私は交通カードにチャージして、改札をくぐった。
駅のホームの喧噪は、きっと通学時とは違っているのだろう。
私が知っているのは、休日ばかりだ。
茜はきっと毎日、違う景色を見ている。
スーツと制服の海の中で、きっと茜はひときわ目立っていることだろう。
でも、茜の私服ってどんなのだろう。
やっぱり、お嬢様っぽいフワフワした感じのを着てくるのだろうか。
それともいつものアレっぷりを発揮して、とんでもない格好で来るのかもしれない。
もしそんなことがあれば、私の軍資金をつぎ込んででもマトモに仕上げなければ。
そんなことを考えているうちに、やがて待ち合わせの電車が来た。
茜が遅刻しているところは見たことがないから、電車にはきちんと乗れるのだろう。
花に水もあげられないのに、たいしたものだと思う。
電車の扉が開いた。
茜が乗っていたのは、すぐ近くの車両だ。
電車から茜が降りてきたとき、視界がぶわっと拡がったような気がした。
紺色のノースリーブのワンピースは、腕の白さが眩しい。
細い腰にベルトがふわりと留まっていて、シルエットがきれいだ。
真珠色のポシェットを提げて、足もとは同色のハイヒール。
フワフワでもめちゃくちゃでもない。
私の想像は、全部外れた。
――本当に大人にしか見えなかった。
「服、似合ってるね……」
「母が選んでくれるから」
なるほど、茜のセンスというわけではないらしい。
「巴も素敵よ」
「……ありがとう」
私はキャップのつばをつまんで、ちょっと深めに被りなおした。
ピンクのパーカーにジーンズな私は、なんだか浮いている気がする。
いや、ふたりきりで浮くも浮かないもないんだけれど。
茜がきらきらしたものを振りまいていて、その隣に私がいるのは、何か変だ。
もしもうひとりの私がいて、ふたりの姿を見たとしたら「美しくない」と思うだろう。
だからといって、逃げ出すわけにもいかないんだけれど。
「とりあえず、街に出よっか」
「ええ」
次の急行を待って、私たちは電車に乗り込んだ。
電車の中に入ってわかったのだけれど、茜の香りがいつもと違う。
香水でもつけているのかもしれない。
キツい感じはなくて、鼻先をそよぐフローラル系の香り。
酸味が薄くて、落ち着いている。
静かに澄ました、いかにも茜って感じの香りだ。
これもお母さんのセンスなのだろう。
――良い匂いするね、とはちょっと言いづらい。
そのうちに街についたのだけれど、ここで問題だ。
私たちの来ている服の系統が違いすぎる。
どんな店に行けばいいのか、さっぱりだ。
茜の服を選ぶとなると、婦人服系のお店に行けばいいのだろうか。
でも、そんな店に入ったことがないし選びようもない。
値段も、ちょっと凄そうなイメージがある。
「茜、予算、どれくらい?」
「10万円までなら使っても良いと言われているわ」
「じゅっ……!」
私の予算の20倍――。
やっぱりお嬢様だ。
絶対お嬢様だ。
どんな服を選べばいいのか、ますますわからなくなってきた。
とりあえず高そうな店に突撃すればいいのか。
そんなことを考えながらふと隣を見ると、茜が私の身体を上から下まで眺めていた。
「ねえ、巴」
茜はおとがいに指を当てて言った。
「私、巴みたいな格好がしてみたいわ」
意外なことを言い出した。
でもこれなら話は早い。
私の知っている店に連れて行けば良いだけだ。
そこに、うずうずと胸の底をくすぐるような感覚が湧いてきた。
この美しい茜を、自分のセンスで包んでみたい。
なんだか、とても悪いことを企んでいるような気もする。
私は制服デザイナーのような腕もなければ、茜のお母さんのような優れたセンスもない。
でも私は女の子で、やっぱり服は嫌いではない。
そして茜の美しさが好きだ。
このふたつが交わることに、不思議はないように思う。
奇妙な思い上がり。
美への浸食。
相反する、そういった言葉もぐるぐるしてくる。
そうして大抵は、そういった言葉の方が強いのだ。
なんだか唾が苦くなってきた頃、茜は私に言った。
「私、巴に服を選んで欲しい」
「……なんで私なの?」
ふたりきりのお出かけで、これが異常な会話だということはわかっている。
それでも私は尋ねずにはいられなかった。
そもそも隣にいるのが私なのがおかしいのだ。
それは学校でふたりでいるときから、ずっとおなかの中で淀んでいたものかもしれなかった。
「だって、私はどんな服を選んだら巴みたいになれるのか、わからないから」
「どうして、私みたいになる必要があるの?」
変につっかかっている。
今日の私はちょっとおかしい。
茜の私服にアテられたのか、茜の隣に居続けることが急に惨めになってきたのか。
だって、服は人だ。
誰かに選んでもらったって、それは同じことだ。
茜の隣にいたら、ピンクのパーカーも黄色いスニーカーも、雑踏の醜さに取り込まれる。
私はいつも、世界の醜さを考えるときに、自分を度外視していた。
その報いが来たのだと思った。
醜い街の中で、その中の醜さのひとつまみと並んで。
そこに茜がひとり、美しくいるのだ。
私は背の高い茜を見上げた。
相変わらずの無表情で、それでもくちもとは風を受けて涼しげだ。
そのくちびるで、茜は言った。
「私が、巴を好きだからよ」
「………………」
私は、わかった、と答えた。
すると、服選びのことを考えたときのわくわくがよみがえってきた。
どうやら私は、かなり単純にできているらしい。
まずはジーンズショップで1本スタンダードなやつを買った。
丈を詰めるのは、ほんの少しで良かった。
改めて、足の長さに驚く。
それから、いつもの店だ。
茜はワンピースを着ているし、服はジーンズに合わせたいから。頻繁に試着室に出たり入ったりできない。
私は茜を試着室に放り込んで、茜に着せたい服をいろいろと選んだ。
茜ならどんな服でも着こなせるだろう。
でもどうせなら、うんと別なイメージを表現したい。
茜のお母さんをびっくりさせるくらいに。
悩みに悩んで、いろいろ着せてみて。
結果は、チカチカするような原色オレンジの無地カットソーに、黒のジャケット。
同じく黒のキャップに、気に入った缶バッヂを3つ。
向かいの店でオレンジのラインが入ったスニーカーを買った。
私はそこで、自分の買い物もした。
茜はこの格好に真珠色のポシェットというのは変だから、白のトートバッグを買って、ポシェットはその中に入れた。
うん、なんだか茜じゃないみたいな茜。
そして、心配していたような、美しさへの浸食などみじんもなかった。
茜は、やっぱり茜だ。
「なんだか、不思議な感じがするわ。自分が自分じゃないみたい」
茜は私を見下ろした。
「巴になってしまったわね」
「茜は、茜だよ……似合ってるよ」
「ありがとう」
茜はあまり表情を変えないけれど、くちもとが少しほころんでいた。
「小物、見に行こうか」
まだお金は少し余っている。
茜は少しどころではないだろうけれど。
小物屋さんに入って、私は茜に言った。
「次はさ、茜が私の何か選んでよ」
「私が、巴の物を」
「うん、いいでしょ?」
そのとき一瞬、茜の端正なおもてに影が差したような気がしたのだ。
けれども、密かにはしゃいでいた私は、それを気のせいだと思い込んだ。
結論として、茜はあまりにも真面目すぎた。
私はシールピアスでも買ってあげようと、その辺りをうろついていた。
しかしときどき茜の様子を見てみると、1か所に張り付いたように動かない。
表情は相変わらずほとんど変わらない――けれども私はそこにようやく、不安のようなものを読み取った。
「悩んでるの?」
「ええ、何を選べば良いのかわからないの」
服も母親に選んでもらうような生活の中で、茜は自ら何かを選び取るという経験をしたことが、ほとんどないのかもしれない。
けれど、私は茜のその経験を知っている。
「茜はその……たくさんの目の中から私の目を選んだでしょ? そんな感じでピンと来た物を選んでくれると……嬉しいよ」
吊り棚に並ぶ無数の目。
茜は大いに悩んで、ようやくそのひとつを手に取った。
「巴の目の方がきれいだわ」
「それでも、選んでくれた」
茜が選んだのは、小さな青い花が付いた――ピアスだった。
「………………」
――仕方ない。穴、空けるか。
「ありがと」
「ええ」
いずれ空けようか、なんて思ってもいたのだ。
私は茜に隠れて、こっそりピアッサーを買った。
「映画館でも、行ってみる?」
店から出た私の提案に、茜はいつものように「ええ」と答えた。
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