剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

第1章 ゲオルギウス学院

1 朝の支度

公開日時: 2020年9月1日(火) 14:11
更新日時: 2021年2月21日(日) 18:36
文字数:2,212

 鏡を見ながら、縁なしの眼鏡をかけた。


 鏡面に映る少女は、立ち襟のジャケットを着て、ネクタイをきちんと締め、折りめのついたスラックスに足を通している。

 基本的には男子向けの制服だが、スカートを穿きたくなかった。めくれるのが気になって、いざというときに動きがにぶる。衛士団えいしだんの一員として自分にふさわしい格好を考えたら、自然とこうなった。

 髪にブラシを入れる。

 耳が隠れる程度のボブカットは、昔から変わらない。剣術を始める以前の本当に幼いころは、肩の下まで伸ばしていたが。


 身なりを整えて、亜弓アユミ=ヴェルノはドレッサーを離れた。


「お待たせしました。ありがとうございます」

「お礼なんて結構よ。早起きしたほうが先に使うのは当然でしょう」


 京子キョウコ=ロバーツは苦笑いを浮かべる。

 キョウコは、アユミのルームメイトだ。同じ十年生。一般的な学校の高校一年生に当たる。


 寮での生活は相部屋だった。共同生活を通して豊かな社会性を獲得するという理念のもと、時代に逆行した制度が堅持されている。それもまた、この名門校に漂う香気の成分のひとつだった。

 もっとも、寄付金が多い者や身分が高い者は、希望に応じて個室を与えられる場合もある。


 キョウコは鏡の前に座って、コテで寝ぐせを直し始めた。

 アユミはそのようすを眺める。

 月並みな喩えだけど、人形みたいに可憐な少女だと思う。

 四代続く高級官僚の家系に生まれたことを、ちっとも鼻にかけない。高等部から入学して間もないアユミに、いろいろとよくしてくれている。


 ここはゲオルギウス学院。

〈戦前〉から存在する、小中高一貫制、全寮制の私立校である。トーキョーでただ「学院」といえばここを指すほどの名門校だった。


 学院の生徒は、資産家や名家の子息が圧倒的に多い。その意味では、キョウコはかえって平凡な存在だった。アユミのような一般家庭で育った人間のほうが珍しいのだ。

 アユミは成績優秀者として、入学金の免除、学費の割引、奨学金の支給が認められていた。そうでなければとても在籍していられない。もろもろの助成の対象になる成績で合格するための受験勉強は本当に大変だった。


 それでも、アユミは学院の生徒になりたかった。

 ゲオルギウス衛士団に入りたかったのだ。


 左の腰に、刀を差す。

 全長は三尺三寸――およそ一メートル。

 飾り気のない武骨な鉄製の鞘に収められ、鍔から鯉口にかけて特製の留め金をめている。つまり、わざわざ抜けないようにしてある。

 奇妙な工夫だが、これも男子の制服と同じく、アユミには必要なことだった。


「――アユミさんはいつも凛々しいわね」


 鏡越しに、キョウコがアユミをうっとりと見ている。


「素敵よ」

「キョウコさんのほうが素敵ですよ」

「あら、どうして」

「だって、その――」こんな、女子同士で褒め合うやりとりには慣れていない。「きれいだし、わたしよりずっと女の子らしいです」

「でもあなたは、わたくしを羨んではいないでしょう」

「それは――」


 確かに、その通りだった。

 キョウコが備えている可憐さに、憧れのような感情はある。ただし、自分が身につけようとは思わなかった。諦めているのではない。もともと、心から欲しているものではないのだ。


「そこがアユミさんの魅力なんだけど――」


 コテで伸ばした髪を束ねながら、キョウコは真面目な表情で言った。


「こんなに美しい顔をしているのに、あまりに無自覚なのも罪悪よね」

「そんなことは――」


 別に不愉快ではないのだが、返事に困ってしまう。


「わたくし、学友の皆さんにずいぶん妬まれているのよ」

「どうしてですか」


 アユミの問いに、キョウコはきょとんとして、こう答えた。


「決まってるでしょう。『キョウコさんはずるいわ。王子さまを独占できて』って」

「お、王子さま」


 聞き違いかと思ったが、聞き違う単語が思いつかない。


「あの、キョウコさん」

「うん」

「わたしは女子ですし、この制服も別に男装というわけでは」

「世間知らずなあなたに教えてあげる」


 キョウコは立ちあがって、アユミに近づいてくる。

 こんなお嬢さまに世間知らずと言われる自分は何なのだろう、その世間とはいったい何なのだろうと思いながら、アユミはルームメイトを見上げた。


「王子とは肉体的な性別に拠るものじゃないの。高潔な魂の在りかたであり、ふさわしい人物に冠せられる偉大なる称号なのよ。アユミさんは王子。まごうことなき王子の有資格者」


 熱弁を振るうとは、今のキョウコの状態を言うのだろう。


「あの、キョウコさん」

「うん」

「顔、近いです」

「わたくしはまだ遠いと思うわ」


 絡め取るような光を帯びたまなざしが、二十センチの距離まで寄ってくる。

 このまま唇がゼロ距離になりそうな勢いだ。

 真剣の立ち会いじみた緊張に、アユミの背中に汗が滲んだとき――


 ふと、キョウコの視線が、アユミの腰の刀に移った。


「いつも思うのだけれど、それ、重たくないの」

「平気です」


 興味が自分から逸れたことにほっとしながら、アユミは答える。


「わたしの刀は長さのわりに軽いほうだし」

「軽いって、どのくらい」

「刀が一キロ、鞘が五百グラムくらいでしょうか」

 キョウコはあきれたように首をふった。「鉄アレイをぶら下げているのと同じじゃない」

「そういうふうに考えると、ずいぶん重たそうですね」


 アユミは笑った。

 その鉄アレイのような重量感が、頼もしいのだ。気持ちが引き締まる。腰が空っぽだと、かえって落ち着かないようになってきた。

 衛士の自覚が少しずつ出てきたのかもしれない。

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