剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

12 装置

公開日時: 2020年10月12日(月) 10:00
更新日時: 2020年10月12日(月) 11:11
文字数:2,130

「ぼくがコウキくんを斬りました」


 黒ぶち眼鏡の位置を直して、ジンは微笑みをうっすらと顔に貼りつけた。


「一応は顧問であるぼくに、まさか襲われるとは思わなかったのでしょう。自分でも拍子抜けするくらい簡単に殺すことができましたよ」


「言い逃れはよしなさい」

 ロウの口調は、教師に対するものではなくなっていた。「呪面はただ、肉体の潜在的な能力や、精神の狂気を引き出すもの。武術を身につけさせはしない。剣道部の副将が、あなたに後れは取るまい」


 ムメイが放った仮面の刺客ふたりをたちまち無力化したロウの、実感の篭もった言葉である。アユミも同じ意見だった。


「きみは、あのクライン=タブの一族なのかい」


 ふいに、ジンが話題をすり替えた。

 ロウがわずかに怪訝そうな顔をする。


「それがどうした」

「〈改姓〉される前の苗字は天香寺テンコウジ。〈戦前〉なら〈関東カントウ〉の五大貴族などと呼ばれた家柄じゃないか。いくら強面こわもてでも、すくすくと育った文武両道のお坊ちゃまだ。ロウくん、きみにぼくのことはわかりません」

「あなたが、棄民の国の出身だからか」


 さらりと発した単語が、アユミの耳を打った。

 棄民。〈大戦〉で敗けたこの国に切り棄てられた、魔術師たちの末裔。

 取調室に連れて来られて初めて、ジンの表情が生々しく動いた。


「そこまで調べがついているのですか」

「一介の教師が、どうやってウラヨコのあの店を知り、あの曲者の店主ムメイと取引できたのか。いろいろと手段はあるだろう。だが高い可能性は、もともと何らかの繋がりがあったことだ。棄民のネットワークを辿って」


 部屋の温度が上がったような気がした。あるいは下がったのか。肌がざわついて、アユミは身体の横でぎゅっと拳を握った。

 この殺傷事件は佳境を迎えつつあった。


「――生きながら死んでいるような人や、闇の稼業に手を染める人を、物心ついたときから無数に見てきました。そういう町です」


 ジンが、己のことを語り始めた。ロウとユキトは黙って聞いている。すべてを吐き出させるべきなのだろうと、アユミも思った。


「ぼくは町を出て、この国の人間であるという法的な根拠を金で買い、働きながら必死に勉強しました。偏見を取り除き、いつか棄民が名誉を回復できる世の中を目指して、教師になろうと決めた」


 それで歴史を教える先生になったのか。生徒を啓蒙するために。学院の少年少女なら、この国を動かす要職に就く者も多い。そんな若者の意識が少しずつでも変わっていけば、いつかは。

 偏見。アユミの胸がずきりと痛んだ。

 ある。確かに、ある。スラム街に暮らす得体の知れない人々への、恐怖感とも違和感ともつかない気持ちは、どれほど公平にものを見ようとしたって、完全に拭いきれるものではない。


「アユミくん、きみは正直だね」


 アユミの自省を敏感に察したのか、ジンはかすかに笑った。それは血の通った表情に思えた。


「それでいい。自分は差別などしないと思いこんでいる人間より、ずっといい」

「わたしをご存じですか」


 名前を呼ばれて驚いた。


「熱心に授業を受けてくれているじゃないか。ありがとう。きみのような子が、もっといてくれれば」


 青年教師は失われたものを透かし見る目になった。


「一年前までぼくには、ある名家の恋人がいた。家柄をちっとも鼻にかけない、やさしい子だったよ。大学を出て、ぼくと同じ教師になるんだと張り切っていた」


 いきなりだ、とジンは言った。


「少なくとも、ぼくにとってはいきなりのことだった。彼女から連絡が途絶えた。電話に出ない。手紙を出しても返事が来ない。ぼくは直接、彼女の実家に足を向けた。何度か訪問して、歓迎されていたからね。ただ、そのときから予感はあった」

「娘の交際相手――人を雇って素姓を調べたか」


 ロウが残酷に指摘した。

 ジンはうなずいた。授業中に生徒から反応があったときの、安堵と満足の表情に似ていて、アユミは切なくなった。


「彼女の父が自ら玄関に出て、挨拶もなしに言った。『きみ個人の人柄が悪いというのではない。だが娘とは縁を切ってくれ』」


 ユキトが「くっだらねえ」とつぶやき、ロウも苦い表情で「政財界ほど、古くさい価値観が横行する世界はない」と言う。


「そうだね。そういう世界だ。いわれなき差別というのは、支配階級が産みだした装置だから。あの家の娘は棄民と交際している――そういう負のイメージが、哀れみや蔑みとなり、やがて立場にも影響してしまう。どこかで軽んじられ、周囲への発言力が弱まる。そういうものだ」


 少なくともアユミは意識したことがない軋轢あつれきを、青年教師は淡々と語る。その口調がかえって、深く溜めこんだものを感じさせた。


「『わたしを差別主義者と罵ってかまわん。殴ってくれ。そして、帰ってくれ』と、彼女の父は土下座し、額を玄関の床にすりつけたよ。そのときだ」


 眼鏡の下で、ジンの目がどろりと鈍い光を帯びた。


「二階の渡り廊下から、彼女が顔をのぞかせた。凄い目つきでぼくを見下ろしてきたよ。嘘つきだと、ぼくをなじっていた。裏切り者を見る目だった。『まだ帰らないの。わかるでしょう』という声が聞こえた気がした」


 アユミは息を呑んだ。


「彼女はうんざりしたように立ち去った。ぼくは理解した。あの子の父が体面をおもんばかる以前に、あの子がぼくを見限ったのだと」

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