剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

10 寂しい人

公開日時: 2020年10月7日(水) 10:00
更新日時: 2020年10月8日(木) 11:17
文字数:1,615

 豹の仮面を斬られて、刺客は溶けるように倒れた。

 アユミは息を呑んだ。

 さらされた素顔は、アユミより下の歳――学校に行っていれば中学生とおぼしき少年だったのである。

 アユミは少年に駆け寄って、脈を取り、呼吸を確かめた。

 どちらもある。それでも、アユミには少年が死んだとしか思えなかった。重傷のヒトシですらかすかにに残っていた生気が、欠片も感じられない。


「こちらも同じだ」

 ロウも自分が倒した相手の仮面を剥いでいたが、首を横に振る。「精神の芯までやられている。医学では治るまい」

 長年の経験が、たちまち症状を見立てたようだった。

 アユミは宙を睨みつけた。


「こんな仮面を世に出すのはやめなさい」

「売れなければ扱わぬよ」


 アユミが見据える闇の裏から、ぬるりと白い影が生まれた。

 ムメイがふたたび姿を現したのだ。


「世に出されるのは、大枚をはたいて欲する者がいるからだ」

「そういう理屈は好みません。竜の仮面を、誰に売ったのですか」

「人間より遙かに高い知能を有した竜を象った呪面は、理性を完全に保ったまま潜在能力を引き出せる。棄民の技術を持ってしても、作るのは困難だ。当然値も張るし、私が客を選ぶよ。面白いことをやってくれそうな者にしか渡さない」

「面白い?」


 アユミの声は悽愴せいそうな響きを帯びた。


「ああ。聖ゲオルギウスの名前を冠する学校を、竜の化身が蹂躙じゅうりんするのだよ。面白い皮肉ではないか」


 アユミはハッとして、ロウを見た。ロウはうなずいた。

 コウキとヒトシの悲劇を演出したのが自分であることを、あっさりと言及したのだ。

 もっとも、隠すつもりなら、学院の衛士がウラヨコに来た時点で逃げればいい。

 ムメイにとって、ロウとアユミの来訪は望んでいたことなのだろう。かくれんぼで鬼から逃げつつも、見つかる瞬間をわくわくと待っている子どものように。


「教えてやってもいいが、アユミ、竜面の持ち主を止められるかね」

 廃人と化した少年を視線で示す。「それのように容易い相手ではないよ」

「それと呼ぶのはやめなさい」


 アユミのこんな言葉は、ムメイをますます喜ばせるだけかもしれない。それでも言わずにはいられなかった。


「お前の相手はアユミだけじゃない。俺たち衛士団だ」


 ロウの猛禽のまなざしも、ムメイは悠々と受け止める。


「ロウなら斬れよう。実際の勝敗はともかく、やれる男だ。しかし、アユミはどうかね」

「やれます」


 アユミは敢然と応えた。

 ムメイが、眼鏡の奥の目を可笑しそうに細める。


「私は殺せるのかと訊いているのだよ」

「殺すことも活かすこともできます。それが剣です。あなたがいたずらに死を望むなら、わたしはこれ以上、誰も死なせない。――ムメイさん」

「何かね」

「あなたは、寂しい人ね」


 ぽつりと、アユミは言った。不意にこぼれ出た言葉だった。

 ムメイは、ただ邪悪とか醜悪というのとは違う。もっと危険で、もっと根深い何かを感じさせる。それをアユミの語彙で表わすと――我ながら不思議であるが――寂しい、となった。


 ムメイは初めて、予想外のことが起こったという顔をした。

 それから、声を立てて笑った。長い銀髪が揺れた。こんな男であっても、闇の中で輝くような美しさだった。こんな男だからこそ美しいのかもしれなかった。


「そうやって、己の信じる正しさで他人を斬りつけることはできるのだね。怖い女だ。気に入ったよ、アユミ。きみがどうするのか、ますます見たくなった」


 空間を塗り込めた暗黒が、しだいに薄らいでいく。

 それに合わせて、ムメイの身体も透け始めた。


「次はこちらから学院にうかがおう。楽しみにしていたまえ」

「待ちなさい!」


 アユミの制止も虚しく、銀髪の男は闇とともに去っていく――


 次の瞬間、アユミとロウは、ウラヨコの妖しい雑踏の中に立っていた。

 ムメイの店は跡形もなかった。

 本当になかった。ただテントを畳んだだけなら、そこは空き地になっているはずだ。最初からそんなものは存在しなかったかのように、他の店がすき間なく軒を連ねているのだった。

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