カズヤの憤怒がアユミから、双つ結びの女帝に転じた。
「きさま、今なんと言った」
「さっきからその娘を蔑んでいるようだけれど、お前にそんな資格があって?」
通り名にふさわしいコノミの傲然たる物言いは、火に油を注ぐの喩えそのものだった。
「カズヤさんもコノミさんも、落ち着いてください」
不測の展開に、アユミはそっと刀の柄に手を添えた。カズヤが実力行使に出るなら、止めなくては。
張り詰めた数瞬が過ぎた。
ふいに、カズヤは舌打ちして、きびすを返した。衛士であるアユミに絡みたかっただけなのに、騒ぎが妙に大きくなってきて鼻白んだらしい。
「下らん学校だ」
そう吐き捨てて、靴音も荒々しく出て行った。横入りの男子があわててその後を追う。
周りの生徒たちの表情が、安堵で和らいだ。会計が再開されて、いつもの購買部の風景が戻ってくる。
「下らないのはお前でしょうに。学院の品位が落ちる」
つんと顎をあげるコノミに、アユミは訊いてみた。
「あの、カズヤさんについて知っているんですか。その、妾の子って」
「ご存じないのね」
コノミは冷笑した。
「だから、父親とは苗字が違うし、社長は本妻のあいだにも息子がいるから、カズヤが会社の跡を継ぐこともないでしょう。持て余された存在なのよ」
どろどろしたテレビドラマのような話だ。渋い顔つきになってしまうアユミに、コノミは好奇の目を向けてきた。
「お前がアユミ? ふぅん、いいお顔ね」
「はあ、ありがとうございます」
「高等部から入学して、いきなり衛士になったのですって? 能力は高いのでしょうけど、学院生としての常識は足りなさすぎますわね」
「すいません、まだ日が浅くて」
友だちならともかく、親しくない人間の込み入った事情などそうそう知る機会はないと思うのだが。上流階級の世界は複雑にできているようだ。
「社長は一代で自分の建設会社をいちおう大手の事業者と呼べる規模に育てた、よくいえば立志伝中の人物だけれど、要するに成り上がりの好色者にすぎない。カズヤもあんな下品な男。血は争えないものね」
「あの、コノミさん」と、アユミはコノミの台詞ををさえぎった。
「確かに彼は素行の悪い人ですけれど、中傷じみたことは、その――」
コノミはぎゅっと顔をしかめた。覚悟はしていたが、やはり、アユミの進言は女帝の機嫌をたちまち損ねたようだった。
「飼い犬に手を噛まれた気分ですわ。せっかく助けてさしあげたのに」
アユミを映すコノミの目は、まさに冷酷な飼い主のそれだった。
「そもそも、お前に威厳が足りないのが問題じゃなくって? 不逞の輩には堂々と対処してもらわなければ。まして今は非常事態でしょう」
「そうよ、衛士なんだから他の生徒に迷惑をかけずにきちっとやっつけなさい」
「あんな男たち、丸ごと放校にしてよ」
コノミの両脇の少女たちも口々にアユミを責める。
一難去ってまた一難とはこれか。アユミが途方に暮れていると――
「アユとコノちゃんズが喧嘩してる」
コノちゃんズ。きっと、コノミたちをそう呼ぶのも学院でひとりだけなのだろう。
「やめなよ。無駄に腹が減るよ。分けてやんないぞ」
食料品売り場の奥からやってきたユキトは、豪華な箱の弁当をふたつ抱えていた。「抱える」というサイズだ。アユミより小柄なのに、この少年はよく食べる。
午前の全校集会のときに垣間みせた真剣さはどこへやら、いつも通りのゆるい格好に似つかわしいゆるい笑顔を、少女たちに交互に振り向けた。
「どうしてもやるなら、アユの味方をするかどうかは、両方の言い分を聞いて決める。場合によっては断腸の思いでコノちゃんズに加入する。団長なので」
断腸の思い、本当に気に入っているらしい。
「大丈夫です。味方になっていただかなくても」
アユミはそう応じ、コノミも「別に、喧嘩じゃありませんわ」と、精彩を欠いた調子でぼそぼそと言う。衛士を恐れてというよりは、ユキトの無邪気さに毒気を抜かれたようだった。
「ふーん」
ユキトの反応はそれだけだった。
購買部にいたのなら、コノミより、カズヤとの諍いに気づいてほしかった。
――きっと、昼ごはんを選ぶのに夢中だったのね。
そう結論づけたアユミを、ユキトがふいに真面目な声で「アユ」と呼んだ。
アユミも「はい」とかしこまって返事する。
「うーん」と、少し言い淀んでから、ユキトは言葉を継いだ。
「アユももう少しさぁ、手心っていうの? あいつは確かに感じ悪いけどだからって俺みたいにアユの厳しい言葉に耐えられるやつはこの世界にそうそう――」
「見てたんじゃないですか!」
アユミは絶叫した。「カズヤさんと言い合ってたのを! 見てたのなら来てください!」
「いやー、ちょっとやばいかなぁとは思ったんだよ? でも、この何とか御膳って数量限定の弁当が売られる日でさ、どうしても列を離れらんなくて、まあアユならなんとかうまいこと切り抜けるだろうと」
「そんな理由で! あなたって人は!」
「だってこれ、すごいうまそうなんだよ。何だよー、後輩の成長をそっと見守る立派な先輩だろ」
「わたしじゃなくてお弁当を見てたんでしょう」
「もうから――遊んでやんないぞ」
「からかわなくても遊ばなくてもけっこうです!」
叫びすぎて眼鏡がずれた。直しながら、アユミは息をついて、
「ねえ、本当にユキトさんでいいんでしょうか」
「何が」
「団長代理です。副団長かミツハルさんと交替しませんか」
「反乱分子」
ぼそりとつぶやく団長代理である。
「ユキト、アユミ」
そんなふたりを、コノミが醒めきった声で呼んだ。
「はい」
「なーに、コノちゃん」
「お前たちがいちばん騒々しい!」
簡潔な女帝の指摘に、コノミの取り巻きだけでなく、会計の列に並んでいる生徒たちもいっせいにうなずく。決して不快とか、抗議の意味ではなく、事実を肯定しただけという感じだが――
「ヴヴッ、すいません……」
アユミはうなだれた。なんという昼休みだ。身も心もちっとも休まらない。おもに心が。
「や、お前――そこまで落ち込まれるとこちらも困りますわね……」
コノミもさすがに気まずそうな顔をする。
「はっはっは。早く食べたいなこれ」
ユキトは何とか御膳を抱えてのんきに笑っている。
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