剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

10 創始者

公開日時: 2020年9月20日(日) 10:00
更新日時: 2020年9月20日(日) 10:12
文字数:1,864

「大変だな、衛士は。恐れられ、疎まれるような存在感が必要でもある立場だ」


 隣に座るトーマの言葉に、アユミは「うん」と応えた。

 正直に、遠慮なく、そう言える相手だった。


「だが、やめようとは思わないのだろう」

「そうだね。わたしもトーマくんと同じ――って言ったらおこがましいけれど」

「そんなことはない。話してくれ」

「わたしも、自分が強くなることだけを目標にはできなくなってきたから。剣を遣えるってことは、別に偉いことでもないし」

「凄いことを言う。明鏡流めいきょうりゅうが否定されたか」

「違う、違うの」


 トーマの和らいだ表情から、冗談であることはわかる。それでも兄弟子にそんなことを言わせてしまい、アユミは慌ててかぶりを振った。


「わたしと同じくらい剣を遣える人はいくらでもいる。どうがんばったって、わたしが世界一の剣士になることはないと思う」


 そんなことないさ、とトーマは言わない。


「俺だって、そうさ」


 こう言う。そういう人だから、アユミはトーマを信頼しているのだった。

 もっとも、トーマはもしかしたらその領域へと至るのではないかと、アユミは本気で思っているのだけど。


「わたしはなんのために剣を振るうんだろう。振るう資格があるとすれば、それはなんだろう。トーマくんが学院に行って、師範が亡くなって、あのことがあって――その間、ずっと考えてた」

「アユミ」

「うん」

「本当は、明鏡流は重荷か」

「そんな!」


 思わず声が高くなった。今度は、冗談ではなかった。本当にトーマを案じさせてしまった。


「そうじゃないよ。わたしの言葉が足りなかったかな。そうじゃないの。明鏡流のことは大好きだよ。明鏡流を究めていく喜びは、他の何にも換えられない」

 でも、と、アユミは懸命に説明する。「トーマくんも、それだけじゃいけないと思ったから、学院の剣道部に入ったんでしょう」

「そうだな――そうだ。アユミも、俺と同じか」


 トーマが得心したようにうなずいて、アユミは気持ちが伝わったことに安堵する。この人に誤解されたくはない。


「じいさんが亡くなってから、もうすぐ三年か」


 感慨深げにトーマが言った。


「早いね」


 アユミは師範――トーマの祖父の、皺だらけの顔に浮かぶ穏やかな表情を思い出す。



     *



 明鏡止水めいきょうしすい

 鏡のように曇りなく、水のように澱みなく、平静な心境のことを言う。

 明鏡流の名前の由来である。


 創始者の征二セイジ=ザウエルは、享年百三十七歳。人間としては異常な長寿であった。

 亡くなる寸前まで矍鑠かくしゃくとしていて、自ら門弟の指導にあたっていた。

 セイジは若いころ、軍隊にいた。一切の火器を無効とする魔術障壁マジック・バリアも、達人の思念を篭めた一刀で破れることがある。武術家は〈大戦〉で重宝されたそうだ。

〈戦前〉の兵士は〈旧魔術〉によって、さまざまな強化処置が施されたという。疲れないように、眠らないように。手足がちぎれても痛みを感じないように。死ぬことも、殺すことも厭わないように。

 その副作用で、短命になった者もいれば、セイジ曰く「死にたくてもなかなか死なん、因業な身体」になった者もいた。師範は後者だったわけだ。


 ――争いはいかん。退屈なくらい平和なのが、いちばんいいんだよ。


 そんなことを言って、いつも物静かに笑んでいる老人だった。


 アユミが知るセイジの様子からは想像しがたいが、セイジは〈大戦〉で、実に多くの敵を斬ったという。

 英雄だ。軍の上層部に残ることもできた。連合国の人間も、セイジの剣術には興味を示していたらしい。

 だが、セイジは栄誉を捨てて下野げやし、明鏡流を作った。

 やむを得ないことであったとしても、人を殺すために剣を振るったことを後悔して、今度は人を守ったり育てたりするための剣を究めることを志した――

 

 その明鏡流の成り立ちが、アユミは好きだった。

 嫌気が差して剣を棄てる選択肢もあっただろう。しかし、セイジは自分の剣から逃げなかった。剣で犯した罪を、剣で償う道を進んだ。

 そんな明鏡流に、アユミは惹かれた。

 護身術のひとつでもと道場に通わせた両親が、娘の入れ込み具合をかえって心配するくらいだった。

 

 武道はどうしても、ある段階より先は、理屈を超えたものが求められる。言語だけでは伝え切れない、果てしない稽古の果てにしか辿り着けない境地が、確かに存在するのだ。

 精神論にりかからず、よりよい方法を論理的に模索することは大切だ。しかし、近道を探してはいけない。

 アユミには、それができた。

 できたかどうかはわからないが、やろうとした。

 自分に何か才能らしきものがあるとすれば、言われたことをよく考え、その通りに稽古し続けるという、ただその一点しかないと思う。

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