アメリカンブルー、ケイトウ、サルビア、トレニア――。
茜とふたりで花を選んでいく。
「この辺かなあ、これで別に間違いないよなあ……」
「私もこれがきれいだと思うわ」
何せ植物を育てた経験といったら、小学校の頃にアサガオの観察日記をつけさせられたくらいだ。
植え付けの時期と花の写真だけを確認して、適当に決める以外に方法がなかった。
ノートにそれだけ走り書きして、北川先生に見せに行った。
「これ、植えようと思うんですけど」
「ふーん……」
先生は、私のノートをまじまじと眺めて言った。
「やる気、あったんだ」
「はい、まあ一応」
「ふーん……」
ノートを私に返すと、先生はよっこいせと声に出して立ち上がった。
わりと美人なのに、もったいないことだ。
「よし、じゃあ行こっか」
「買いにですか?」
「違うよ、花壇見に行くの。ふたりとも体操着持ってる?」
先生に連れられて園芸部室に戻ると、体操着に着替えさせられた。
茜はいつも体育を見学しているけれど、毎度生真面目に体操着に着替えている。
狭い空間で、更衣室とは違う場所で、ふたりで着替えているとなんだか変な感じだった。
するすると衣擦れの音が、背後でいやに大きく感じられた。
何を意識してるんだろう、私は。
茜は着替えるのに時間がかかる。
私は茜に背を向けたまま、じっと茜の立てる音を聞いていた。
なんか我ながら、変態みたいでイヤだ。
そうしてふたり揃って、外に出た。
「うわあ、ひどいもんだね」
先生はほったらかしにしていた方の花壇を見て言った。
当然、雑草が生え放題だ。
「これ、全部抜いちゃいな」
先生は物置からゴミ袋と軍手を取ってきて、私たちに渡した。
自分はというと、ひとり部室に入っていく。
なんだか、心の大事なところに入られたようで変な感じがした。
でも、そんなふうに考えるべきでないのはわかっている。
先生がようやくやる気を出したのだ。
――いや、私か。やる気を出したのは。
茜とふたり並んで雑草を抜いていく。
しかしやっぱり、茜は草抜きをさせてもダメだった。
根っこごと抜くということができなくて、どうしても茎の半ばほどを千切ってしまう。
私はそれを軍手で掘り返してゴミ袋に放り込む。
つまむ部分が無くなった分、2度手間以上にやりづらい。
こんな日に限って真夏日で、茜は玉のような汗を流していた。
熱で少し赤くなった頬に、長い黒髪を貼り付かせて、それがなんだか色っぽい。
私は茜が日焼けしないか、それがとても心配になった。
見とれている場合じゃない。
早く終わらせなければ。
でも茜が茎をブチブチ折っていくせいで、結局なかなかの時間がかかってしまった。
「遅かったねー」
私のパイプ椅子に座った先生は、報告を聞いて大きく伸びをした。
「物置見てきたけど、土もしっかり揃ってるみたいだね。そうそう、ネモフィラも抜いちゃって」
「え……苗が届いてからじゃないんですか?」
「先に土作りをしなきゃなんないの。植える1週間くらい」
こんなことに、変に動揺してしまった。
入学当初は鮮やかなスカイブルーを見せていた花は、今は力を失って萎れている。
それでも私は、土が乾けば水をやっていた。
――そうか、このネモフィラ、もう抜いちゃうんだ。
私は花壇に向かってしゃがんだ。
うぶ毛のある葉をかきわけて、茎を探した。
「園芸って、サバサバしてないとダメよ。大事なのは時期が過ぎたらスパッと首を切っちゃうドライさ」
まさか先生は、私がネモフィラと先輩を重ねていることを、見抜いたわけじゃないと思う。
ただ、私の動きがあまりにまどろっこしかったのだろう。
そうだ。
先輩には、花壇をきれいにしてくれと頼まれたのだ。
萎れたネモフィラに水をやり続けてくれなんて言われてない。
私は固い茎を見つけると、慎重に引っぱった。
根は真っ直ぐにずるずると抜ける。
白くて、思ったより太い根っこだった。
萎れた花の下にある、まだまだ生命力を持った根っこ。
「………………」
私はそれを、黄色いゴミ袋に放り込んだ。
先輩も、こういうことをしてきたのだ。
私が茎を1本引き抜くと、先生も手を動かし始めた。
茜も、また茎をぶちぶちと千切り始めた。
「あ」
最後に1本だけ、茜は根っこを引き抜くことができた。
私はつやつやな黒髪を撫でてやりたくなったけれど、ドロドロの軍手じゃそういうわけにもいかない。
茜を見ると、くちびるがほんの少しばかりほころんでいた。
いつも失敗ばかりで、それでも涼しい顔をしているけれど、うまくいけばやっぱり嬉しいらしい。
茜がそれをゴミ袋に放り込んで、花壇にはさっぱりと何もなくなった。
「ネモフィラの後だから、まあこのままでいいでしょ。アメリカンブルーは強いし。問題はあっちだ、もう土が古くなってるからね」
そう言いながら、先生は物置から石灰の袋を出してきて、わさわさと花壇に撒いた。
そして袋を戻すと、私に大きなスコップを渡した。
「がっつりかき混ぜるのよ」
先生は先生で、スコップを持っている。
さすがに危ないと感じたのか、茜には渡さなかった。
そこに。
「あの」
意外な人物が現われた。
私は思わずスコップを取り落としそうになった。
「何か手伝えることはありますか?」
――神崎要芽だった。
「この子も園芸部に入れるの?」
「いや、そんな予定はないです」
私はきっぱりと、先生に答える。
神崎要芽は澄ました顔で言った。
「いつも写生させていただいているので、何かお力になれればと」
嘘ばっかり。
私は花壇に神崎要芽が来ているところなど、見たこともない。
「大丈夫よ、手は足りてるから」
「じゃあ、見学してていいですか」
「構わないわよ。美術の役に立つならね」
先生と神崎要芽のやり取りに、部長の私はおいてけぼりだ。
結局、ふたりで花壇の土をかき混ぜるのを、神崎要芽はじっと眺めるということになった。
「………………」
神崎要芽は、じっとこちらを見つめている。
非常にやりづらい。
「先生」
思い出したように、彼女はこんなことを言った。
「円城さんも園芸部員ですよね。彼女も見学ですか」
いつもシャープな雰囲気を放っている彼女にしても、かなりトゲのある言い方だった。
「そうよ、手は足りてるからね」
あっさりと先生はそう答える。
先生がこの場にいて良かったと心から思った。
私なら、とてもそんなふうに答えることはできなかったと思う。
茜を持て余している――そんな印象は絶対に誰にも与えたくない。
園芸部の部員なのだ、茜は。
できることはやってもらう。
その、できることが少ないだけで――。
「………………」
神崎要芽は私たちから、茜へと視線を移した。
茜も、切れ長の目で神崎要芽を見る。
ふたりの視線の交錯は、どんな意味を持っているのだろう。
美術部に対する裏切りとか、そんなことを思っていたりするのだろうか。
神崎要芽は、表情が読みにくい。
「小此木さん、手元」
「あ、はい」
気づくと、同じところの土をひたすらかき回していた。
作業に集中しなければ。
茜も、神崎要芽も、あとの話だ。
「……こんなもんかね」
先生のひとことで、作業が終わった。
私は袖でひたいの汗を拭う。
涼しげに作業を眺めている神崎要芽がうらめしい。
茜はまあ、仕方ない。
「では、これで私は失礼します」
神崎要芽は、先生に向かって軽く頭を下げた。
「また明日、円城さん。それと、小此木さんも」
茜はいつものように「ええ」と返事をし、私は黙って軽く会釈を返した。
“それと”の小此木さんだ、声を出すまでもないだろう。
「これで土を1週間寝かせて、それからまた堆肥を入れるからね。それからもう1週間寝かせて、ようやく植え付けよ」
「そんなにかかるんですか」
「夏に向けた植え付けのタイミングとしてはギリギリね。雨も多くなるし」
そのギリギリでも、私が思い立ったのは茜がくれた花のピアスがあったからだ。
人さし指の先に乗るような、ほんの小さなひと押しが、私を動かした。
「じゃあ、あと片付けしといてね」
そう言い残すと、先生は校舎に戻っていった。
「……片付けよっか」
「ええ」
私たちは雑草とネモフィラの詰まったゴミ袋を縛って、ゴミ捨て場まで持っていった。
入学した頃はあんなに青く咲き誇っていたのに、なんだか妙に軽かった。
私は軽いゴミ袋を、コンクリートのゴミ捨て場の片隅に、そっと置いた。
「……早く着替えよ、ドロドロ」
茜はたいした作業もしていないのに、異様に土に汚れていた。
鼻の頭にも土がついている。
ぬぐってやりたいけれど、軍手を脱いだ指も汚れている。
「あそこに、新しい花を植えるのね」
茜がぽつりと言った。
「楽しみだったりする?」
「ええ、ふたりで決めた花だから」
茜は不器用でほとんどロクに作業できないけれど、それでも園芸部員のひとりだ。
「まあ、それなりに一緒にやってこ。ふたりの花壇だ」
「ありがとう」
「ん」
――先輩、どうやらあそこは、私たちの庭に変わっていくみたいです。
読んでくださって、ありがとうございます。
各話ごとにある☆☆☆☆☆でのポイント評価、ブックマーク、ご感想などもいただけると、大きな励みになります。
引き続き、なにとぞよろしくお願いします。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!