剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

4 お手本

公開日時: 2020年10月23日(金) 17:59
更新日時: 2020年10月24日(土) 09:13
文字数:1,847

「おーい、カズヤー」


 アユミを挑発するカズヤを、足の自由を奪われたユキトが呼び止める。


「何で俺との勝負が終わった感じになってんの」

「もはや、きさまはそこから一歩も動けまい。加勢が入らなければ俺になぶり殺されるばかりだろう」


 竜の仮面の下でせせら笑うカズヤの表情を、アユミは容易に想像できたが――


「そうしなよ」


 と、ユキトは言った。


「俺を敵と思うなら、迷わずそうするべきだ」


 いつも通りの口調である。

 強がりでも何でもなく、純粋な指摘という感じだった。


「これで勝ったつもりになっちゃうなら、カズヤ、お前は本当に衛士に向いてなかったんだなぁ」

「何だと?」


 カズヤがユキトに向き直った。

 ユキトの憐れむような台詞は、的確にカズヤの劣等感を刺激したに違いなかった。


「そんなに殺されたいなら、さっさと望みを叶えてやろう」

「『さっさと』じゃあないんだよ。遅すぎてびっくりだよ」


 本当に、いつも通りの口調なのだ。

 なのに――と言うべきか、だから――と言うべきか、アユミは肝が冷えてくるのを感じた。ユキトがここまで平然としていられるのは、無邪気すぎて何も状況を理解していないからだとは、さすがにもうアユミも思わない。

 この程度の戦いは、ユキトにとって、あまりにも悠長すぎる展開なのだ。


「俺が動きを止められて戸惑った一秒くらいの間に、お前はやらなきゃいけなかった。センザイイチゴの機会をお前は逃した。ロウ、なんで洗剤いちごって言うの。いちご味みたいに甘ぁいチャンスって意味?」

「千載一遇だ」


 いきなり脱力ものの質問を投げられても、淡々と応える副団長である。

 そんなふたりのやりとりも、ますますカズヤの怒りをかき立てたらしい。

 さらにフォークやナイフを拾い上げて投げつけ、ユキトの上半身の影も地面に縫い止める。これで、迫る死の刃を防ぐ術はなくなったと思われた。


「地獄で俺に詫びろぉ!」


 カズヤは地を蹴ってユキトに斬りかかった。

 その刀が空を切ったのだ。仮面が驚愕の表情を浮かべたようにアユミには見えた。

 ユキトが、アユミやロウのそばまで移動していた。

 アユミはユキトの影に目を落とした。


 魔術剣の攻撃で刺されていた数カ所に、紙に鉛筆を刺したような穴が開いている。

 そして、ユキトが一瞬前までいた場所――地面に突き立ったナイフやフォークの先端に、ちぎれた影の欠片が残っている。


 単純すぎて、誰も予想できない方法だった。

 少なくともアユミはあぜんとしていた。

 カズヤの魔術剣が未熟だったのかもしれない。ユキトの抵抗レジスト力が優れていたのかもしれない。ともかく、ユキトは思念を集中させ、影をちぎって強引に動いてみせたのだ。


「バカな――」


 カズヤは動揺に大きくあえいだ。


「ロウ、刀」


 ユキトは右手を伸ばした。

 ロウが躊躇うような顔をした。


「いいのか」

「やってみせないと収まらないんじゃないかな。貸して。団長代理命令」


 そう言われれば逆らえまい。ロウは自分の刀を抜いてユキトに手渡した。

 ついにまっとうな武器を握って、ユキトが前に出た。


「あんまり俺は好きじゃないんだけど――」


 と言いながら、びゅっと右手で斜め下に素振りする。

 かちゃん、と音がした。

 もう一度、振る。

 もっと大きな音が立った。

 最初のは、芝生に転がる皿が割れる音だった。今のは、横倒しになっているテーブルがふたつになる音だった。どちらも刃はモノに触れていないはずだった。


「よっ」


 かけ声を掛けて、短い距離をダッシュしながら、地面を撫でるように刀を走らせた。

 そこには影があった。庭園を見下ろす樹木の影が。

 どぉん、と地響きを立てて、豊かな枝葉を広げる樹木の上部が倒れ落ちてきたのである。


「影を斬れるのなら、こうやってさっさと俺をやればよかった。心臓にフォークを投げればよかった」


 静まり返った庭園を、ユキトの声が渡った。


「そこまでの威力はないんなら、俺の動きを止めといて、じかに腕の一本でも斬り落とせばよかった。どっちにしても暗殺技だよね。見せびらかすタイプの魔術剣じゃない。お前の自己顕示欲は、戦いの場では一番いらないな。ジコケンジヨク――合ってる、アユ?」

「合って……ます……」

「よかった!」


 ユキトはにこにこと笑った。長い熟語をちゃんと言えたことのほうが、ユキトにとっては重要らしかった。

 カズヤの〈影縛り〉を上回る〈影斬り〉の魔術剣を披露したことよりも。


「じゃあお手本を見せようね。例えばこう」


 そんな言葉を残して、ユキトは悠々と――しかし、誰も反応できない速度でカズヤとの距離を詰め、カズヤの影――その頭の部分を右から左へ薙いだ。

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