不良未満と顔だけさん

マライヤ・ムー
マライヤ・ムー

6話 小さくて、大きくて

公開日時: 2020年10月16日(金) 18:16
更新日時: 2020年10月21日(水) 23:58
文字数:3,398

 小さな背中は、スケッチブックに鉛筆を走らせ続けている。

 柊木英子は背中越しに、私と話を続けていた。


 茜と比べると、さっぱりと乾いた軽い声、幼い声色。

 そのせいか、不思議と横柄なニュアンスはない。



「小此木ちゃんはさー」



 鉛筆を動かす手が、止まった。



「どうして円城ちゃんをここに呼ぶの?」



 柊木英子は、ポニーテールを揺らしてこちらを振り向いた。

 詰問されているというよりは、素直な疑問をぶつけられたこの感じ。



「別に……呼んだわけじゃないです。あか……あの子が向こうから来たんです」



 言ってしまってから、後悔した。

 事実だけれど、イヤな気分だ。


 私にも茜にも、放課後に中庭で駄弁ったところで、罪なんかないと私は考えている。

 でも、架空の罪に似た何かを、茜になすりつけているような、そんな気がした。


 私が無理やり連れ込んだって、嘘をついた方が気持ちが良かったかもしれない。

 胸が悪くなるような、自己嫌悪。



「………………」



 柊木英子は、そんな思いを知ってか知らずか、じっと私の顔を見つめている。

 それからその視線は、私の運動靴まで降りてきた。



「円城ちゃんが……そっか」



 小さなくちびるが、わずかな弧を描く。

 細められた目は私の運動靴のずっと奥にある、何かを眺めているようだった。



 生意気な1年生に、部員を取るなと釘を刺しに来た――とてもそんな表情には見えない。



「ねえ、小此木ちゃん」



 柊木英子は花壇の傍から立ち上がって、私に微笑みかけた。

 この笑顔には、ちょっと上級生らしさがある。



「やっぱり君は雰囲気あるね。ちょっとデッサンのモデルやってくれると嬉しいんだけど」

「私が……ですか?」



 まさかそんなことを頼まれるとは思わなかった。

 あまり良い気はしないけれど、断るのもなんだか自意識過剰という気がする。



「美術部で、ですか?」

「いや、ここでがいいよ。あそこが小此木ちゃんのホームグラウンドでしょ? 椅子はある?」



 柊木英子は鉛筆の先で、園芸部室を指した。

 パイプ椅子があると答えると、さっそく中に案内させられた。



「普通に座ってくれてていいからね。楽な姿勢で」



 私はパイプ椅子に座って、膝元で指を組んだ。

 少しだけ、茜の佇まいを意識したかもしれない。


 柊木英子は私の様子を見て軽く頷くと、自分のパイプ椅子に座って鉛筆を縦にかざした。



「やっぱ雰囲気あるわ」



 ひとことそう言って、柊木英子はスケッチブックに私を写し始めた。

 茜に「あなたの目が好き」と言われたことを、ちょっと思い出す。



「どうしてひとりで園芸部に入ろうなんて思ったの?」



 私は姿勢を保ったまま、柊木英子の問いに答える。

 視線はテーブルの隅にある、過去に何かが植えられていたのであろう、土の詰まった空き瓶。



「たまたま中庭をうろついてたら、勧誘されて。で、その先輩は転校しました。そして私がいるから新入部員が来ません」

「でも、小此木ちゃんが来る前から園芸部はその子ひとりだったじゃない」



 割と有名な事情らしい。



「それは、そうです」

「じゃあ、小此木ちゃんのせいじゃないでしょ。園芸部が不人気なだけだよ」



 フォローされたのか、けなされたのか、よくわからない。

 そんなふうに感じるということは、私の中で園芸部との自己同一化が始まっているのか。

 ちょっと危ない気がする。



「まあ、謎だったんだよね。不良がやってる園芸部。楽しい?」



 私とスケッチブックを交互に見て鉛筆を動かしながら、柊木英子は次々と質問をぶつけてくる。



「楽しい、とかじゃないです。流れでそうなったというか」

「義務感があるからやってるの?」

「そんなカッチリしたものじゃないです。縁というか」



 柊木英子は、私の身体ではなく、目を見た。



「イヤイヤやってるわけでもないんだ」

「まあ、そうですね」



 彼女の目は、再び私の身体に移った。

 質問と視線――内からも、外からも、柊木英子は私を観察している。

 私は固く姿勢を保ったまま、なんだか自分が解剖されているような気分になってきた。



「円城ちゃんとは友達なんだよね?」

「たぶん、そうです」

「……それも、流れ?」



 鉛筆が止まった。

 柊木英子の視線が再び私の目を捉え、そして私も彼女を見返した。



「………………」



 私は正解なんて言わない。

 柊木英子が気に入ろうが気に入るまいが、ここは思っていることをそのまま話さないと負けだと思った。



「私は、あの子の顔が好きなんです。で、あの子は私の目が好きだと言いました。だから、私たちは友達に」



 しばらく、視線は交差したままだった。

 しかしにらみ合っているわけでもなくて――柊木英子の表情は、穏やかだ。



「私も、円城ちゃんの顔が好きだよ。そんで今、小此木ちゃんの目も気に入った」



 再び鉛筆が動き始めた。

 私は土の入った瓶に視線を戻す。


 茜も柊木英子も、私の目を褒める。

 ちょっとは自信を持ってもいいらしい、のかな。


 そんなことを考えていると、また言葉が飛んでくる。



「小此木ちゃんは、見た目と違って危なげがなくていいね」



 危なげ、という意味はちょっと難しかった。

 理解が追いつく前に、言葉が続く。



「金髪の不良少女だから、もっとナイーブなの想像してた。安定してる」



 そして、柊木英子は不思議なことを言った。 



「円城ちゃんと一緒にいられると、私は思う」



 なんか、ちょっと、ぴくっと来た。

 どうして茜と一緒にいられるかどうかを、この女に判定されなければいけないのか。

 柊木英子は、茜のなんなんだ。

 私は尋ねた。



「一緒にいられない場合があるんですか?」

「あの子には引力があるからねー」



 柊木英子は変わらず、鉛筆を動かし続けている。



「足もとがおぼつかないと、見ててひやひやする。そういうこともある」



 軽いトーンの中に、どこか上級生の声色を帯びている。

 そんな言葉。



「まあ、小此木ちゃんは大丈夫だ」



 そんなに私たちは大丈夫なのだろうか。


 私と茜との関係が――安定しているとはとても思えない。

 こんな不安定な人間関係もないんじゃないか。


 突然のキスに私は今も揺れていて、茜は胸の中に“赤ちゃん”を抱えて迫ってくる。

 さっきははっきりと“友達”と言ったけれども、そう呼んでいいのかすら、本当のところ定かではない。


 しかし柊木英子は自信たっぷりに「大丈夫だ」と言ってのけた。

 年の功を信じて良いものかどうか。



「よし、こんなもんかな」



 柊木英子は鉛筆をスカートのポケットに入れて、スケッチブックを閉じた。

 描いた絵は見せてもらえなかった。



「お疲れさん、ありがとね」



 柊木英子はパイプ椅子から立ち上がった。

 私も立ち上がろうとしたが、その前に後ろに回り込まれる。

 小さな手で肩を掴まれ、ぐにぐにと揉まれた。



「そうそう。これ言おうと思ってたんだ」



 私の肩から腕をマッサージしながら、柊木英子は言った。



「ウチの学校、兼部OKだからね。毎日来るなら、園芸部に勧誘しちゃうといいよ」



 意外な言葉が飛び出した。

 ぽんぽん、と肩を叩いて、マッサージおしまいの合図。

 私は今度こそ立ち上がった。



「あの、ごめんなさい、柊木先輩」



 柊木英子は、きょとんとした顔で私を見上げる。

 私は小さく、頭を下げた。



「私、てっきり釘を刺しに来たんだと思ってました。あの子を取るなって」



 それを聞くと、柊木英子はぷっと吹き出した。

 私もちょっと、正直に言いすぎた気がする。

 でもこういうことは口に出しておかないと、きっともやもやを残すものなのだ。



「円城ちゃんは物じゃないよ。自分の意志で動くのがいちばん自然なんだ」



 柊木英子は扉を開けながら、背中越しに言った。




「何が環境で、何が自分の意志かなんて、わかったものじゃないけどね……」




 そのとき、柊木英子はどんな表情をしていたのだろう。

 私も彼女と一緒に外に出て、見送ることにした。



「ありがとうございました」

「ん、何が?」



 あまりにも不思議そうな目で見られたので、私はちょっと戸惑う。



「いや……私の絵、描いてもらったし……あの子を園芸部に入れて良いって……」

「私が描かせてもらったんだよ。それに園芸部に入るかどうかは円城ちゃんの自由」

「そう、ですね」

「じゃ、まったねー」



 スケッチブックを小脇に抱え、柊木英子は手を振りながら中庭を去って行った。



「………………」



 私は園芸部室に戻る。

 ひとりぼんやりしていると、今さっきまでここに柊木英子がいたのが嘘みたいだ。

 まるで小さい嵐のようだった。



「………………」



 紅茶は、茜が来てから淹れることにする。

 私はテーブルの引き出しを開いて、端が茶色く変色した紙を取り出した。




 ――園芸部の、入部届。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


各話ごとにある☆☆☆☆☆での評価、またはご感想などもいただけると、大きな励みになります。


引き続き、なにとぞよろしくお願いします。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート