あの夢のことが頭から離れない。
……などということはなく、僕はいつも通りに登校した。
高校ではあるが、自宅からはかなり近い。というより、近いからこそ選んだ。地元でそこそこの進学校だったから、それなりに勉強した。あくまでそれなり、だったけれど。
頭がいいとも、要領がいいとも言わないけれど、僕はこういうことに対して、不思議と運がある。運があるということを心のどこかで確信していたから、ちょっとばかし手を抜いた。試験直前期にもやや合格点に達していなかったけれど、本試験では見事に合格、無事、入学を果たしたというわけである。
その短い登校を、僕はゆったりと 歩いて進んだ。いつも通りのぎりぎり登校だ。しかし、急ぐつもりもない。なぜか自信のある運に頼っているからではない。単純に、遅れてもいいと思っているから。
が、まあ、遅れることなく到着した。昇降口で靴を履き替え、二階へ。一週間前から新たに僕が通い始めた教室は、二年E組である。
予鈴とともに教室に入り、隣のうるさい友人にうるさいことを言われた。それに応える前に、担任が入室。活力にあふれた毎日の馬鹿騒ぎも鳴りを潜め、諦観にも似た罵詈や雑言が悪意なく蔓延する。これから、ほとんどの生徒にとって望まない未来がやってくるというのに、誰もここから逃れようとはしない。解っているからだ。現実が夢の中ではないことを。
「よーし、出席取るぞー」
この場の誰よりも怠そうな声で、担任教師は言った。
*
「阿豪虚太」
「ひゃい!?」
最初に呼ばれることが解っていながら、いつも通りに心構えができていない出席番号一番である。
「跡咲純歌」
「あ、うん」
そんな先駆者を少し笑いながら、彼女は応えた。
「井奈言」
「んー」
窓の外を見ながら、特段の興味もなさそうに、それでいて、なぜかニヤついて彼女は挙手する。
「尾門実来」
「いるよー」
こちらは反面、やけに楽しそうに諸手をぶんぶん振ってアピールした。
「弟切正為」
「こちらに」
背筋も腕もピンと伸ばし、このまま天井に突き刺さりそうな応答である。
「貝常統矢」
「ウィーッス」
態度悪く足を組み、彼は、窮屈と言わんばかりに声と、腕を張り上げた。
「加賀殻叶」
「あらぁ~」
はい。可愛い。頭ぼっさぼさだから本日も寝坊をしたようだ。
「輝野赤久」
「チャオ」
黙れ、えせイタリア人。
「傘平音遠」
「いひひ……」
そうだ、そのまま呪い殺してしまえ。
「烏羽刀子」
「ああ」
さすがは姉さん、今日も男らしい。
「口女成」
「えっと……」
こちらはもはや小動物である。おずおずと控えめに手を挙げた。
「黒見原麗音」
「チョリーッス」
現実に横ピースキメる女子とか、このクラスに来て初めて見たよ、僕は。
「佐夢篠姫」
「はぁい」
なんか一瞬、華やいだ? ちょっと声を上げるだけで男子の目が集中しているのが解る。
「清浦一助」
「うっす」
笑顔を絶やさぬ好青年。我がクラスの委員長である。
「十二町良我」
「んひっ!」
……またなんか食ってたか?
「白木眠」
「はい!」
品行方正、謹厳実直。絵に描いたような優等生で、今年は生徒会の副会長様である。
「炭文字流空」
「はあ?」
出席確認くらい普通に返事してあげようよ……。
「千払春吹」
「うい」
体型を気にしているわりには体型が露見する応答である。
「知之田微笑」
「ふん……」
相変わらずの鉄面皮。彼女が笑えば槍が降るという、もっぱらの噂。
「て……渡鬼待君与」
「ひひ……うひ……」
たぶん我がクラスで一番近寄ってはいけない生徒。
「中持次継」
「うぇーい」
そんなヤバい人の後ろに座っていながら、机に突っ伏し彼女に触れそうなほどに腕をぱたぱたしている。勇者である。
「根守策人」
「だよん」
髪の毛が跳ねてるのも、言葉が跳ねてるのも、きっとわざとだ。
「糊沼底太郎」
「きてます」
見た目だけめっちゃ真面目な人。いつもマンガ読んでるけど。
「花巻嬢」
「はいは~い」
ふわふわしてるのにどこか芯がある。これがクラスカーストトップのカリスマだろうか?
「針氏産子」
「でーす」
手元に集中して、なおざりな応答である。そろそろ先生、勉強をやめろ、とか言い出すぞ。
「扣虎龍」
「は、はい!」
これだけ名前負けしている男も珍しい。
「秘喰偲」
「ごっつぁんです」
見事に笑いを掻っ攫った。自虐するほど太ってもいないと思うけれど。
「ラヴ・スタングラッド・フュリー」
「イエス」
日本生まれの日本育ち。苦手科目は英語だ。
「村坂応次」
「いっえ~す」
……面白いと思ってやっているからたちの悪い、うるさい隣人である。
「室内栄」
「いえす、です」
彼女みたいに、ぼそりと言って勝手に笑ってるくらいでいいんだと、僕は思う。
「銘本切先」
「右に同じー」
間違いとまでは言わないけれど、この場合は『前に同じ』だろう。
「呼雲安心」
「ふぁ~い」
おっとりしている彼女と言えど、待ちくたびれたのだろうか?
「林廻夜」
「あいっ」
立ち上がって挙手。そこまでしてもいまだ座っているかのように小さい。
「和ヶ倉舞葉」
「……はっ! ね、寝てないです!」
……寝てたな。
「分美昇」
「はい」
僕は、応えた。この一連の、出席確認の終わりに。
「おーけい。全員いるなー」
担任は言う。6行6列。計36脚。正方形に規則正しく並び座る、僕たちを見て。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!