Wonderland Game(s)

夢の世界で巻き起こる、死なないデスゲーム。
晴羽照尊
晴羽照尊

血と鬼と白い少年

公開日時: 2021年5月18日(火) 18:00
文字数:4,703

 

 潰れたトマトのように体液を累々と流し、その臓物を溢れさせる。骨の砕ける鈍い音。血液に浮く脂。瞬間で生命活動を停止した彼女は、まだ生き足りないように痙攣していたが、それもすぐに、停止した。深紅の月光に映える桃色の髪。いつも爆発しているそれすらも生命力を失い、赤い湖面に広がり、揺蕩っている。

 

 そのどこにも、もはや彼女はいなかった。加賀殻叶は絶命した。後に残るは、ただただ気持ちの悪い、胸焼けのような感情を固形化した、物体。

 

 散逸する、死骸。

 

「う……ああああぁぁぁぁ――――!!」

 

 それは、恐怖でも悲哀でもない、嘔吐感だった。僕はうなだれ、彼女の血液に額を押し当てる。嫌悪。その生温さに嫌悪して、その臭気に嫌悪して、その嫌悪に嫌悪した。

 

 これは、彼女だったものだ。好きだったわけじゃない。好きと言えるほどの関係ではなかった。好きと言えるほどの関係にもなれなかった――なりたかった! そんな、彼女だったものだ!

 

 ここにきて、ようやく怒りに気付き始める。殺したい殺したい殺したい殺したい! そんな復讐に意味などない。そのことに頭が回るほど冷静に、殺したい、と、思った。だが、あの巨体の、あの威圧感の、あの鬼に敵うはずもない。それには気付かぬほどに、冷静さを欠いていた。

 

「うおおおおぉぉぉぉ――――!!」

 

 なにも見えてなどいない。だからこそ、僕は恐怖に身がすくむことなく、鬼に殴りかかった。

 

        *

 

 コツン。という、おそろしく平易な音で、それは遮られた。

 頭に――頭の奥に、鋭く響く、音。次いで、かすかな痛み。その元である頭部に手を当てると、血がついていた。……いや、これは加賀殻さんの血だ。……いやいや、それは確かにその通りだけれど、それ以外に、なぜだか自分のものと解る血が付着していた。ほんの、わずかに、だけれど。

 

 それを見て、我に返った。復讐に意味などない。されども、僕は復讐を望む。きっとじっくりと熟考を重ねても、その結論に至るだろう。

 だがだとしたら、なおさらだ。なおさらここで無駄死にするわけにいかない。まっすぐなただの暴力で正面から、この鬼に勝てるはずがない。復讐が成せるはずがない。

 そう思って鬼を見る。見上げる。その巨体を。三メートルを越す、その高みにある、表情を。

 

 あれ? と、思った。正体不明の怪物のことなど知りもしないが、これは正常なのか? 怒りを張り付けたような歪んだ表情が、ぴくりとも動かない。……どころか、まるで銅像のように、全身が動いていない?

 ともあれ、それについての考察は後回しだ。この隙に逃げ出す。大切な人を目の前で殺されて、僕は、尻尾を巻いて逃げ出す。

 

 殺す。殺してやる。そのために、逃げ出す。

 

 距離を隔てろ、観察しろ。あれは人間じゃない。ことここに至り、僕は確信した。だったら、殺してもいいだろう。そして方法は、ある。

 

 深紅の月を見上げ、いまだ狂ったように叫んでいる女子の、その影を見遣った。屋上にいる、その影を。

 

        *

 

 僕には力が足りない。おそらくだが、校庭の隅に備え付けてある用具入れ、その中にあるはずの、野球バット。そんな武器を取り出したところで、あの鬼を殺しきれないだろう。仮に、あの鬼が無抵抗で殴られてくれたとしてもだ。

 だったら、この星に力を借りる。僕たちの住む地球。それが僕らを、常に地上に縛り付ける、重力。

 

 位置エネルギー。僕に足りない力は、他から借りればいい。あの鬼を屋上にまでおびき寄せて、突き落す。四階建ての校舎の上にある、屋上。その高さも、そこから落とすときのエネルギーも、それがあの鬼を殺し得るかは解らないけれど。それでも、いますぐ現実的に僕があいつに与えられるダメージは、それが限界なのだと思う。だから、可能性があるのなら、やってやる。

 

 僕はいま一度、スタート地点の大木へ帰ってきた。ふと、思い出す。清原くんとの待ち合わせの時間は、そろそろではないだろうか? しかし、どちらにしても彼に渡せる有益な情報もないし、そしてやはり、それどころではない。

 

 僕はこれから、復讐へ向かうのだから。

 

「……動き始めた」

 

 呟く。あのとき、止まった気がしたのは、僕の精神的な部分が要因だったのだろうか? なにか――たとえばあの鬼はマッドサイエンティストが作り上げた怪物で、ゆえに不完全で、ときおり動きを止め、エネルギーを回復しなければいけない、とか、そんな妄想が浮かぶが、情報が足りない。

 

「逃げねえのか?」

 

 不意に、そんな声がした。どこからか解らなかったから、振り向いてみる。しかし、誰もいない。

 ガサッ。と、葉擦れの音。そして、視界にノイズが入ったような、感覚。

 

「手ぇ、貸してみろ」

 

 端的に言えば、飛び降りてきた、のだろう。木の上から。

 

「手を、貸して、くれるのか?」

 

 僕は都合のいいように言葉を受け取って、疑問を投げる。

 だが、彼の姿はそれ以上に疑問が多い、色彩だった。

 

        *

 

 真っ――白――――。

 

 ふとそこに光源ができたような、空間にぽっかり穴が開いてしまったような、そんな、白だった。

 いや、なんとかそれが、人間なのだとは解る。あの鬼なんかとは違う、人間だと。

 

 白い肌。白い髪。そして、僕と――僕らと同じ、真っ白な入院着。どこをどう見ても白だらけの、……少年? 中性的な顔付きだけれど、おそらく。理由は、目付きが悪かったから。そしてその位置には、唯一の色彩、深紅の、眼光が浮いていた。

 

「ん」

 

 と、彼は手を差し伸べてきた。握手、だろうか? 僕は、手を差し出す。

 

「痛くねえからなー」

 

 手首を掴み、なんの気もなさそうな声で、彼は、僕の腕に木の枝を突き刺した。――突き刺した!?

 

「痛っ――」

 

 声を上げようとしたところ、すぐに口を塞がれた。……どうやって? 彼は、片手は僕の腕を掴み、もう片手で僕に木の枝を突き刺して――!

 

「ん――んんんんぅ――――!!」

 

 口で、塞がれていた。彼の口で僕の口が塞がれていた! その現実に、僕は新たに叫びを上げるが、それすらも彼の口に吸い込まれて、消える。

 じっくり十秒。これは体感だが、それくらい経過して、彼は僕から唇を離した。

 

「黙れ。気付かれるだろうが」

 

「はあ?」

 

 くい。と、彼は顎で示した。木陰から校庭を見る。そうだ。見るまでもなく、鬼が、まだいるのだ。

 

「だったら、急に刺すんじゃ……」

 

 言いかけて、ぞっとした。そうだ、僕は腕を思い切り、突き刺されて――。

 いた。突き刺されていた。確かに、突き刺さっている。ぼたぼたと、血の気が引くほどに血が流れていた。なのに――。

 

「痛……くない?」

 

 自問。自分への問いだ、これは。痛くないのか、僕?

 いや、『痛くない』は、たぶん間違いだ。痛いはずである。そんな『感じ』はある。だが、『痛くない』。痛覚が通っていない、ような。

 

「つったろ。んで、血ぃ借りんぞ」

 

 つーか貰うんだけどな。そう言って、彼は拾った小石に、僕の血を付け始めた。……逆か。僕の傷付いた腕にその小石をこすり付け、血まみれにしているのか? ところでいま気付いたけれど、彼の片腕にも同じような傷がついていた。僕ほど傷は深くなさそうで、すでに血は止まっているけれど、新しい、ついさっきついたような――つけたような傷が。

 

「さて、こんくらいありゃいいや。さんきゅ」

 

 軽く挨拶をして、彼は歩を進めた。木陰から出て、鬼のいる方へ。

 

 十数個の、僕の血がついた小石を両手に、握り締めて。

 

        *

 

「ちょっと待って。なにする気だよ?」

 

 僕は小走りに彼を追い、小声で問う。ほんのわずかでも近付くことには、恐怖を覚える。復讐を誓っても、怖いものは怖い。

 

「なにって、検証」

 

 なんでもないように彼は答えた。検証?

 

「逃げねえの? だったら付き合え」

 

 そう言うと、彼は片手分の小石を僕に手渡した。その個数、七個。

 握る手に、またも血がつく。彼女のものがすでに濡らした、僕の手のひらに。

 

「とりあえず俺がぶつけっから。……九個だな。まあ、当たるだろ、一個くらい」

 

「ちゃんと説明してくれない?」

 

 当然の疑問である。

 

「だいたい解んだろ。馬鹿かおまえ。俺がこの石をあの鬼にぶつけるから、それまではなんもすんな。俺の手持ちで一個くらい当たるだろうけど、もし全部外したら、おまえの石を俺に渡せ」

 

「だったら最初から君が全部持ってれば?」

 

「投げにくいからな。それと、俺が俺の持つ石だけであいつに当てたら、次はおまえの番だ。その石をあいつにぶつけろ」

 

「はあ……」

 

 どういうつもりだ? 巨大な岩とかならともかく、こんなものをどう力強くぶつけたところで、あの鬼にダメージなどあろうはずがない。むしろこちらに気付かれて危険度が上がるだけでは?

 

 そう思ったが、もう遅い。彼は一投目を、気安く放り投げた。

 

        *

 

 お世辞にも威力があるとは言えない。というか、弱すぎる。そのうえ、コントロールも壊滅的だった。

 その一投目はまっすぐも飛んでいないし、距離的にも全然足りていない。なんとか転がって、鬼の視界には入ったのではないだろうか? という距離で、止まった。

 

「…………」

 

「……僕が投げようか?」

 

「……いや、それは後回しだ」

 

 頑固にも? 彼はそう言って、いま一度投げた。

 ……今度は飛び過ぎだ。これでは場外ホームランである。いくらなんでも鬼に、気付かれてすらいないだろう。逆に安心だ。

 

「…………」

 

「……ちっ」

 

「……運動音痴?」

 

 他人のことをとやかく言えないが、さすがに彼より僕の方が肉薄できる。……いや、肉薄するのが一番まずいのだけれど。

 

「イメージが足りてねえなあ。もっと、当たる、イメージを――」

 

 ぶつくさ言いながら、彼は瞬間、目を閉じた。言葉通りにイメージをしているのだろうか?

 

「ほれ」

 

 緩い。ゆっる~い、一投だった。そしてそれは、鬼に、……当たらなかった。

 

「……あ」

「……あ」

 

 ワンテンポ遅れて、彼は僕の真似をする。

 当たらなかった小石は、最悪なことに肉薄し、鬼の足元に、小さな音を立てて、落ち着いた。

 

 鬼が、振り返る。

 

        *

 

「やっべ、逃げんぞ」

 

 言うが早いか、彼は駆け出していた。また、あの大樹の元へ。

 

「なにがしたいの!?」

 

 僕も遅れて走り出す。文句を上げながら。

 

「見てりゃ解る!」

 

 言いながら、叫びながら、彼はぶんぶんと、やたらめったら小石を投げた。四投目、五投目、六投目……当たらない! そして当たったからといってなんだというのか!

 

 駄目だ。藁にも縋りすぎた。こんなわけ解らんやつに頼ったのが運の尽きだ。ふざけやがって!

 と、僕もせめてもの抵抗で、小石を――

 

「投げんな!」

 

 投げようとしたら、止められた。理由は解らないけれど、しかし、鬼との距離も気になる。まだまだ追い付かれはしないだろうが、追われるとなおさら、あの存在感は怖ろしい。僕は彼の言葉に従い、いまは走ることだけに集中した。

 

「ふう……覚悟、決めんぞ」

 

 彼は立ち止まる。その横を僕は走り抜けて、距離を隔ててから立ち止まった。

 

「おい!」

 

「いいから、見てろ」

 

 言って、振りかぶる。ピッチャーのよう……だとも、お世辞にも言えないが、そんな雰囲気で、狙いを定めて――。

 

「くそっ!」

 

 暗がりではよく見えないが、七投目は鬼の顔面すれすれを抜けた、ようだった。少なくとも当たってはいない。

 鬼が、近付く。

 

「――っしゃあぁ!」

 

 掛け声をあげて、彼は勢いよく、八投目を投げた。それは二投目と同じく、鬼のだいぶ上空を射抜く。

 鬼が、もう、そぐそこまで近付いている!

 

「駄目だ! 逃げろ!」

 

「黙ってろっての」

 

 焦る僕とは対照的に、逆に冷静に、彼は言った。

 

「この距離なら、当たんだろ」

 

 容易く言い退けて、無駄にピッチャーの構えもとらず、ただただ、ダーツでも放るようにあっけなく、九投目を、投げた。

 

 鬼が、振りかぶる。

 

 小石が、当たる。

 

 

 

 ――――――――。

 

 

 

 鬼の動きが、止まった。

 

 


 

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