剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

13 シンクロ

公開日時: 2020年11月10日(火) 10:00
文字数:2,191

 トーマの胸を借りるつもりだった。


 持っている全部を、出すのだ。わたしの全てを叩きつける。それでどうにかなってしまうような相手ではない。わたしが倒れても、ユキトさんがいる。彼ならば、確かにトーマくんとも互角に戦えるのだろう。真面目にやってくれるかな。ヒトシくんのことでカズヤさんに怒ったように、わたしが死んだら真面目にやってくれるはずだ。学院のみんなが大好きな人だから――

 そんなふうに思い定めたら、ずいぶん楽になった。


 幼なじみは、再び右八双の構えだ。

 さっきは、言葉では埋めがたい溝を感じた。うろたえて、絶望しかけた。

 でも、自分たちにはもうひとつの言語がある。

 ひとつ、深呼吸をした。

 それからアユミは前進した。


 片手で斬り上げる。避けられた。

 斬り上げが頂点まで達したところで、もう片方の手を添えて斬り下ろす。躱された。

 突きへと転じる。刺した――だが残像だ。

 様子見ではなかった。いきなり決めるつもりだった。その三段構えの連撃が、淀みなく無効化される。それがトーマだと感嘆する。感嘆しながら、アユミの身体はすでに反撃に備えている。


 来た。

 トーマは旋回して身を引きながら、その勢いを利用して横薙ぎを放ってきた。トーマの得意技のひとつだ。だから予想できた。刀を斜めに立てて受ける。

 今度は衝撃に耐えることができた。

 鍔迫り合い。

 トーマの目が近くに見える。もう、洞窟の暗黒ではない。澄んだ光が宿っている。アユミとやり合える喜びのせいか。それが嬉しい。

 押し負けない。アユミは手を締め、床を踏む踵に力を篭める。

 ふっ、とトーマが圧力を抜いた。アユミの呼吸と呼吸のすき間を絶妙に狙った〈外し〉だった。


「きゃっ――」


 上体が前方に流れたアユミに、


「おおおっ」


 雄叫びと共に、散弾銃のような乱れ突きが繰り出された。

 躱し切れない。肩に、腕に、灼けるような痛みが走る。

 突きは止まらない。

 それでも、致命傷は受けなかった。

 トーマだって、疲労を感じない〈旧科学オーバーテック〉の自動人形オートマトンではない。無尽蔵な連打の中に、ほんのわずかに流した〈休憩〉の突きが、巧妙に隠されている。それをアユミは察知できた。同じ明鏡流だから。トーマの技だから。

 ――これだ!

 小さく刀を振って、抜いた突きを弾き飛ばす。



     *



「素晴らしい応酬ではあるが――」


 見守っていたムメイがつぶやく。


「どうも情念が足りないね。まるで競技スポーツじゃないか」

「別にさぁ、お前を愉しませるためにアユもトーマも生きてないから。つまんないなら帰れば」


 ユキトが吐き捨てる。基本的に、誰とでも無神経なほど明るく接する少年だが、どうもムメイとは肌が合わないらしい。


「ふふふ、そう邪険に扱わないでくれたまえ。ユキトは、私がアユミに興味を示すのが面白くないかね」

「うん。お前はなんか、やらしい」


 壁にもたれて腕を組んだまま、ユキトがふいに殺気を放出した。

 常人なら浴びただけで硬直しそうなそれを、ムメイは人を食った微笑みを唇に溜めたまま、やり過ごした。跳ね返したのではない。肉体を失って透明になったように、素通りさせたのだ。

 ユキトは目を細めた。


「変なやつ」

「お互い様だね」


 これは、ムメイの発言が正解と言えた。

 そんなやりとりの間も、剣舞のようなアユミとトーマの攻防は続いている。



     *



 ――正しい技を正しく遣う。そうすれば腕力や体格は関係ない。剣士に本当に必要なものは、それができる正しい心だけなのかもしれないな


 四年前、迷えるアユミにそう言って聞かせたときから、すでにトーマは理想と現実のはざまでもがいていたのかもしれない。

 トーマを孤独にさせていたという意味では、心構えが物足りない剣道部の面々だけでなく、自分にも罪があるのだ。

 もっと、トーマくんの話も聴いてあげられたらよかった。

 わたしがもっと強ければ――いや、正しければ。

 そう悔いても、時間は巻き戻せない。そうできなかった事実は変えられない。


 わたしたちは、ここまで来てしまった。


 いま、この瞬間にできることは――


「トーマくん、あなたのおかげで強くなれたよ」

 つたなくても。


「美しい理念の明鏡流が大好きになったよ」

 まとまらなくても。


「あなたはちゃんと、わたしを育ててくれたんだ」

 思いのたけを残らず。


「あなたの支えになれずじまいで、ごめんなさい」

 もう還らないことばかりだけど。


「せめて、これだけは伝えさせて」

 新しい後悔は重ねないように。


「トーマくんがくれたわたしを見せることで」

 わたしがすべきことは。


「トーマくんの『正しい心』は絶対に無駄じゃなかったんだって」

 自分を護るのでなく。


「わたしが、証明するから」


 ――トーマの心を、護ることだ。


 アユミは刀を右の斜め後ろに垂らした。切っ先が身体の陰に隠れる構えだ。

 文字通りの「真剣勝負」の緊張に、全身が汗で濡れている。だが、呼吸は落ちついていた。

 トーマは無言だった。アユミの言ったことを、自分の中でゆっくりと巡らせているような気配があった。

 やがて黙ったまま、トーマも刀を高く掲げた。

 堂々たる上段の構えから放たれる気は、波濤のような圧力だった。

 アユミは臆せず、トーマの気を正面から受けとめた。


 トーマが自分に応えてくれることが――トーマをここまで本気にさせられる自分のことが、アユミは誇らしかった。トーマも同じ気持ちなのだと、素直に信じられる。やっと、心が繋がった。せっかくひとつになれたのに、この時間がもうすぐ終わるのが寂しい。もうすぐ、終わるのだ。

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