不良未満と顔だけさん

マライヤ・ムー
マライヤ・ムー

11話 思わぬ邂逅

公開日時: 2020年10月19日(月) 18:16
更新日時: 2020年10月21日(水) 23:59
文字数:3,298

 ポップコーンのバターと、あと何だろう。

 映画館の匂いというのは独特だ。


 掲示板を見てみると、15分後くらいに恋愛映画が始まることになっていた。

 もう1時間待てば、サスペンスアクションものが始まって、私としてはこちらの方が好みだ。

 というか恋愛映画というものをまともに見たことがない。



「何が観たい、とかある?」

「私、映画を観たことがないの」



 思いもよらぬ返事がかえってきた。

 高校生になるまでこの日本で生活していて、映画を観たことがないなんてことがあり得るのだろうか。

 まあ、本人が言うからそうなのだろう。



「………………」



 そうなると、サスペンスアクションは避けた方が良いのかもしれない。

 猛スピードで二転三転する展開に、茜がついていける気がしない。

 そうなると、間口が広そうな恋愛映画を選ぶのがベターなのかな。



『君との時間は過ぎてゆく』



 こんなタイトルに、俳優のバストアップがニョキニョキ生えてるポスター。


 うわあ、みじんも興味が湧かない。

 でも食わず嫌いも良くないのかもしれない。

 ここは自分の世界を広げると思って。



「これにしよっか」

「ええ」



 私はコーラ、茜はアイスティー。

 大きいバケツに入ったポップコーンはふたりで分ける。


 柔らかい椅子で眩しいライトを浴びて、映画を待つこの時間は嫌いじゃない。

 茜は膝の上に手を置いて、静かに始まるのを待っていた。



「ポップコーン、食べな」

「ええ」



 長い予告編が終わり、映画が始まる。

 茜はポップコーンにはあまり手を付けず、ほとんど私ひとりで食べてしまった。



 高校生の主人公が不思議な男の子と出会う。

 最初は変なやつ、とか思っていたのだけれど、いろいろあって魅力を見つけていく。


 そして彼は卒業と同時に東京に行くことになっていたのだけれど、難病で倒れて東京行きは取りやめになる。

 男の子の回復を願う心と、もう少し一緒にいたい心の板挟みになる主人公――みたいな。

 

 ちなみに最後に男の子は死んだ。


 客席のあちこちからすすり泣きが聞こえる。

 私はそんなにピンと来なかった。


 なんかJポップが流れて、字幕が始まる。

 それはなんか新鮮な気分。

 私は邦画を観慣れてないんだな、要するに。


 で、茜はというと――。



「………………」



 ――ただポケーと画面を眺めていた。

 上映中に手を握ってくるとか、すると思っていたのに。

 字幕が流れ終えて、映画館の明かりが点いた。



「どうだった?」



 茜に尋ねると、高い鼻先をこちらに向けて言った。



「なんだかきらきらしていたわ」



 そういえば、光の粉をまぶしたような効果をつけた映像が多かった。

 たぶん、あれのことを言っているのだろう。


 茜もピンと来なかったのかな。

 この選択は失敗だったか。


 ところが映画館を出ると、茜がこんなことを言い出した。



「巴、手を繋いで」

「ここで……?」



 いきなりのことで、私は大いに戸惑った。


 私自身は、周囲の目をあまり気にしないタイプだと思っていた。

 でもここに来て、自分たちがどう見えるだろうということが妙に気がかりになる。

 仲の良い姉妹、くらいに見えるだろうか。



「なんで、今なの?」

「映画のふたり、楽しそうだったから」



 なるほど、何も考えずに映画を観ていたわけではないらしい。



「………………」



 手を繋げば、お出かけからデートへ大きく傾く。

 そして茜は今日のこれを確実にデートだと思っている。

 私は心の中でなんとなくそれをごまかしていた。


 茜にとっては、キスへの階段なのだ。

 それが私には、少し怖かった。


 だからといって、それが手を繋ぐことを否定する理由にはならない。

 それはなんというか――不誠実というものだ。



「わかった」



 私は茜に手を差し出した。

 茜は蕾の開くような微笑を浮かべて、私の手を握った。

 いつものように、すべすべした、冷たい手。


 学校から外へ出て手を繋ぐのは、なんだか変な感じだ。

 私たちは制服に守られていたのだな、と思った。


 私服でふたりの関係を進めるのは、とても勇気が要ることだ。

 ピンクのパーカーとスキニーは、あまりにも私過ぎる。

 無防備だ。



 ――そして、そんな無防備な姿を、見られた。



 ちょうど画材屋さんの前を通ったときだ。



「あ」



 と声をあげたのは、向こうだった。

 私は思わず手を引っ込めそうになった。



 ――そこにいたのは、神崎要芽だった。



「………………」



 彼女の印象は、ひとことで表わすと、シャープ。

 ざっくり切った感じのショートカットが特徴的だ。

 膝丈のサロペットに大きめの白い英字カットソーというのが、いかにも美術やってますって感じ――考えすぎかもだけど。



「こんにちは円城さん、小枇木さん」



 神崎要芽は、私たちの手にちらりと目をやった。



「こんにちは」

「……こんにちは」



 茜はいつも通り自然に。

 私は、どうだっただろうか。



「………………」



 私は茜を美術部から半分奪った存在だ。

 部長の柊木英子は平気な顔をしていたけれど、他の部員がどう思っているかはわからない。


 特に、相手は神崎要芽だ。

 お昼ご飯を、茜と机を付き合わせて食べている神崎要芽。

 机の角と角をくっつけて、もうここは満員ですよと強調する神崎要芽。


 茜への執着心は、ちょっと計り知れないものがある。



「円城さん。青い絵の具、そろそろ切れるよ」

「そうだったかしら」

「そうだよ。よかったら買っていったら?」



 茜は私の顔を見下ろした。

 私はできる限り自然なふうを装って、うなずく。



「いいんじゃない?」



 そうして、茜と神崎要芽は画材屋さんに入っていく。

 問題は――茜が私の手を離さないということだ。



「………………」



 神崎要芽は、私たちの手に再び目をやる。

 とても気まずい。

 どう見られようが構わないが、悪意を向けられるのは勘弁だ。



「円城さんは、いつも種類を間違えるから……」



 私にはその声が、特別大きく響いたような気がした。

 すさまじい種類の筆、奇妙な形の定規、アクリルの棚にゴロゴロと差してある絵の具。

 見慣れない画材を眺めながら、私は意識的にふたりから目を逸らしている。


 茜を見るのすら、気まずかった。

 ここは美術部の延長線上だ。

 妙に息苦しい。


 私はふてくされているように見えたかもしれない。

 そうだったら、少し悔しい。


 どう見られても気にしない、と私は自分に言い聞かせるのだけれど、それでもプライドはある。

 態度というのは、プライドに関わってくることだ。


 買い物が終わった。


 茜の白いトートバッグにストンと放り込まれた絵の具の袋が、なんだか石ころのような違和感を私に覚えさせた。



「………………」



 画材屋さんを出たところで、神崎要芽と別れることになった。

 このあと一緒にお茶でも、とかなったらどうしようかと思っていた。

 未だ、私の手は茜に強く握られている。



「じゃあまた、月曜日」



 これから一緒にお茶に、なんてならなくて本当に良かった。

 茜の手のひらに包まれて、私はイヤな汗をかいている。



「小枇木さんも、また……」

「またね」



 妙に長い時間、目が合った気がする。

 別に睨まれたわけでもない、とは思うけど。

 なんて考えるのは、楽観的すぎる気がしなくもない。


 美術部員とは、実にビミョーな感じだ。

 緊張が解けた私は、なんだか甘いフラッペが飲みたくなった。

 私はチェーン店の喫茶店に入ることを提案した。



「行く?」

「ええ」



 私たちが手を繋いでレジに並ぶと、店員さんが微笑んでいた。

 やっぱり姉妹に見えているのかな。

 私がキャラメルマキアートを頼むと茜は私と同じものを頼んだ。



「やっぱり、こういう場所も初めて?」

「ええ」



 私がトレイに手を伸ばすと、茜はようやく私の手を離す。

 マキアートの乗ったトレイが、ぴたりと手のひらに貼りついた。


 窓際の席が空いていたので、そこに座った。

 私がクリームをすくうと、茜も同じようにすくう。

 私がストローを吸うと、茜も赤いくちびるで同じようにした。


 神崎要芽によって熱せられた頭は、キャラメルマキアートの甘味に冷やされる。

 トートバッグの中に今もある、絵の具の袋への意識も薄れてきた。



「映画の話でもしよっか」



 あまり広がりそうもない話だけれど、声を交換するだけで、こういうのはきっとこれでいい。

 私の声に、茜のガラス風鈴とヴァイオリンが返ってくる。

 これは、これで、こういうものとして。




 しかし意味の軽い会話の中で、意外に大切な話が飛び出したりもするのだ。

読んでくださって、ありがとうございます。


各話ごとにある☆☆☆☆☆でのポイント評価、ブックマーク、ご感想などもいただけると、大きな励みになります。


引き続き、なにとぞよろしくお願いします。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート