剣の乙女と学院騎士団

秋永真琴
秋永真琴

11 本当に必要なもの

公開日時: 2020年9月21日(月) 10:00
文字数:2,556

 アユミの素直な真摯さを、セイジ師範は剣にふさわしい資質だとみなしたのだろう。

 十一歳のとき、大人の高弟たちに混じって、アユミは明鏡流めいきょうりゅうの奥義を学び始めることが許された。

 それは身体で究める学問だった。

 いかに相手を無傷で倒すか。逆に、いかに致命傷を負わせるか。なにげない一挙措、一挙動に、双方の思想がまんべんなく篭められている。無意味なものは一切ない。

 剣とは活法であり、同時に殺法でもあった。

 ひと太刀浴びれば、一瞬で死んでしまう。それを防いで生き残るのも、また一瞬の出来ごと。

 生から死へ、死から生へと、絶えず往還する。

 だから、剣とはつまり――


「――生きるということの凝縮されたかたちだと思います」

 と、アユミは言った。「師範に『アユミにとって、剣って何だね?』って訊かれて、そんなふうに答えたことがあったの」

師範じいさんはなんて言ってた」


 トーマは興味深そうに目を輝かせる。


「『それがわかるなら、アユミはもう立派な剣士だよ』って」

「すごいな。師範は人をけなさない代わりに、褒めることもめったになかったぞ」

「あきれられたのかも。『本当にわかってるのか?』っていう意味じゃないかな」


 でも――とアユミは続けた。


「師範はそんな私にも、いつもやさしかった。トーマくんも」

「そうか?」

 トーマは困ったように自分の顎を撫でた。「厳しいことも言ったと思うぞ。言葉が足りなかったり、言い過ぎたり」

「そうかな」


 そうやって考えてくれることを、やさしいって言うんだよ――

 アユミは言った。胸の裡で。実際に口に出すのは、変に褒めすぎるみたいで、何となくためらわれた。


 真の明鏡流を学ぶのは、アユミが最年少だった。

 トーマ以外の高弟たちは、二十代から七十代と幅広い年齢だが、アユミにとっては全員大人だった。みんな、決してアユミを軽んじなかったが「子どもの相手をする」という気遣いはあった。それが悪いことでは全くないのだが。

 やさしさも厳しさも真っ直ぐに注いでくれたトーマが、アユミにはいちばん身近な存在だった。トーマが学院に移り住んでからも、それは変わらなかった。



      *



「腕力はなくてもいいって言っているだろう」


 さすがのトーマも少し言葉を荒げたが、アユミの感情は収まらない。


「でも、いつか男子には勝てなくなっちゃうかも。それじゃ意味がないよ」


 中学一年生のアユミは、眉を八の字にして、しつこく訴えたものだ。


 休暇でトーマが帰省してくるたび、アユミは喜び勇んで稽古をねだった。トーマは快く応じてくれた。

 しかしこのとき、アユミは行き詰まっていた。

 鍛えても鍛えても、成果が出ない。そんな停滞の時期があって、あるときふと、自分がひとつ上の段階に昇っていることを自覚する――それが成長なのだと今はわかっているが、当時は本当に耐えがたかった。


「もちろん筋力があるに越したことはない。でも、絶対的な条件じゃない」

「そうだけど!」


 八つ当たりなのはどこかで自覚していた。アユミを蝕むのは、自分に対する不安だけではなかった。アユミの目が届かない世界で剣道部の育成に没頭し、ますます大人びていくトーマに、置いていかれるような心地がしたのだ。


「アユミみたいなやつが、いちばん強くなる可能性があるんだぞ」

 それでも、トーマは辛抱強く説いてくれた。「中途半端に腕力があると、それに頼って自己流で技が固まってしまう。剣道部でもいちばん苦労するところだよ。自分が遠回りしていると感じるか? でもアユミは、師範じいさんや師範代たちのいうことをよく聞いてきた。王道を進んでいると俺は思う」


 言われていることの意味は理解できる。だけど、それは建前であり、きれいごとであるようにも思える。

 アユミの感情は、アユミをうなずかせてくれない。


 唇を噛むアユミに、トーマが近づいてきた。

 え、と思っているうちに、トーマはアユミの両肩に手を乗せ、真剣な表情の顔を寄せてきた。

 わっ、と小さく声が洩れてしまった。

 目が合うのが気恥ずかしくて、灰色の髪や、喉のあたりに視線を散らせる。


「アユミ」

「な、なに」

「耐えろ。そして、考えろ。アユミは考える時期に来たんだ」

「考える……?」

「明鏡流の技は、正しくアユミの身についている。次は、正しい遣い方だ。それが剣士だ――」


 ふと我に返ったように、トーマはアユミから手を離した。


「すまない。肩、痛かったか」

「ううん、大丈夫」


 肩よりも、心臓が痛かった。理由はよくわからない。だが、その痛みが、アユミの感情を徐々に鎮めていった。


「正しい技を正しく遣う。そうすれば腕力や体格は関係ない。剣士に本当に必要なものは、それができる正しい心だけなのかもしれないな」


 遠くを見通すような、あるいは自分の内側を凝視するような――ここではない場所を映す目をして、トーマはそう言った。

 言葉はもちろん、そのまなざしが、アユミの記憶に強く刻まれている――



     *



「正しい心で、トーマくんは全国大会へ進むような剣道部を作り上げた。師範と同じ道をしっかり歩んでいる」


 だがアユミは、自分にそうやって人を導いていく力はないと思う。ならば――


「わたしは、この剣で人を護れたら、と思った」


 シンバシ駅で幼いアユミを助けてくれた、あの〈少女〉のように。


「衛士になれたら、わたしの剣にも意味が生まれると思った。不純な動機かもしれない、ただの自己満足なのかも――」

「それでいい」


 アユミの言葉を遮って、トーマは力強く言った。


「剣が好き。人を護りたい。だから衛士になった。それでいい。今のアユミはたぶん、考えるより、また無心に動く時期に来たんだろう。深く悩みすぎるな」

「そう、かな」

「団長代理から学ぶのは、そういうところじゃないか」

「ええ……?」

 アユミは顔をしかめた。「ユキトさんは悩まなさすぎる」


 あの〈少女〉とユキトは、もはやアユミにとって別の概念と化している。

 苦笑して、トーマは立ち上がった。


「刀、触っていいか」


 うなずいて、アユミは愛刀を差しだした。

 受けとったトーマは、鍔にかけられた留め金に目を落とした。

 アユミの心臓が、きゅっと縮んだ。


「まだ、あのことを気にしているのか」


 いたわるような、責めるような――トーマには珍しく、不協和音を含んだ声だった。


「そういうわけじゃないけど――ううん、そういうことだね」


 アユミは言い直した。剣に関して、トーマを相手にごまかしはきかない。


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