ハリネズミのジレンマ

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番外編 巻き込まれる人々

友達以上?友達以下?

公開日時: 2021年5月25日(火) 11:54
文字数:4,785

特に理由も告げられずに、一方的な呼び出しを受けた弘樹だったが、めげずにしつこくアプローチを続けている相手からのそれであった為、嬉々として待ち合わせ時間に指定された居酒屋に出向いた。するとそこには既にテーブル席に陣取り、静かに手酌で飲んでいた眞紀子が存在していた。


「遅れてごめん、眞紀子さん」

「……別に。大した事は無いわよ」

 遅れたのは五分程ではあったが、相手のテンションが低いながらもそれ程機嫌は悪くないと察した弘樹は、胸をなで下ろしつつ早速酒と料理を注文した。


「だから、そう言う事なのよねぇ……」

 暫くして、口からぐい飲みを離した眞紀子が、それをテーブルに置きながら唐突にそんな事を呟いた為、流石に弘樹は怪訝な顔になった。


「眞紀子さん……。俺の記憶に間違いが無ければ、この店に入ってから一時間、ずっと俺だけが喋り続けていたのに、いきなり『だから』と言われても、話の流れが分からないんだけど?」

 すると手酌でお銚子から酒を注ぎながら、眞紀子がギロリと弘樹を睨み付ける。


「気合いで読み取れ。仮にも管理職だろうが」

「眞紀子さんの頭は、マッハ2で回ってるみたいだな。ごめん、俺はせいぜい時速二十キロなんだ」

「……ったく、ポンコツ野郎が」

 舌打ちして忌々しく吐き捨てた眞紀子に、弘樹が思わず苦笑する。


「はは……、眞紀子さん、今日はいつにも増して口が悪いな~。それで? 頭の中で、何の話が回ってたのかな?」

 すると、眞紀子は神妙な顔付きになって話し出した。

「今度、兄が結婚する事になったの」

「あれ? それって確か、祐司の姉さんとだよね?」

 親友から聞いていた内容を思い返しながら確認を入れると、眞紀子が素直に頷く。


「そう。世間って、広いようで狭いわよね~」

「それは俺も同感。だけど、それでどうしてやけ酒っぽくなってるわけ? お兄さんを取られて寂しくなちゃった?」

 一番ありえそうな可能性を口にしてみた弘樹だったが、その途端眞紀子が限界まで目を見開き、力一杯否定した。


「はぁあ? 馬鹿言ってんじゃ無いわよ!? 誰があんな俺様野郎。できる事なら、相手の家に箱詰めして熨斗付けて送り付けたい気分よ! 私、兄さんのせいで、小さな頃は生傷が絶えなかったんだから!」

 その訴えを聞いて、弘樹は益々怪訝な表情になった。


「へえ? 因みにお兄さんとは何歳差だったっけ?」

「五歳違いで、兄さんは今、三十六よ」

「普通、それだけ年齢差と性別の違いがあれば、取っ組み合いの喧嘩なんかしなさそうだけどな……」

 どうにも納得できないと言った感じの弘樹に、眞紀子が苛立たしげに叫ぶ。


「はあ? そんな事したら、こっちが命を落とすわよ! あいつは自分の敵には、微塵も容赦しないんだから!」

「そんな大袈裟な……」

「それに加えて、手加減って物を知らなかったのよ。特に子供の頃」

「ふぅん? 例えば?」

 弘樹は何気なく問いかけたが、その問いに予想外の答えが返ってきた。


「兄さんなりに可愛がってたつもりだったのかもしれないけど、私がよちよち歩きの頃、家の庭で高い高いしながら三メートル上空まで放り投げて、木の枝が顔に刺さって痕が残ったのよ!」

「それは、さすがにちょっと危ないよね」

 眞紀子勢い良く前髪をかき上げ、そのこめかみにうっすらと残る傷跡を確認させられた弘樹は思わず顔を引き攣らせたが、眞紀子の訴えは更に続いた。


「補助輪無しでの自転車の練習を始めた時は、『一度派手に転べば、身体が防御反応を覚醒させる筈だ』とか真顔で言って、坂道で力一杯押し出しやがって、派手に転んで見事に側溝に嵌った時の怪我の痕がこれよ!」

「うわぁ……、眞紀子さんの脚、初めてまじまじと見たけど、これ、相当肉がえぐれたよね?」

 勢い良く立ち上がってテーブルを回り込んだ眞紀子は、穿いていたサブリナパンツを引き上げ、左膝の数センチ下の部分が弘樹に良く見える様に、膝を曲げて足を上げた。それを弘樹がしげしげと眺めて感想を述べると、裾を直してから元の様に椅子に座る。


「それから小学生の時、下校途中で蛙を捕まえて帰宅したら、いつの間にか水槽に入れていたそれがいなくなってて。慌てて探したら……」

 そこで急に黙り込み、俯いて握り拳を微かに震わせ始めた眞紀子訝しく思いつつ、弘樹が声をかけた。


「どこに逃げたの? お風呂場とか?」

「あのとことん自分本位の馬鹿兄貴! 直前に手に入れていた解剖セットを使って、自分の部屋で勝手に解剖してたのよ! 挙げ句の果て『生命の神秘に触れる絶好の機会だ。じっくり見ろ』とかほざきやがってぇぇぇっ!! あ、あたしのケロ子がぁぁっ!!」

 そう叫んだ後はテーブルに突っ伏し、さめざめと泣き出した眞紀子を驚いた表情で見やってから、弘樹はしみじみとした口調で言い出した。


「なんか今の話って……、眞紀子さんは蛙が平気なんだとか、今の東京のど真ん中のどこでどうやって蛙を捕まえたのかとか、お兄さんがどうやって解剖セットを手に入れたのかとか、蛙にケロ子って名前つけてたんだとか、色々突っ込み所満載なんだけどさ、一言言っても良い?」

「何よ?」

 グスグスと涙を拭いながら顔を上げた眞紀子に、弘樹は小首を傾げながら問いかけた。


「ひょっとして、その時の事がきっかけで、外科医を目指しちゃったとか言わない?」

「…………」

「それで余計に、お兄さんに腹を立ててるとか」

「……だったら何なのよ」

 完全に涙を引っ込め、もの凄く面白く無さそうに呟いた眞紀子に、弘樹は破顔一笑した。


「そうか~、そうなんだ~。なんだ、いいお兄さんじゃないか。妹に将来の指針を与えてくれるなんて」

「全然良く無いわよ! どうせ兄さんの事だから、身内に外科医が居たら怪我した時に便利、位の考えしか持っていなかった筈よ!」

「そうかなあ?」

 これ以上の議論は無駄だと、にこにこと笑いかけてくる弘樹から目を逸らし、眞紀子は溜め息を吐いた。すると弘樹が、脱線した話を元に戻してくる。


「それで? お兄さんを取られて寂しいってわけじゃ無いのに、どうしてそんなに憂鬱な顔をしてるわけ?」

 その問いかけに、眞紀子は再び飲み始めたぐい飲みを置いて、真顔で言い出した。


「だから、兄が結婚するって事は、義姉ができるのよ」

「そうだね」

「初めて家族が増える訳よ。しかも赤の他人が」

「だろうね。二人兄妹なんだし」

「それで、その女性って、結構複雑な生い立ちの人なのよね。詳しくは知らないけど、婚約するまでにも色々あったみたいだし」

「ああ、うん。祐司もそんな事をポロッと言ってた時があったなぁ。それで?」

「だけどね、我が家では全員大歓迎なのよ。あの面倒臭い兄さんのお嫁さんになってくれる訳だから!」

「うん、それは分かるけど。だから何?」

 眞紀子の話に一々頷きつつ、律儀に聞いていた弘樹だったが、今一つ彼女の言わんとする所が理解できなかった為、問いを重ねた。すると眞紀子が、堪忍袋の緒が切れた様に声を荒げる。


「ここまで言って、まだ私の言いたい事が分からないわけ!?」

「はい、すみません、さっぱり。お兄さんの結婚に反対しているわけじゃ無いんだよね? と言うか、諸手を挙げて賛成っぽいし」

 すると眞紀子は、イラッとした様にテーブルを叩きつつ叫んだ。

「だから、貴子さんとは仲良くしたいのよ! だけどどうしたら良いか、良く分からないのよ! 私、友達って殆どいないし!」

「はぁ?」

 完全に面食らった弘樹に向かって、眞紀子の主張が続く。


「だって昔からはっきり物を言う性格だったから、女の子同士のなあなあの付き合いなんか出来なかったし、職場は男社会で隙あらば足の引っ張り合いだし、その同僚達を狙ってる看護師連中にしてみれば、紅一点の私って目の上のたんこぶだし!」

 それを聞いた弘樹は、思わず遠い目をしてしまった。

「……何かもの凄く分かるな~、その状況」

「それなのに、貴子さんとどう接すれば良いってのよ! 私、小姑になっちゃうのよ!?」

「うわぁ、眞紀子さん、本当に可愛いなぁ……」

 そんな錯乱気味の眞紀子を見て弘樹は一瞬きょとんとしてから、目元を緩めてくすくすと笑い始めた。その反応を見た眞紀子が、忽ち頭に血を上らせる。


「はぁ!? あんた、喧嘩売ってんの!?」

 怒鳴りつけられた弘樹だったが、何とか笑いを抑えてから不思議そうに言い返した。


「あのさ、その人とは友達じゃなくて、義理の姉妹になるんだよね? じゃあ友達が少ないから仲良くできないかもなんて悩むの、筋違いじゃない?」

「……え?」

 そこで眞紀子は虚を衝かれた様に黙り込み、そんな彼女を観察しながら、弘樹が問いを重ねた。


「お姉さんって欲しくなかったの?」

「それは……、欲しかったけど」

「それなら、正直に本人に向かってそう言ったら? 『以前からお姉さんが欲しかったんです。これから宜しくお願いします』って。別にそんなに悩まなくても、それで万事解決だと思うけどな」

 事も無げにそう言い切ってぐい飲みを口元に運んだ弘樹を見て、眞紀子は深々と溜め息を吐いた。


「……本っ当に、あんたって能天気よね」

 それに弘樹が嬉しそうに反応する。

「誉めてくれてるんだよね?」

「一応よ。一応。今後はあんたを誉める事なんか無いと思いなさい」

「それはどうも」

 嫌そうに軽く手を振った眞紀子に苦笑しつつ、弘樹は料理に箸を付けた。そして少し食べ進めてから、何気なく言い出す。


「だけどさ、眞紀子さんって、本当に友達がいないんだ」

「……何が言いたいわけ?」

 気分を害した様に眞紀子が睨み付けたが、その視線にも恐れ入る事は無く、弘樹は飄々と話を続けた。


「だってこんなしょうもない愚痴を聞かせるのに、わざわざ俺を呼び出すなんて。普通なら、もう少し身近な友達にポロッと話して相談するんじゃない? まあ、友達といってもプライベートな事をペラペラ喋りたくないから、友達以下の俺を呼び出したっていう眞紀子さんの気持ちは分かるし、眞紀子さんの呼び出しだったら俺はいつでも喜んで来るから、一向に構わないんだけどさ」

「…………」

「あれ? 急に黙り込んで、どうかした?」

 何故か箸を握り締めたまま、再び俯いて黙り込んでしまった眞紀子に、弘樹は怪訝な顔になった。すると眞紀子が勢い良く顔を上げ、怒りの形相で悪態を吐く。


「本っ当に、あんたって頭の回転は悪いし、もの凄く無神経よね」

「え? 何でここで怒るわけ? 俺、何か気に障る事でも言った?」

「自分で考えろ、ボケ! 不愉快にさせられたから、ここの支払いは全額あんた持ちよ!? さよなら!」

「え? ちょっと待って! 眞紀子さん!」

「お客さん! お会計をお願いします」

 怒りに任せて眞紀子がバッグ片手に勢い良く立ち上がり、さっさと出入り口に向かって歩き出した。慌てて立ち上がった弘樹が後を追おうとするも、店員に捕まって会計カウンターの方に連行される。背後の喧騒を完全に無視しながら眞紀子は外に出たが、幹線道路に向かって数歩歩いた所で足を止めた。


「全く……、いつもヘラヘラしてる癖に、どんくさいんだから」

 眞紀子は振り返って、出て来た店の入口を眺めていると、そこから会計を済ませた弘樹が幾分慌てた様子で出て来る。そして予想外に至近距離に居た眞紀子を認め、怪訝な顔で声をかけてきた。


「あれ? 眞紀子さん、そこで何をしてるのかな?」

「タクシーを拾いたいんだけど、全然来ないのよ」

 真顔でそう言って視線を逸らした眞紀子に、弘樹が忽ち渋面になる。


「眞紀子さん、見た目以上に酔ってる? こんな細い道に、わざわざタクシーは入って来ないから。ほら、こっちだよ」

「煩いわね。年下の癖に生意気なのよ」

 溜め息を吐いて自分の手を取り、幹線道路に向かって歩き出した弘樹の手を、眞紀子は振り払ったりしなかった。そして、(『お姉さんが欲しかったんです。宜しくお願いします』か……。うん、今度引き合わされる時に、言ってみよう)などと考えながら、大人しく二人で歩いて行った。

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