「おーい、カズヤー」
アユミを挑発するカズヤを、足の自由を奪われたユキトが呼び止める。
「何で俺との勝負が終わった感じになってんの」
「もはや、きさまはそこから一歩も動けまい。加勢が入らなければ俺になぶり殺されるばかりだろう」
竜の仮面の下でせせら笑うカズヤの表情を、アユミは容易に想像できたが――
「そうしなよ」
と、ユキトは言った。
「俺を敵と思うなら、迷わずそうするべきだ」
いつも通りの口調である。
強がりでも何でもなく、純粋な指摘という感じだった。
「これで勝ったつもりになっちゃうなら、カズヤ、お前は本当に衛士に向いてなかったんだなぁ」
「何だと?」
カズヤがユキトに向き直った。
ユキトの憐れむような台詞は、的確にカズヤの劣等感を刺激したに違いなかった。
「そんなに殺されたいなら、さっさと望みを叶えてやろう」
「『さっさと』じゃあないんだよ。遅すぎてびっくりだよ」
本当に、いつも通りの口調なのだ。
なのに――と言うべきか、だから――と言うべきか、アユミは肝が冷えてくるのを感じた。ユキトがここまで平然としていられるのは、無邪気すぎて何も状況を理解していないからだとは、さすがにもうアユミも思わない。
この程度の戦いは、ユキトにとって、あまりにも悠長すぎる展開なのだ。
「俺が動きを止められて戸惑った一秒くらいの間に、お前はやらなきゃいけなかった。センザイイチゴの機会をお前は逃した。ロウ、なんで洗剤いちごって言うの。いちご味みたいに甘ぁいチャンスって意味?」
「千載一遇だ」
いきなり脱力ものの質問を投げられても、淡々と応える副団長である。
そんなふたりのやりとりも、ますますカズヤの怒りをかき立てたらしい。
さらにフォークやナイフを拾い上げて投げつけ、ユキトの上半身の影も地面に縫い止める。これで、迫る死の刃を防ぐ術はなくなったと思われた。
「地獄で俺に詫びろぉ!」
カズヤは地を蹴ってユキトに斬りかかった。
その刀が空を切ったのだ。仮面が驚愕の表情を浮かべたようにアユミには見えた。
ユキトが、アユミやロウのそばまで移動していた。
アユミはユキトの影に目を落とした。
魔術剣の攻撃で刺されていた数カ所に、紙に鉛筆を刺したような穴が開いている。
そして、ユキトが一瞬前までいた場所――地面に突き立ったナイフやフォークの先端に、ちぎれた影の欠片が残っている。
単純すぎて、誰も予想できない方法だった。
少なくともアユミはあぜんとしていた。
カズヤの魔術剣が未熟だったのかもしれない。ユキトの抵抗力が優れていたのかもしれない。ともかく、ユキトは思念を集中させ、影をちぎって強引に動いてみせたのだ。
「バカな――」
カズヤは動揺に大きくあえいだ。
「ロウ、刀」
ユキトは右手を伸ばした。
ロウが躊躇うような顔をした。
「いいのか」
「やってみせないと収まらないんじゃないかな。貸して。団長代理命令」
そう言われれば逆らえまい。ロウは自分の刀を抜いてユキトに手渡した。
ついにまっとうな武器を握って、ユキトが前に出た。
「あんまり俺は好きじゃないんだけど――」
と言いながら、びゅっと右手で斜め下に素振りする。
かちゃん、と音がした。
もう一度、振る。
もっと大きな音が立った。
最初のは、芝生に転がる皿が割れる音だった。今のは、横倒しになっているテーブルがふたつになる音だった。どちらも刃はモノに触れていないはずだった。
「よっ」
かけ声を掛けて、短い距離をダッシュしながら、地面を撫でるように刀を走らせた。
そこには影があった。庭園を見下ろす樹木の影が。
どぉん、と地響きを立てて、豊かな枝葉を広げる樹木の上部が倒れ落ちてきたのである。
「影を斬れるのなら、こうやってさっさと俺をやればよかった。心臓にフォークを投げればよかった」
静まり返った庭園を、ユキトの声が渡った。
「そこまでの威力はないんなら、俺の動きを止めといて、じかに腕の一本でも斬り落とせばよかった。どっちにしても暗殺技だよね。見せびらかすタイプの魔術剣じゃない。お前の自己顕示欲は、戦いの場では一番いらないな。ジコケンジヨク――合ってる、アユ?」
「合って……ます……」
「よかった!」
ユキトはにこにこと笑った。長い熟語をちゃんと言えたことのほうが、ユキトにとっては重要らしかった。
カズヤの〈影縛り〉を上回る〈影斬り〉の魔術剣を披露したことよりも。
「じゃあお手本を見せようね。例えばこう」
そんな言葉を残して、ユキトは悠々と――しかし、誰も反応できない速度でカズヤとの距離を詰め、カズヤの影――その頭の部分を右から左へ薙いだ。
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