「……な、何を言ってるんだ! 私はお前のおじいさんだぞ!?」
一瞬固まったものの、すぐに盛大に訴えた啓介だったが、勇貴は冷静に反論を繰り出した。
「だって、おじいさんのなまえを聞いたけど、『うだがわ』さんだよね?」
「ああ、だから!」
「ぼくのおかあさんは、たしかにりょうりけんきゅうかの『うだがわたかこ』だけど、それはげいめいだし。きゅうせいは『たかぎ』で、たかぎのおじいちゃんとおばあちゃんは、ちゃんとちばにいるもの」
「それは!」
「だから、たまたまじぶんと同じ『うだがわ』ってなまえを聞いて、こんなむすめがいたら良かった、なんてもうそうをしているうちに、そのとおりだとしんじこんじゃったと思うんです」
啓介が口を挟もうとしても、勇貴が如何にも尤もらしい事を警官達に訴えた為、特に勇貴と顔見知りの長瀬は、全面的にそれを信じた。
「取り敢えずお名前と住所、連絡先をお伺いしても宜しいですか?」
「勇貴君。ちょっとこっちに来ようか」
「うん」
長瀬が記録用紙を手にしながら啓介を交番の中に誘導しようとし、さり気なく啓介から手を離した勇貴を、三宅が手招きする。しかし痴呆老人呼ばわりされた啓介は、怒りで顔を真っ赤にしながら喚き出した。
「私は、その子の祖父だと言っているだろうが!」
「勇貴君は違うと言っていますのでね」
「そこまで言うなら、その子の父親に問い合わせてみろ!」
勢い良く勇貴を指さしながら啓介が訴えた為、長瀬は顔を顰めながら問い返した。
「……警察庁に問い合わせろと?」
「ああ、そうだ! 早くしろ! 私は警視庁の第十三方面本部長を務めていた宇田川啓介だぞ!」
そんな啓介の姿を眺めた勇貴は、心底申し訳無さそうに三宅に謝った。
「ごめんなさい。めんどうな人を、つれてきて……。ほんとうにそんなえらい人だったら、げんばのおまわりさんにいばりちらしたりしないよね?」
「勇貴君、気にしないで良いよ? 帰宅困難者の保護は、ちゃんとした俺達の仕事の一部だから」
「ありがとう、おまわりさん」
親切心から連れて来たであろう勇貴が、落ち込んでしまったと思った三宅は、可哀想になって彼を宥めた。するとその間に、そこまで言うなら確認だけしてやろうと、長瀬が隆也の職場に問い合わせの電話をかけ始める。
「……はい、……はい、了解です。お仕事中に貴重なお時間を頂き、ありがとうございました。失礼致します」
長瀬が何度も頭を下げながら会話していた間、啓介は椅子にふんぞり返って様子を窺っていたが、彼が通話を終えて受話器を置くと同時に、得意満面で声をかけた。
「どうだ! 榊はちゃんと、私の身元を保証しただろうが!」
しかし振り返った長瀬は、忌々しげな表情を隠そうともせずに吐き捨てる。
「いいや。『宇田川啓介なる人物とは、全く血縁関係も姻戚関係も無い』と断言された」
「何だと!?」
「加えて『確かに以前、どこかの方面本部長にそれらしき名前の人物がいた気もするが、もし本人ならそんな騒ぎを起こす筈もない。警察官になり損なった挙げ句、妄想をこじらせたタチの悪い痴呆老人だろう。ちゃんと身元が確認できて、監督責任者に引き渡すまで、交番から所轄署に身柄を移して、きちんと保護するように』との指示を受けた。三宅、連絡を頼む」
「はい、了解しました」
指示を受けた三宅は早速所轄署に連絡を入れ始めたが、激高した啓介は机を乱暴に叩きながら怒鳴り散らした。
「誰が妄想をこじらせた痴呆老人だ!? ふざけるな!」
「おい! じいさん、暴れるな! 大人しくしてろ!」
「やっぱりそうだよね……。おじいさん、ほんとうのおなまえ、おぼえてないの?」
ここでさり気なく勇貴が口を挟むと、啓介は益々ムキになって訴えた。
「宇田川啓介は、私の本名だ!」
「……じゅうしょうみたい。ほんとうにごめんなさい」
「いや、勇貴君は悪くないから。この人を保護してくれてありがとう、助かったよ。……それでは迎えが来るまで、奥の控室で待っていて頂きましょうか」
勇貴が改めて申し訳無さそうに長瀬に頭を下げると、彼は笑って勇貴を宥めてから、三宅と共に啓介を交番の奥に誘導しようとした。
「離せ! 私を誰だと思っている!」
「知らないなぁ、とっとと本当の名前を思い出してくれたら、こっちも助かるんだけどな?」
「私は宇田川啓介だ!!」
「はいはい、自称『宇田川啓介さん』ね。何か所持品は無いかな?」
三宅が啓介のジャケットのポケットに手を差し入れ、中に入っていた物を取り出すと、啓介の喚き声がさらに大きな物になる。
「あ、こら! 勝手に財布を取るな!」
「人聞きの悪い。中を改めたら、すぐにお返しますよ。……あれ? 宇田川啓介名義のカード?」
「それ見ろ! 私は元第十三方面本部長の宇田川」
「どうせいどうめいなんて、すごいぐうぜんだねぇ。これじゃあなおさら、しんじこんじゃうよねぇ。おじいさん、かわいそうだねぇ……」
「違う! 私は本当に、宇田川啓介だ!」
三宅が怪訝な顔になった所で、啓介が勢い込んで言おうとしたが、そこですかさず勇貴がしみじみと哀れむ口調で告げる。それを見た二人は、無言で顔を見合わせて溜め息を吐いた。
「はいはい、そうですね。確かにどこかの宇田川啓介さんですね」
「やっぱり署で保護して貰って、家族を探して貰うしかなさそうだな。俺達では手に余る」
「あ、長瀬さん、署から迎えが来ました」
そんなすったもんだのうちに、連絡を受けた管轄署から差し向けられたパトカーが交番の前に停まり、中から警官が二人降りてきた。
「じゃあ自称『宇田川』さん。行きましょうか」
「よせ! 俺は行かんぞ! どうして警察署に行かなければ行けないんだ! 離せ!」
長瀬に腕を取られた啓介は、盛大に喚いて抵抗したが、その間も警官達は二人に向かって歩み寄り、声をかけてきた。
「よう、連絡のあったのはこの人か?」
「ああ。無関係のこの子の祖父だと言ったり、警察庁のお偉いさんの身内と言ってるが、事実と全く違っていてね。妄想をこじらせた、痴呆症を発症しているみたいだ」
「それは難儀だな。分かった。こちらで引き受ける」
「さあ、じいさん、行こうか」
「ふざけるな! 離せ! 俺は元第十三方面本部長の宇田川啓介だ!」
そして半ば引きずられるようにしてパトカーに押し込められ、全く言い分を聞いて貰えずに連行されていく啓介を、勇貴は冷め切った目で見送った。
(ほんとうに、あたまわるい……。あんなのとほんとうに、血がつながってるのかな……。いやだなぁ……)
血の繋がりに密かにうんざりしながらも、勇貴は長瀬達に改めて礼を述べてから、何事も無かったように当初の目的地である友達の家に向かって歩き出した。
その日の夜。遅く帰宅した隆也が一人で夕食を食べていると、既にパジャマに着替えた勇貴がひょっこりと顔を出した。
「おとうさん、おかえりなさい。男どうしのはなしをしたいんだけど」
「……何の事?」
「分かった。貴子、少し席を外してくれ」
「それは構わないけど……」
夕食を出していた貴子は怪訝な顔をしたが、大人しくダイニングキッチンから出て行き、勇貴が椅子に座るのを待って、隆也は笑いを堪えながら話しかけた。
「日中、駅前の交番から電話がきた時は、少々驚いたがな。最初から聞かせてくれるか?」
「うん、いいよ」
そして食べながら、息子が順を追って語る内容を聞いていた隆也は、全て聞き終えてから笑顔で彼を誉めた。
「……なるほど。良くやった」
「まさかあそこまで、うまくいくとは思わなかったけど。でもけいさつしょからは、あっさりかえされただろうし。おかあさんのしかえしとしては、ささいな物だよね?」
「俺が帰る直前に、所轄署に電話してさり気なく様子を聞いてみたが、まだ解放されていなかったぞ?」
「え? なんで?」
本気で驚いた勇貴に、隆也は皮肉っぽく笑いながらその理由を告げた。
「あの恥知らず親父、自分が警察内で相当の権威の持ち主だと、所轄署の連中に知らしめたかったらしい。今、警察内部で結構上のポストに付いている義理の甥や後輩達を名指しして、身元の保証をさせようとしたらしいが、自分とは無関係だと、悉く拒否されたそうだ。当然だな。在勤中に散々足を引っ張られた人間の、退職後の徘徊の面倒までみるお人好しはいない」
「よっぽど、じんぼうが無かったんだね……」
呆れかえって正直な感想を口にした勇貴に、隆也は軽く頷きながら話を続ける。
「とうとう最後に妻子に連絡を取ろうとしたらしいが、何故かどうしても連絡が付かなかったらしく、このままだと一晩留置場に留め置く事になるらしい。先に連絡がいった甥辺りから話が伝わって、そんな恥さらしな事をしてと、怒ってわざと無視しているのかもしれないな」
それを聞いた勇貴が、再び不思議そうに尋ねた。
「じゅんばん、おかしくない? ふつうはいちばん先に、かぞくにれんらくするよね?」
真っ当な事を口にした勇貴だったが、隆也は鼻で笑いながら啓介をこき下ろした。
「一般人では、周りの警官が恐れ入らないからな。くだらんプライドだ」
「……ほんとうに、くだらない。あんな人間にならないように、気をつける」
「ああ、そうだな。間違ってもなるなよ?」
「うん」
最後は勇貴が神妙に頷いて、その話は終わりになった。
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