「どうして! どうして斬られたの」
トーマのかたわらに膝を突いて、アユミは責めるように訊いた。
大の字になったトーマは、弱々しく微笑んだ。道着が濃い赤色に染まっている。
「トーマくんなら躱せたでしょう」
贖罪のために、あえてアユミの一刀に身をさらしたとしか思えなかった。
「剣禅一致――動けば、技になる。その境地に、アユミは達したんだ。あれは躱せない」
「嘘」
「本当は、自分でもわかっているだろう?」
「嘘だ――嘘だよ!」
わたしが、トーマくんに勝つなんて。
いつか勝ちたいと願いつつ、決して勝てないだろうと思っていた。北極星のように揺らがないトーマの存在が、アユミの行く手を示してくれていた。それなのに。
混乱の極みにあったが、まず応急手当をしなくてはという発想は浮かんだ。アユミは制服の上着を脱いで、傷に押し当てようとした。
トーマがある言葉を発した。
アユミは止血の手を止めた。
「いま、何を……?」
トーマは、アユミが聞き違えないように声を張って、
「殺せ」
そう繰り返した。
「俺は、正しくもなれず、剣鬼にもなれなかった。ただの殺人者だ。もう、いい。とどめを刺せ。それを糧にして、立派な衛士になれ」
言葉の意味が頭に染み込むまで、ずいぶん時間がかかったと思う。
トーマは悟り切ったように、まぶたを閉じて、仏像じみた淡い微笑を浮かべ続けている。
アユミは、トーマをしばらく見下ろした。
やがて、身体にふつふつとと満ちてくるものがあった。
「――いい加減にしてよ!」
滾る感情は、今までトーマに発したことのない言葉と化した。
トーマは目を開けて、驚愕のまなざしでアユミを見上げた。
「また、わたしを置いていくの?」
「アユミ――」
「そうやって置いていこうとするの? 嫌だ! ここに居てよ!」
自分の言うことに、自分で激昂するのを止められない。
「死んで逃げないで。明鏡流を捨てないで。罪を償うために生きて。ここに繋がって、ちゃんと生きて。師範だってそうしたでしょう。トーマくんにもできる。絶対できるよ。だって、トーマくんは――」
視界が滲む。
「ずっと、あなたは、わたしの――」
限界だった。崩れるように座り込んで、アユミは大声で泣いた。
眼鏡をはずして乱暴に涙をぬぐい、しゃくりあげて、また号泣する。
笑い声が弾けた。
アユミは鼻をすすりながら、ユキトを睨みつけた。なぜか似合わなさそうな眼鏡を額に乗せているのが、ますますアユミの怒りをかき立てる。何をふざけているのか。
「何がおかしいんですか!」
抗議しながら、げほっ、げほっと噎せてしまう。
「だってアユ、子どもみたいだよ」
「そうですよ! 子どもですよ! 何にもわかってなかったですよ!」
ふと、別の声が聞こえて、アユミはトーマに泣き腫らした目を戻した。
信じられなかった。
幼なじみもくつくつと笑いを洩らしていたのだ。
「ひどい! トーマくんまで! 何なの!」
殺せというならそうしようかとまで、一瞬だけ思ってしまった。
「すまない。昔を、思い出してな」
「なんで思い出すの。どこにその要素があるの」
「俺がアユに初めて会ったときも泣いてたなー、ギョエーッって」
「そんなふうには泣いてません。捏造は止めてください」
「間違ったことが罷り通るのを、自分の力で止められないときに、泣く。そういう感じだった」
「いつ。どこで。ねえトーマくん、そういうってどういう?」
「あー、納得。アユってそうだよねー」
「何が納得ですかユキトさん。わたしは全然納得いきませんよ」
必死に会話に割って入るアユミだが、トーマにもユキトにも構われない。
何なんだろう、この人たちは――戸惑いと苛立ちのせいで、すっかり涙は引っ込んでしまった。
「――わかったよ、アユミ」
不意に、トーマはそう言った。
アユミは居住まいを正してトーマを見つめた。
「生きて、裁かれよう」
小さな声で、
「ここに繋がって、剣士の人生をやり遂げよう」
はっきりと、
「アユミの言う通り――それが、明鏡流だ」
トーマは、そう宣言した。
トーマの微笑みの質が変わっていた。これまでのは、悟ったような――と言えば聞こえはいいが、諦めの境地であっただろう。今は違った。覚悟を決めた者の穏やかさをたたえた、アユミが知るトーマにふさわしい顔つきだった。
何もできなくて、護れないものだらけだった。
でも、たったひとつだけ――
大切な人を、わたしにも、護れた。
そう思った途端、全身の緊張がほぐれて、せき止められていた疲労が一気に噴き出すのをアユミは感じた。
「アユミ、すまないが、その上着を貸してくれないか。止血したい。少し気が遠くなってきた」
「おいおい、やばいじゃん! いいよ、俺がやってあげる。休みなよ。トーマも、アユも――」
ふたりの声の輪郭がおぼろげになり、視界がどんどん狭くなって――
アユミは身体を丸め、トーマに身を寄せるようにして、ふわりと倒れこんだ。
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