剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

5 横入り

公開日時: 2020年9月15日(火) 10:00
文字数:2,172

 ゲオルギウス学院は、外出が厳しく制限されているぶん、校内の施設がたいへん充実している。

 購買部と聞いてコンビニエンスストアみたいなものを想像していたアユミは、初めて実際に訪れたとき、開いた口がふさがらなかった。

 とにかく広い。天井が高い。街のスーパーにあるような日用品も置いているのだが、ブランド品ばかり目につく。アユミの感覚では、高級デパートの数フロアを持ってきて横に並べたような印象だ。


 正午を十分ほど回った昼休み。

 食料品売り場がもっとも混雑する時間帯である。このあたりは外の世界と変わらない。四つある会計口のすべてに、長い行列ができている。

 カートにさまざまな飲み物のペットボトルを入れたアユミは、列の最後尾についた。巡視の密度が上がった衛士たちのための買い出しである。


 学院に在籍している上流階級の子息たちはどんな暮らしをしているのか、入学する前のアユミは戦々恐々としていたが、現在は少しほっとしていた。本物のセレブリティとは、凡人が思うよりずっと大らかなものなのだ。最高級の紅茶と菓子を当然のように買い求める一方で、コーラとポテトチップスを愛することもできる。


 アユミの番まであと五人というところで、異変が起きた。

 なんら悪びれず、列の頭に割りこむ男子が現われたのだ。

 自分の順番を奪われた先頭の少女は、黙って顔を伏せた。すでに諦めが滲んでいる。


「待ってください」


 アユミは列を外れて声をかけた。一同の視線が集中する。

 歳上とおぼしき大柄な男子は、アユミに目をやって顔をこわばらせた。

 この人は、確か――と思ったところで、


「おやおや、買い物をしているだけで衛士に尋問されるのか」


 皮肉がたっぷり染みこんだ声をかけられて、アユミはそちらに顔を向けた。


「あなたは――」


 紺色の長髪を束ね、口元に酷薄な笑みを乗せているのは、昨日ユキトとひと悶着あった、衛士志願者のカズヤだった。元志願者と言うべきか。


「女、何をしている。そんな雑用は下の者にやらせればいいだろう」

亜弓アユミ=ヴェルノです」


 アユミの名乗りを無視して、カズヤは「ああ、なるほど」と大仰にうなずいた。

「こんな使い走りばかりで、重要な仕事は任せてもらえないのか。庶民の女が背伸びをすると哀れなものだな」


 アユミは怒るより、戸惑った。

 学年は十年生でも新人だから率先して下働きをしているのは事実だが、こんなことは誰がやってもいいし、特に屈辱でも何でもないと思うのだが――カズヤの価値観は歪んでいる。それも、かなり陳腐な形状かたちに。

 カズヤは列に割り込んだ男子――橋の上でアユミと小競り合いした相手――を目線で指し示した。


「貸せ。それも買わせてやろう。衛士には媚びないと、ここでは生きていけないからな」

「いえ、けっこうです」

「遠慮するな。そんな安い飲み物、何本でも代わりに払ってやる」

「カズヤさん」と、努めて冷静にアユミは言った。

「お友だちの横入りをやめさせてください」


 おや、というふうに、カズヤの眉がちょっと動いた。


「ひとりくらいいいだろう。お前の分もまとめて会計すれば、店員の手間も省ける」

「そういうことではありません」


 だんだん腹が据わってきた。

 これはもう、衛士団の仕事だった。学院の秩序を保つという意味で。

「あなた、列の後ろに並んでください」と、カズヤの仲間に呼びかける。


「一般生徒をおどかそうというのか」

「違います。わたしはただ――」

「おお、怖ろしい。衛士は人殺しもお咎めなしだからな。そのくせ、学院生が殺されるのは防げない。身内を威嚇するしか能がない集団だ」


 歌劇のごとく両腕を広げて、カズヤは声を張りあげる。


「そんな――!」


 衛士として――そして、剣士としての自分が、ただの野蛮人であるかのような言い草に、アユミは弾けるように反論を放っていた。


「他人を威かしているのはカズヤさんではないですか」

「なにぃ」

「おっしゃるとおり、衛士というのは怖ろしい権限です。だから、あなたには与えられなかった」


 言い過ぎだとすでに後悔が沸いていたが、口は止まらなかった。


「自分がいちどは志したものを執拗に憎むのは、虚しいと思いませんか」


 アユミの容赦ない言葉に、横入りの男子がヒュッと息を吸いこむ。

 カズヤから、余裕の態度が消えた。

 顔が憤りで赤黒く染まっている。


「悪辣な有産階級ブルジョワにたち向かう、善意の労働者階級プロレタリアートといったところか。威勢がいいことだな、女」

亜弓アユミ=ヴェルノです。わたしは、列の順番は守ろうと言いたいだけです。そのことにお金持ちも庶民も関係ありません」


 アユミもカズヤも、相手から目を逸らさない。鼻つまみ者と新人衛士との睨み合いは、混雑した店内に氷の冷たさを招いたが――


「ブルジョワが聞いてあきれますわ。めかけの子風情が偉そうに」


 購買部の入口から、カズヤに勝るとも劣らぬ高慢な声が飛んできた。

 現われたのは、白金色の髪をふたつに結った少女だった。両脇に三人ずつ、翼のように取り巻きを従えながら、豊かな胸の前で腕を組んでいる。

 まだまだ学院の事情には疎いアユミも、彼女の名前は知っていた。

 好珠コノミ=アングラード。この国のありとあらゆる業種に手を広げている大財閥、アングラード家の令嬢だった。歳の離れた姉がいて、こちらも学院出身だと聞いている。

 かつてのアユミが想像していた、ゲオルギウス学院の生徒のイメージをそのまま体現している希少な存在だった。

 通称女帝。


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