復活しているのが映る。ムメイの嫌がらせだと悟ったときには、頭上から追撃の一刀が舞い降りていた。
とどめを刺せる――豹面の狂戦士は確信したに違いなかった。
だが――ここからだった。
この状況に対応できるから、アユミは明鏡流の剣士を名乗れるのだった。
アユミは無理に踏みとどまらなかった。前方へ身を投げるようにして、自ら兇刃の下に潜りこみ、刀を持つ相手の手首をつかんで捻り下げたのだ。
刀を振り下ろす勢いが、手首への関節技をさらに深く極めさせて――
豹の仮面の指がゆるんで刀を取り落としそうになる。
すかさずアユミはそれをもぎ取りつつ、下へ押しつけるようにして豹の仮面を投げ飛ばした。
転がった敵が跳ね起きる速さは凄まじかったが、その首元にアユミが刀を突きつけるほうが速かった。豹面の刺客は、中腰の姿勢で動きを止めた。
できた――
決して敵から気は逸らさなかったが、アユミの心は小さくも確かな安堵を得ていた。
二年前、これができなかったのだ。
道場破りに来た男を、同じ無刀取りの技で倒したときは、錯乱して何も覚えておらず、気がつけば相手を必要以上に傷つけてしまっていた。覚悟して斬るのはいい。我を失うのがいけないのだ。それは己に負けることだった。
同じ轍は踏まなかった。
成長できた――そう思うことを、久しぶりに自分に許せた。
ほぼ同時に、ロウも勝負を決していた。
副団長は指揮が主な仕事であるが、頭脳労働が専門というわけではない。
ロウは、アユミのように様子見の段階は踏まなかった。自ら相手に組みついていって打刀を奪い取り、足を切り裂いて起き上がれないようにしていた。このあたりは古兵らしく容赦がない。
倒れた虎の仮面も獅子の仮面も、這ってまでロウと戦うつもりはないようだ。動物に近い精神であるからこそ、ロウの峻烈さに、なんら恥じることなく戦意を失ったものと思われた。
「ロウのように斬らないのかね」
ムメイが声だけで問うてくる。
「必要ならば」
アユミは応える。それによって生じたわずかな隙を突いて、豹の仮面が大きく飛びすさった。
助走をつけて真っ正面から突っかけてくる。
「そうら、すぐ必要になったぞ」
愚弄する声を今度は無視して、アユミは右手を閃かせた。
その眼前で、敵が消えた。
豹面の刺客は宙に躍り上がったのだ。アユミの攻撃が外れたタイミングを計って、頭上から襲いかかる流れだったが――
ロウが「ぬうっ」と唸った。
ムメイが「ほほう」と感心した。
アユミは刀を振っていなかった。右手を空振りすると同時に、お手玉のように刀を反対の手に持ち替えながら退がっている!
読み合いはアユミが上回った。動揺した豹の仮面の落下攻撃を余裕をもって躱しながら、アユミは左手の刀を下から上へと軽やかに疾らせた。
切っ先は狙い通り、仮面のみを斬り上げて――
魔性の面はふたつに割れた。
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