豹の仮面を斬られて、刺客は溶けるように倒れた。
アユミは息を呑んだ。
さらされた素顔は、アユミより下の歳――学校に行っていれば中学生とおぼしき少年だったのである。
アユミは少年に駆け寄って、脈を取り、呼吸を確かめた。
どちらもある。それでも、アユミには少年が死んだとしか思えなかった。重傷のヒトシですらかすかにに残っていた生気が、欠片も感じられない。
「こちらも同じだ」
ロウも自分が倒した相手の仮面を剥いでいたが、首を横に振る。「精神の芯までやられている。医学では治るまい」
長年の経験が、たちまち症状を見立てたようだった。
アユミは宙を睨みつけた。
「こんな仮面を世に出すのはやめなさい」
「売れなければ扱わぬよ」
アユミが見据える闇の裏から、ぬるりと白い影が生まれた。
ムメイがふたたび姿を現したのだ。
「世に出されるのは、大枚をはたいて欲する者がいるからだ」
「そういう理屈は好みません。竜の仮面を、誰に売ったのですか」
「人間より遙かに高い知能を有した竜を象った呪面は、理性を完全に保ったまま潜在能力を引き出せる。棄民の技術を持ってしても、作るのは困難だ。当然値も張るし、私が客を選ぶよ。面白いことをやってくれそうな者にしか渡さない」
「面白い?」
アユミの声は悽愴な響きを帯びた。
「ああ。聖ゲオルギウスの名前を冠する学校を、竜の化身が蹂躙するのだよ。面白い皮肉ではないか」
アユミはハッとして、ロウを見た。ロウはうなずいた。
コウキとヒトシの悲劇を演出したのが自分であることを、あっさりと言及したのだ。
もっとも、隠すつもりなら、学院の衛士がウラヨコに来た時点で逃げればいい。
ムメイにとって、ロウとアユミの来訪は望んでいたことなのだろう。かくれんぼで鬼から逃げつつも、見つかる瞬間をわくわくと待っている子どものように。
「教えてやってもいいが、アユミ、竜面の持ち主を止められるかね」
廃人と化した少年を視線で示す。「それのように容易い相手ではないよ」
「それと呼ぶのはやめなさい」
アユミのこんな言葉は、ムメイをますます喜ばせるだけかもしれない。それでも言わずにはいられなかった。
「お前の相手はアユミだけじゃない。俺たち衛士団だ」
ロウの猛禽のまなざしも、ムメイは悠々と受け止める。
「ロウなら斬れよう。実際の勝敗はともかく、やれる男だ。しかし、アユミはどうかね」
「やれます」
アユミは敢然と応えた。
ムメイが、眼鏡の奥の目を可笑しそうに細める。
「私は殺せるのかと訊いているのだよ」
「殺すことも活かすこともできます。それが剣です。あなたがいたずらに死を望むなら、わたしはこれ以上、誰も死なせない。――ムメイさん」
「何かね」
「あなたは、寂しい人ね」
ぽつりと、アユミは言った。不意にこぼれ出た言葉だった。
ムメイは、ただ邪悪とか醜悪というのとは違う。もっと危険で、もっと根深い何かを感じさせる。それをアユミの語彙で表わすと――我ながら不思議であるが――寂しい、となった。
ムメイは初めて、予想外のことが起こったという顔をした。
それから、声を立てて笑った。長い銀髪が揺れた。こんな男であっても、闇の中で輝くような美しさだった。こんな男だからこそ美しいのかもしれなかった。
「そうやって、己の信じる正しさで他人を斬りつけることはできるのだね。怖い女だ。気に入ったよ、アユミ。きみがどうするのか、ますます見たくなった」
空間を塗り込めた暗黒が、しだいに薄らいでいく。
それに合わせて、ムメイの身体も透け始めた。
「次はこちらから学院にうかがおう。楽しみにしていたまえ」
「待ちなさい!」
アユミの制止も虚しく、銀髪の男は闇とともに去っていく――
次の瞬間、アユミとロウは、ウラヨコの妖しい雑踏の中に立っていた。
ムメイの店は跡形もなかった。
本当になかった。ただテントを畳んだだけなら、そこは空き地になっているはずだ。最初からそんなものは存在しなかったかのように、他の店がすき間なく軒を連ねているのだった。
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