剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

15 ネクサス

公開日時: 2020年11月18日(水) 10:00
更新日時: 2020年11月18日(水) 21:51
文字数:1,958

「どうして! どうして斬られたの」


 トーマのかたわらに膝を突いて、アユミは責めるように訊いた。

 大の字になったトーマは、弱々しく微笑んだ。道着が濃い赤色に染まっている。


「トーマくんなら躱せたでしょう」


 贖罪のために、あえてアユミの一刀に身をさらしたとしか思えなかった。


剣禅一致けんぜんいっち――動けば、技になる。その境地に、アユミは達したんだ。あれは躱せない」

「嘘」

「本当は、自分でもわかっているだろう?」

「嘘だ――嘘だよ!」


 わたしが、トーマくんに勝つなんて。

 いつか勝ちたいと願いつつ、決して勝てないだろうと思っていた。北極星のように揺らがないトーマの存在が、アユミの行く手を示してくれていた。それなのに。

 混乱の極みにあったが、まず応急手当をしなくてはという発想は浮かんだ。アユミは制服の上着を脱いで、傷に押し当てようとした。

 トーマがある言葉を発した。

 アユミは止血の手を止めた。


「いま、何を……?」


 トーマは、アユミが聞き違えないように声を張って、


「殺せ」


 そう繰り返した。


「俺は、正しくもなれず、剣鬼にもなれなかった。ただの殺人者だ。もう、いい。とどめを刺せ。それを糧にして、立派な衛士になれ」


 言葉の意味が頭に染み込むまで、ずいぶん時間がかかったと思う。

 トーマは悟り切ったように、まぶたを閉じて、仏像じみた淡い微笑を浮かべ続けている。

 アユミは、トーマをしばらく見下ろした。

 やがて、身体にふつふつとと満ちてくるものがあった。


「――いい加減にしてよ!」


 滾る感情は、今までトーマに発したことのない言葉と化した。

 トーマは目を開けて、驚愕のまなざしでアユミを見上げた。


「また、わたしを置いていくの?」

「アユミ――」

「そうやって置いていこうとするの? 嫌だ! ここに居てよ!」


 自分の言うことに、自分で激昂するのを止められない。


「死んで逃げないで。明鏡流を捨てないで。罪を償うために生きて。ここに繋がって、ちゃんと生きて。師範おじいさんだってそうしたでしょう。トーマくんにもできる。絶対できるよ。だって、トーマくんは――」


 視界が滲む。


「ずっと、あなたは、わたしの――」


 限界だった。崩れるように座り込んで、アユミは大声で泣いた。

 眼鏡をはずして乱暴に涙をぬぐい、しゃくりあげて、また号泣する。

 笑い声が弾けた。

 アユミは鼻をすすりながら、ユキトを睨みつけた。なぜか似合わなさそうな眼鏡を額に乗せているのが、ますますアユミの怒りをかき立てる。何をふざけているのか。


「何がおかしいんですか!」


 抗議しながら、げほっ、げほっと噎せてしまう。


「だってアユ、子どもみたいだよ」

「そうですよ! 子どもですよ! 何にもわかってなかったですよ!」


 ふと、別の声が聞こえて、アユミはトーマに泣き腫らした目を戻した。

 信じられなかった。

 幼なじみもくつくつと笑いを洩らしていたのだ。


「ひどい! トーマくんまで! 何なの!」


 殺せというならそうしようかとまで、一瞬だけ思ってしまった。


「すまない。昔を、思い出してな」

「なんで思い出すの。どこにその要素があるの」

「俺がアユに初めて会ったときも泣いてたなー、ギョエーッって」

「そんなふうには泣いてません。捏造は止めてください」

「間違ったことが罷り通るのを、自分の力で止められないときに、泣く。そういう感じだった」

「いつ。どこで。ねえトーマくん、そういうってどういう?」

「あー、納得。アユってそうだよねー」

「何が納得ですかユキトさん。わたしは全然納得いきませんよ」


 必死に会話に割って入るアユミだが、トーマにもユキトにも構われない。

 何なんだろう、この人たちは――戸惑いと苛立ちのせいで、すっかり涙は引っ込んでしまった。


「――わかったよ、アユミ」

 不意に、トーマはそう言った。

 アユミは居住まいを正してトーマを見つめた。


「生きて、裁かれよう」

 小さな声で、


ここに繋がって、剣士の人生をやり遂げよう」

 はっきりと、


「アユミの言う通り――それが、明鏡流だ」

 トーマは、そう宣言した。


 トーマの微笑みの質が変わっていた。これまでのは、悟ったような――と言えば聞こえはいいが、諦めの境地であっただろう。今は違った。覚悟を決めた者の穏やかさをたたえた、アユミが知るトーマにふさわしい顔つきだった。

 何もできなくて、護れないものだらけだった。

 でも、たったひとつだけ――

 大切な人を、わたしにも、護れた。

 そう思った途端、全身の緊張がほぐれて、せき止められていた疲労が一気に噴き出すのをアユミは感じた。


「アユミ、すまないが、その上着を貸してくれないか。止血したい。少し気が遠くなってきた」

「おいおい、やばいじゃん! いいよ、俺がやってあげる。休みなよ。トーマも、アユも――」


 ふたりの声の輪郭がおぼろげになり、視界がどんどん狭くなって――

 アユミは身体を丸め、トーマに身を寄せるようにして、ふわりと倒れこんだ。

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