6×6に座席が規則正しく並ぶ教室だけれど、毎日の時間割も規則正しく、常に50分×6コマ授業だ。そして午前中4コマの授業が終わり、ここからは一時間の昼休みである。
「よっしゃ、メシ食おうぜ、アサヒ」
チャイムに食い気味に、うるさい隣人がうるさくうるさい。古典のハゲが申し訳なさそうに授業の終了を宣言した。
「んお? 舞葉ちゃん、そこ、俺の席」
「んお? ……はっ! か、勘違いしないでよね! 眠ってなんかいないん、だからね?」
ツンデレ途中で我に返ったのか、和ヶ倉さんは語尾を徐々に衰えさせた。疑問形で。
「おい、せめて隣なんだから、自分の席で食えよ。他人の席をねだるな」
「俺は欲しがりさんなんだよ。それに、ダチとのメシは前後の席でって、相場が決まってるだろ?」
決まっていない。が、この男には突っ込んだら負けだ。本当に人生を損失する。やめておいた方がいい。
「いいのいいのー。わたし、お昼は保健室だから」
「保健室?」
そそくさと立ち上がる彼女に僕は問う。問うてすぐ、しまった、と思った。定期的に保健室へ向かうなど、なにか、健康上のデリケートな話題だったかもしれない。
「うん。保健室。ベッドあるし」
何事もなく言い放ち、あくびを漏らす。……ああ、そういうこと。
「寝るのもいいけどさ、メシは? ちゃんと食ってるの?」
どかした彼女の席に当たり前のように座りながら、隣人は言った。
「ふっ……わたしを誰だと思っている?」
いや、誰だよ。
眠そうに垂れた眼で取り出したるは、一食に必要な栄養素がしっかり採れると最近話題のゼリー飲料だった。それを十秒でチャージし、後ろ手にゴミ箱へ放る。そのまま颯爽と彼女は、保健室へ向かった。ゴミ箱へは入らなかった。僕は拾って、しっかとゴミ箱へ入れる。
「アサヒ、アサヒ」
席に戻る僕に、隣人が神妙な顔で声をかけてきた。僕は首を傾げて先を促す。
「この席、……まだ温かい」
僕は無視して、弁当箱を取り出した。
*
さて、目前に座り、なんか突っ込んでほしそうにガツガツと、普段より勢いよく弁当をかっ込む隣人を無視して、僕は教室を眺めた。
まだ新学期も始まったばかりだ。席は出席番号順。黒板へ向かって左前から後ろへ、最後尾に達するとひとつ右の列へ移る。そして僕の席が一番最後の、右後ろ。
クラス替えも行われたばかり。まだ友達グループが形成され始めている段階だが、それでも、高校も二年目だ。一年のころの友人でグループができていたりもするし、あるいは、社交性の高いやつらは席の近い者同士でグループになりつつあったりもする。
ちなみに僕の隣人、出席番号30番の村坂応次とは、小学校からの付き合いだ。そういう『慣れ』も含めて言うけれど、こいつは遠巻きに眺めているくらいでちょうどいい。目前にいるとちょっとうざい。
だから、目を逸らす。逸らして、目の保養だ。
「叶ちゃんかー。可愛いけど、俺の好みじゃないなあ」
見ると、僕の視線を辿って振り向いている隣人がいた。
「か、勘違いしないでよね。べつに好きとかそういうんじゃないんだからね」
僕は見透かされて動揺する心を露呈しないように、努めて平坦に言った。うろたえるのが一番よくない。
「はいはい。小学校から何度目だよ、そのセリフ」
少なくともこのセリフは初めてのはずである。が、もはやこいつには見透かされているのも確かだ。そしてなにより、突っ込んだら負けなのである。
「でもまあ、好きとかそういうんじゃないんだよ。おまえと同じ、小学校――から、ずっと見てるのに、たいした接点もないわけだから」
「ああ、そういや、同じクラスってだけでも……初めてじゃね?」
空を見上げ、応次は言った。小学校からこれまでのすべてのクラスを把握しているのか? 自分のクラスだけならともかく、僕のクラスも? まあ確かに、クラスが違っても僕のクラスには入り浸っていたから(教科書を借りるのと、宿題を写しに)、把握していてもおかしくはないが。
「初めて。よく覚えてるな」
「ん? じゃあ、いったいなにがあって好きになったんだ?」
「だから、好きじゃないんだって。……でも、気になるきっかけといえば、保育園のときにな」
「ああ、そう」
聞いておいて、特段に興味もなさそうに応次は言った。ちらりと見るだけでなく、ずっと加賀殻さんを凝視している。これは後ろの席の特権だろうか? 彼女の後頭部を眺めていても、そうそう気付かれたりしない。ときおり隣の友人へ顔を向ける、そのときの横顔が見られれば、僕は十分である。
まなじりが落ちて、おっとりとした顔。口元もややだらしない。だがその気の抜け方が、こちらの警戒心を解いてくれる。保育園のときから十年以上も変わらない、優しく、柔らかい雰囲気だ。
やや色の抜けた髪は光の加減かピンクがかって見える。全体的に内側にカールするミディアムヘアは、おしとやかな印象を強くする。問題はそれが、かなりの頻度でぼさぼさで、怒髪が天を突くように寝癖でとっちらかっていることだ。どうやら僕と同じで朝に弱く、よくぎりぎりまで寝ていて、整える時間がないのだという。登校してから友人たちに整えてもらっている光景が、我がクラスではよく見られた。そういう抜けたところも可愛らしく思える。
そして、謎のチャームポイントである、ぴょこんと跳ねた毛束。アホ毛ではない。それは頭頂部よりやや左に寄っていた。しかも、その毛束だけやけに長い。重力に逆らって持ち上がっているのに、その毛先は肩にかかるほどだ。いったいなんなのだろう? どれだけめちゃくちゃな髪型でも、その毛束だけは毎度ヘアゴムでまとめられているし。星型の飾りがついたヘアゴムで。
まあ、そんなこんなも、全部可愛いのだけれど。僕は決して、彼女を好きだとは言わないけれど、可愛いことは可愛い。きっとこの世の誰よりも可愛いのだ。彼女は。
「ま、でも、とりあえず今年はがんばらねえとな。せっかくの同じクラスだし」
一連のキャラ紹介を終えるように、応次は言った。なんか嬉しそうににっこりと笑い、握りこぶしに親指を立てて、僕に向けてくる。……なんだそのポーズ。
なにはともあれ、突っ込んだら負けだ。
「ああ、そうだな」
僕は最後の一口を頬張る。ゆっくりと咀嚼。その時間だけ、許してもらえるだろうか? もう少しだけ、彼女を見つめることを。
*
一日の授業を終え、僕は帰宅する。うるさい隣人は『応援部』といううるさい部活に所属しているので、うるさくどこぞかへ消えていった。応援部の部室がどこにあるのかは、誰も知らない。
帰りに前の席を見てみると、件の女子はいまだに眠っていた。起こすべきかとも思ったけれど、そんな義理もない。放っておいて帰る。
最後にちらりと、左から二列目の最前席を見る。加賀殻さんはすでに帰っていた。
徒歩十五分ほどの距離を、二十分かけて帰る。それでも夕食まで時間があったので、先に宿題を終わらせ、ちょうどよく夕食をいただく。いつも通りに父はまだ帰っておらず、母と二人の食卓だった。
食後、少しだけテレビを見ながら、母と雑談をして、風呂へ向かう。無駄なほど長風呂をして出ると、父が帰ってきていた。無口な父と、挨拶程度に言葉を交わし、僕は二階にある自室へ。
特段にやることのない時間を、スマホゲームをしたり、漫画を読んで過ごした後、毎年のように三日坊主を体現していた日記をつけ(今年はもう一週間もがんばっている!)、照明を消した。眠る意思を持っていたわけではないけれど、だらだらとベッドに寝転がり、いろんなことを考えていた。
あのうるさい隣人は、なんでうるさいのだろうとか。前の席の眠り姫は、今日何時に目覚め、帰宅したのだろうとか。加賀殻さんのこととか。とか。
そんないつも通りを終えて、僕はいつの間にか、眠りについた。……のだろう。
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