剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

9 なぜ、わたしを

公開日時: 2020年11月1日(日) 10:00
更新日時: 2020年11月1日(日) 16:29
文字数:1,632



     *



 トーマが挨拶代わりに放った一閃を、コウキはさすがの足捌きで躱した。


「まさか、トーマか……?」


 茫然とした表情が、たちまち憎々しげに歪んでゆくのを、トーマは竜の仮面越しに見つめた。目の穴は空いていないのに、視界は何も着けていないように良好だ。

 アオヤマの暗い夜道で、剣道部の主将と副将は睨み合った。


「あの棄民に泣きつかれたか。答えろ、トーマ!」

「先生をそんなふうに呼ぶのはよせ」


 トーマは口を開いた。コウキに対して正体を隠すつもりはなかった。

 その意味に気づいて、副将は声を震わせた。


「殺す気か……お飾りの顧問に安い同情をかけて、苦楽を共にしてきた俺を殺すのか、お前は……!」

「先生がどんな生まれだろうと関係ない。ここは現代のトーキョーだぞ」

「お前を認めていた。初めて、他人の下に付いていいと、本気で思えたんだ。それを――」


 コウキの恐怖はたちまち怒りへと転じたようだった。

 それでこそ弘毅コウキ=ユンファだと、トーマは嬉しく思った。その傲慢なほどの闘志が、いつも部員を引っ張り、大会で勝利をもたらしてくれたのだ。


「失望したぞ、トーマ――お前もやはり、下らない庶民感情に流される凡人か!」

「俺も、コウキのことは尊敬していたよ。残念だ」


 嘘だ。誰かがトーマの耳もとでささやいた。お前は残念がってなんかいない。コウキと本気で殺し合えるのを、お前は悦んでいるじゃないか。ささやきは自分の声に似ていた。これが剣鬼の声なのだと思った。

 筋肉が異様な熱を帯びている。経験はないが、薬物を射ったらこんな感じだろうか。〈旧魔術〉の呪面による殺人への禁忌の解除は、しかし、トーマには必要なかったかもしれない。湧き上がる昏い高揚は、もともと自分の身の裡にあったものだ。

 コウキが刀を抜いた。

 代議士の父親の権力で〈武装許可〉を得ているコウキが、出稽古のときに真剣を携えているのを、トーマは知っていた。


「そのふざけた仮面を取れ、トーマ。いまお前がどんな顔をしているのか、俺に見せろ!」

「目障りなら、力ずくで外せ」

「この――裏切り者!」


 コウキが素晴らしい歩法で迫ってくるのを、トーマは恍惚と迎えた。

 はげしく打ち合う鋼と鋼の響きが、夜空に吸いこまれる。二度、三度。

 そして。



     *



「コウキを両断する感触は、意外と軽かったよ。上手くいくときは、そんなものだ」


 トーマの淡々とした独白を聞きながら、アユミは頭がぼんやりしてきた。

 わたしは寮の部屋で、まだキョウコさんといっしょに眠っているんじゃないか。溜まった疲れがこんなひどい夢を見せているんじゃないか――心の底からそれをアユミは望んだ。

 

「嘘でしょう、トーマくん――ねえ、トーマくん!」


 たまらず、アユミはトーマに近づいた。

 チン、と鯉口を切る音がした。

 飛び退ずさったのは剣士の本能だった。

 トーマの片手薙ぎが空を切った。渾身の一撃ではないが、手加減もしていない。一瞬でも反応が遅れたら、それで終わっていた。アユミは胴から血を噴いて倒れているはずだった。トーマの手で。


 振った刀を引き戻して、トーマはアユミを睨み据えた。

 磨き抜かれた鋼が、朝の光を跳ね返す。


「アユミも抜くんだ」

「待って! 待ってよ!」


 アユミは声を裏返して叫んだ。


「トーマくん、治療院に行こう。きっと仮面の魔力の後遺症だよ。そうだ……ジン先生がトーマくんにも精神魔術をかけたのかも。でも、治るから。大丈夫だから」

「違う」


 トーマは静かに言った。


「先生はカズヤに全ての罪を着せて、俺を庇おうとしてくれた。衛士を斬ったのはカズヤだ。でも、コウキを斬ったのは俺なんだよ。同情できる理由はない。先生のせいでも、仮面のせいでもない。俺が、斬りたいから、斬ったんだ」

「仮に――仮でも絶対にあり得ないけど、トーマくんが真犯人だったとして――」


 悪夢の沼に沈み続ける心地のまま、アユミは最大の疑問を口にした。


「なぜ、わたしを?」

「アユミは衛士だ」

「そうだよ……」

「ならば、学院の敵とは全力で戦わなければいけない。そうだろう」


 トーマは両手で刀を握った。


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