剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

2 ドレス

公開日時: 2020年11月21日(土) 09:59
更新日時: 2020年11月21日(土) 10:29
文字数:1,931

 アユミは治療院を訪れていた。

 ベッドの上で身を起こすヒトシは、身体のいたるところに巻かれた包帯が痛々しいが、表情には平時と変わらない生気があった。順調に回復しているらしい。

 開け放った窓から、爽やかなそよ風と、明るいざわめきが流れこんでくる。

 延期されていた朗読会が、とうとう本日、催されているのだった。アユミもさっきまでキョウコたちと料理を味わい、図書局員の童話の朗読を愉しんだ。


「寝ていてください。無理しないで」

「いえ、大丈夫です」

「顔が赤いですよ。熱があるのでは」

「それは、アユミさんが――」

「わたしが?」

「何でもないです」


 怒ったように早口で言って、ヒトシは紅潮した顔を背けた。

 背けつつ、横目で凝視してくる。

 あきれたような――とアユミには思える――ヒトシの視線を浴びて、胸の裡でアユミは叫んだ。


 ――か、感想に困っている! 似合ってないんだ!


 やっぱり着替えてくればよかったと思いながら、自分の姿を見下ろした。

 藍色のロングドレスである。浅く開いた襟元にリボンが結ばれ、スカートの部分は細かいプリーツがさざ波のような美しい模様を生んでいる。

 キョウコはもっと艶やかなドレスを着せたがったのだが、なるべくシンプルなデザインを選ばせてもらった。それでも、アユミが生まれて初めて着る豪華な衣装である。

 化粧も施され、髪も額を出して固められ、耳飾りもつけられて。

 自分が自分じゃないみたいで落ち着かない。


 ヒトシのお見舞いに寄ってから警備の任務に就くので、そろそろ着替えると言ったら、キョウコとその友人たちに声を合わせて「そのままの格好で行ってちょうだい」と強要されたのだ。

 全員、異様に目をキラキラさせて、求められるままアユミが握手するたびに「ハアッ」「ホアッ」などと奇声を上げていたのが、印象的というか何というか、失礼な言い方だがキョウコが特別に変な人なのだと思っていたら、全然そうでもなく、同じような人がわりとこの世界に存在することに衝撃を受けたアユミである。

 謎のファンクラブとやらの期待には一応、応えられたようだったが――ヒトシのことは困らせているようだ。

 アユミは持参した小箱を、ベッドの横のテーブルに置いた。


「これ、朗読会で供されたケーキをいただいてきました。よかったら召しあがってください。それでは」

「ありがとうござ――ええっ、もう行ってしまうんですか」


 ヒトシが顔をこちらに向けたのだが、アユミと目が合うと、また逸らしてしまう。その割に、視線はアユミから離れないのが不思議だった。何なのか。


 ――ヒートーシー、あーそーぼー!


 外から子どものような呼び声が聞こえる。

 ヒトシの返事を待たず、窓からふわりと金髪の少年が飛び込んできた。ちなみにこの部屋は二階である。

 無駄にすさまじい身のこなしで音もなく床に足をつけるや否や、


「元気? あっケーキの匂いがする、いただきまーす」

「ユキトさんは会場でさんざん食べていたでしょう! 見てましたよ!」


 いきなりお見舞いの品を開けようとする団長代理をアユミは怒鳴りつけた。

 ユキトは意に介さず、中のケーキをひとつ取り出して、ヒトシに渡す。生クリームと果物をたっぷりと挟んだミルフィーユだ。


「これが一番おいしいよ」

「ありがとうございます! どうぞ、ユキトさんもお好きなものを」

「いいの? じゃあ、このチョコ味のスポンジに粒々のチョコを混ぜて上からチョコをかけたチョコまみれのやつにしよう」


 男子たちは手づかみで繊細なケーキをもしゃもしゃと食べる。

 不思議と、悪い印象を受ける光景ではなかった。平和を感じる。


「ヒトシ」

「はい」

「今日のアユ、かっこいいよね」

「は、はい! すごく綺麗です!」


 ユキトにそう問われれば、同意するしかないだろう。


「アユ、普段からその格好でいなよ」

「これで衛士の仕事ができるわけないでしょう」

「できるようになれ。団長命令」

「拒否します」

「ちぇー。あ、来た」


 病室に入ってきたロウに、ユキトが「遅かったね、どうした?」と訊く。

「玄関で入館手続きを済ませて、階段で上がってきただけだ」


 まっとうな回答を発してから、ロウはアユミを見た。


「似合うな」

「あ、ありがとうございます」


 ようやくアユミは少し安心できた。こんなふつうの褒め言葉をくれるのが、アユミの周りの人々でもっとも寡黙なロウなのだから、人間はよくわからない。


「――副団長?」


 ロウは腕を組んで、アユミから目を離さない。

 何かを、言いあぐねている。ロウには稀なことだった。必要なことは端的に言うし、そうでなければ黙している。


「少し、いいか」

「はい」


 アユミはロウに伴われて、廊下の端に行った。

 今度は、ロウはためらわずに口を開いた。


「――衛士でなくても、剣を生かせる場所はある」


 ひゅっ、とアユミは息を吸いこんだ。

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