剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

3 魔術剣

公開日時: 2020年10月21日(水) 10:00
更新日時: 2020年10月21日(水) 12:17
文字数:2,506

「どこまで俺を愚弄する気だぁ、ユキト!」


 カズヤの絶叫は泣き声に似ていた。

 この件についてだけは、アユミもカズヤに同情できた。

 カズヤがこれほど執着し、恨みを篭めて挑発し続けていた衛士団――その団長代理がとうとう自分と同じ壇上に立ったと思ったら、ちょっと固い食べ物を切るのも苦労しそうなテーブルナイフ一本で戦おうというのだ。


ゴパーくらいかな」

 ユキトはのほほんと言った。「ま、これで足りるんじゃね?」

 それは、実力の五パーセントも出せば勝てるという意味か。


 初夏の午後らしい晴れやかな空が、学院の上に広がっていた。

 そよ風が吹いた。庭園の周りに植えられた木々が、さわさわとやさしく鳴った。それにつれて、芝生に落ちる枝葉の影も揺れた。

 そんな穏やかさとは対極のものが、ユキトとカズヤの間に張りつめていった。

 空間が歪んでいるように見える。鋭い剣気がぶつかると、こうなる。

 庭園にいた者の大半が、いまだ逃げ出さず、観衆と化しているのは奇妙な現象だった。そこまで考えが至らないほど緊張しきっているのだ。


 長い一瞬が過ぎて――

 カズヤが前に出た。

 上から斬りつける――と見せかけて、ぐんと腕を伸ばし、激しく突きかかるのが、傍で見ているアユミにはかろうじてわかった。カズヤへの感情を抜きにすれば、賞賛に値するフェイントだった。

 ユキトは不敵に笑った。


 金属音が蒼穹に舞い上がった。


 まさか、と皆が思ったことを、本当にやってのけるとは――食事用の華奢なナイフで、ユキトはカズヤの一撃を弾き飛ばした!

 西洋剣の刃が、くるくると回って陽光にきらめいた。

 ぼとりと地面に落ちた。

 手元に残った、ほとんど柄だけの武器を、カズヤは惚けたように見つめた。

 アユミもたぶん同じ顔になっていた。


 角度だ。

 突きの威力を受け流して利用する精妙な角度で、西洋剣の側面にナイフを叩きつけ、硬度では比べものにならないそれで固い刃をへし折ったのだ。卓抜した動体視力と繰剣技術がなし得る神業であった。


 ――強すぎるんだよね、俺。刀なんか抜いたら、だいたいのやつは死んじゃうからさ。持たないようにしてる。


 いつか聞いた世迷い言が、真実味を伴って思い出された。

 幼いアユミを救ってくれた、棒付きキャンディの〈少女〉の幻影が、テーブルナイフを持つユキトに重なる――


「もうやめたほうがいいんじゃない?」


 飄々とユキトは言った。

 アユミなら、敗北を認めるだろうか。わからない。

 しかし、今のカズヤのように、うすら笑いを浮かべはしないだろう。


「アユミが出て行った後で、ジン先生に確認した」

 かたわらのロウが暗い声で告げる。「ムメイから買った仮面はひとつだけですか、と」


 アユミは耳を疑い、次いで目を疑った。

 カズヤは制服の内側に隠していた竜の呪面を取り出していた。


「ふたつあるの……」


 その可能性に思い至らなかったのは手ぬるかった。訊かれないことを、あの美しくたわけた男が進んで教えてくれるはずがない。


「これを着けると、どうなると思う、ユキト?」


 カズヤがねっとりと訊いた。


「着けてみてよ」


 ユキトはあっさりと言った。こんな状況で、新しいおもちゃを見る子どものように顔が輝いている。


「実際どのくらいパワーアップするのか、興味あるんだよね」

「ならば、その身をもって知るがいい。余裕ぶっていられるのも――」

「あー、お前のそういうの、もういいから。飽きた。やなことを言うんなら、アユみたいに何としても俺の心をえぐり取ってやろうという勢いが欲しいよね。欲しいかな。欲しくないな」


 どうして尊敬を六十秒以上たせてくれないんだろうこの人は、とアユミは思った。

 マダム・チヨコがふふっと笑って「あの子はあなたが大好きみたいね」と言うが、本当に勘弁してもらいたい。


「まだ? 着けないなら俺に貸して」

「きさまの死体に被せてやろう!」


 カズヤは呪面を装着した。

 気配が、たちまち変わった。

 ウラヨコで戦わされた豹面の刺客――それよりもはるかに凶悪な殺気が、カズヤから発散される。

 ドサッと音がした。緊張感に耐えかねて倒れる生徒が現われたのだ。

 カズヤが消えた。

 動きを目で追いかけたアユミは、巡視の衛士のひとりが襲われるのを見た。

 衛士の刀を持つ腕に、カズヤが手刀チョップを振り下ろす。寒気のする音が届いた。腕を折られて苦悶する衛士を蹴りつけながら、カズヤは刀を奪い取った。

 速い。そして、膂力りょりょくが爆発的に高まっている。


「俺を軽んじたことを後悔しろ、ユキトォ!」


 カズヤはユキトに突進した。

 空気のえぐれる音が聞こえた。

 片手で打ち下ろし、薙ぎ払い、また突きかかる。

 西洋剣も使えるし、刀も作法に則った確かな扱いができることに、アユミは驚きと切なさを同時におぼえた。剣術の神は気まぐれである。こんな男に、これだけの才能を授けることもあるのだ。

 さっきとは桁違いのパワーとスピードに、今度は受けたテーブルナイフが割り箸のごとく折られる番だった。

 ユキトは大きく後ろへ飛ぶ――この少年が、ついに後退した!


「かかったな!」


 狂喜の叫びを迸らせて、カズヤは空いた手を振った。

 食器のフォークがはしった。三本。カズヤも拾って隠し持っていたのだ。

 矢のように飛んだ小さな三叉槍さんさそうは、しかし、ユキトの手前の地面に突き刺さった。

 狙いを外したのではなかった。


「痛てっ」


 顔をしかめて、ユキトが前のめりになる。


「あれ、足が動かないな」


「――影か」と、ロウが吐き捨てた。

「魔術剣ね」と、マダムも厳しい声音で言う。


「見ろ、アユミ」

 ロウが説明してくれる。「ユキトは太陽を背にするように誘導された」


 陽光を受けて、ユキトの正面には自身の影が落ちている。カズヤが投げつけたフォークは、その腰や足の部分を貫いていた。

 影を刺すことで、その主に影響を及ぼすとは! これがコウキやヒトシを倒した秘密であったか。

 呪面は技を授けはしないが、着けた者の潜在能力を引き出す。カズヤは魔力が増して、もともと備わっていた技に、影を縫う力を追加できるようになったものと思われた。


「女ぁ、ゆるしを乞うてみろ! 大事な団長代理の命が惜しければな!」


 邪悪な魔法剣士には、アユミを挑発するゆとりが生まれたらしい。

 加勢するべきかもしれない――アユミは腰の刀にそっと手をかける。

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