ハリネズミのジレンマ

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(16)引導の渡し方

公開日時: 2021年5月16日(日) 20:29
文字数:5,749

「……ただいま」

 高木家に一泊して帰って来た貴子は、リビングに人の気配を察知し、渋面になってドアを開けた。すると予想に違わず、隆也がソファーに座ったまま、苦笑いで出迎える。


「帰ったか。しかし凄い仏頂面だな」

「誰のせいだと思ってるのよ!」

「不用意に言質を取られたお前のせいだ。明日まで休みだから、一緒にマリッジリングを買いに行くぞ」

「……もう好きにして」

 投げやりに隆也とは反対側のソファーに座り、荷物を横に置いてふて腐れた貴子に、隆也は「仕方が無いな」と苦笑しながら立ち上がり、キッチンで珈琲を淹れて戻って来た。そして片方のカップを貴子の前に置きながら、唐突に言い出す。


「披露宴だが、実は俺の両親が俺にも断りなしに昨春から会場を押さえていたんだ。折角だから、そこで四月にするからな」

 それを聞いた貴子は、思わずカップに伸ばしていた手を止め、遠い目をして呟いた。


「もうホントに、俺様の親っぽいわ……。何なの、一年前から本人が知らない所で押さえておくって」

「それから俺の方の付き合いがあるから、仲人は俺に一任して貰いたいんだが」

「それは構わないけど……。お願いしたい人が居るの?」

「ああ、ちょっとな」

 微妙に言葉を濁した隆也を見て、貴子は彼が考えている相手の見当をつけた。


「そうなると警察関係者よね? でも私が相手なのに、媒酌人なんて引き受けて貰えるわけ?」

「そんな事は心配するな」

「それなら良いんだけど……」

 自分の警察内での評判を考えると、引き受けて貰えないのではと懸念した貴子だったが、隆也は言下に否定した。そしてさり気なく話題を変える。


「それから、当面はこのままここで暮らすからな」

「そうなの?」

 カップを両手で抱えつつ意外そうに小首を傾げた貴子に、隆也はさも当然という口ぶりで続ける。


「お前も仕事を再開して忙しくなるし、入籍に従って生じた手続き等も煩雑だし、色々落ち着くまではその方が良いだろう。それ以後の事はまた考えれば良い。引っ越すとなったら、それなりに大変だからな。それにお前は長年暮らしたここに、愛着があるだろうし」

「そうね」

 そして安堵した様に珈琲を飲み始めた貴子を眺めながら、(さて、それでは早々に、室長経由で話を上げて貰うか)と頭の中で算段を立てながら、隆也も静かにカップの中身を飲み始めた。

 そんな話をして半月程経過し、一月も下旬に入った頃、隆也は仕事帰りに、とある料亭に警察庁警備局局長の青山慎吾警視監を招いた。


「青山局長、本日はご足労頂き、ありがとうございます。貴重なお時間を割いて頂き、大変恐縮しております」

 礼儀正しく正座で頭を下げた隆也に、青山は鷹揚に頷いて見せる。


「堅苦しい挨拶は抜きだ。久し振りだな、榊理事官。警察庁に異動後も、特殊詐欺対策室で手腕を発揮していると、渡辺室長から聞いている」

「恐れ入ります」

 昨年、啓介が勇み足で隆也と貴子の媒酌人を依頼したという因縁のある相手に、上司を介して話を通して貰った隆也は、料理が運ばれて来たのを機に、酌をしながら早速用件を切り出した。


「青山局長。実は私は、先日ある女性と入籍しました。直属の上司である渡辺室長には報告済みで、事務手続きも済ませております」

「ほう、それはめでたい。おめでとう」

「ありがとうございます」

「すると、わざわざ私を呼び出したのは、媒酌人の事かな?」

 早速話の先を読んできた相手に、隆也が神妙に答える。


「はい。渡部室長にご相談した所、『自分にはまだ荷が重い』と固辞されまして。『他に身内以外で、懇意にされている幹部の方はいないのか』と尋ねられたので、思わず面識のあった青山局長のお名前を出してしまった次第です」

「それで渡部君経由で、今回私に話が来たわけだな。なるほど。よかろう、前途有望な榊理事官に頼られて即座に断れるほど、私は傲岸不遜な人間ではないからね」

 頼られてまんざらでもなさそうな顔付きで頷いた青山に、隆也は笑顔で頭を下げてから、用意しておいた大判の封筒を差し出した。


「快くお引き受け頂き、感謝いたします。因みにこちらに妻の経歴と、披露宴の招待予定客の一覧表を持参いたしましたので、ご一読下さい」

「それは用意が良いな。早速見せて貰うか。それで奥さんの名前は、何と言うのかね?」

「貴子です。旧姓は高木と言います」

「そうか」

 そして何気なく書類に目を通し始めた青山だったが、すぐに怪訝な顔になった。


「うん? 宇田川?」

 そう呟いた彼を隆也は黙って観察していたが、一通り目を通した書類から顔を上げた時、青山は若干険しい表情をしていた。

「榊君。君は本気で、この女性と結婚するつもりかね?」

 その程度の事は言われるのを予想していた為、隆也は落ち着き払って答えた。


「失礼ですが、青山局長。今の発言には語弊があるかと。披露宴はもう少し先ですが、既に入籍しております」

「ああ、そうだったな」

 そこで青山は溜め息を吐いてから、幾分苦々しい口調で続ける。


「だがこの女性には、これまで色々噂があったようだが。それに小耳に挟んだところでは、とある重大事件発生の折、君の友人と交際してはいなかったか?」

「そのとある重大事件の時、妻は謂われなき誹謗中傷を受けまして。付き合っていた友人にも迷惑をかけたと気にして、別れてしまったんです。その後私が交際を申し込んで、入籍に至った次第です」

「それはそれは。君は入籍まで持ち込むのに、捜査以上の手腕を発揮したらしいな」

「恐れ入ります」

 あまりにも白々しい物言いに青山は失笑してしまったが、隆也は真顔で軽く頭を下げた。そこで青山は笑みを消し、ある懸念を口にする。


「しかし……、入籍まで済ませた今になっては詮無い事だが、彼女は君の経歴の傷にならないか?」

 そう問い掛けられた隆也は、落ち着き払って言葉を返した。


「青山局長、生意気な事を一つ申し上げても宜しいでしょうか?」

「それは構わんが」

「私の様に、能力も容姿も体格も人望も恵まれている者は、どうしてもそれらに恵まれない者達から妬まれるものです。ですから傷の一つや二つはあった方が、ろくでもない連中はそれで溜飲を下げて、必要以上に妬みを買う事も無く、丁度良いのではないかと愚考致します」

 淡々と隆也が述べた内容に青山は呆気に取られたが、すぐに笑いを堪える表情になった。


「君の様な優秀な官僚は、敢えて周りに付け入る隙や、欠点を見せておいた方が得策か。なるほど、分かった。五月蠅い連中には、私の方からそう言って聞かせよう」

「宜しくお願いします」

 快く説得を引き受けて貰った為隆也が密かに安堵していると、青山は書類を捲りつつ感心した様な声を上げた。


「こちらが披露宴で招待する予定の人物のリストだな? さすがに豪華な顔ぶれじゃないか」

 そう言って読み進めていた青山だったが、当惑した顔で問いを発した。


「新婦側は加納派が目白押しだが……、宇田川君は出席しないのか?」

 しかしその問いに、隆也は待ってましたとばかりにほくそ笑んだが、すぐにその笑みを消して冷静に答える。


「彼自身がとある重大事件の折りに、『その女と自分は無関係だ』と警察内で公言していますので、この披露宴に父親として出席する筈は無いでしょう。それ以前に、彼女にはれっきとした父親が存在しておりますし、招待客として招く理由も皆無です」

 きっぱりと隆也が断言すると、青山は少し考え込んだものの、彼の主張を全面的に認めた。


「確かに、彼がこの披露宴に列席する必要はどこにも無いな。さて、新郎側は……、さすがに幅広く招く予定だな。君の叔父の榊大輔警察庁長官官房長を筆頭に、菅野派の重鎮の面々、それに長瀬派、山崎派……」

「同期や先輩、これまで教えを乞うた方や、以前の上司に当たる方もお招きする予定ですので。一応この機会に交友関係を広げようかと、披露宴にかこつけて、全ての派閥の方を満遍なく招待する予定になっております」

「しかし榊君、全ての派閥と言っても、久住派の人間だけが皆無だが……」

 不思議そうに指摘してきた青山に、隆也はすこぶる真面目な顔で問い掛ける。


「部長、お尋ねしても宜しいでしょうか?」

「何をかね?」

「『久住派』などという派閥が存在していましたでしょうか? 不勉強で申し訳ありません。久住派のどなたをお招きすれば宜しいでしょうか?」

 惚けて堂々とそんな事を言い切った隆也に、青山はその言わんとする所を察し、小さく噴き出す。


「くっ……、き、君もなかなか辛辣だなっ……」

 隆也の中ではそんな派閥は存在しない事になっている事実に、青山は半ば呆れながらも同意する言葉を返した。


「すまない、私の勘違いだ。警察組織の中に、久住派などという派閥は存在しない。よって、存在しない派閥から招待などする必要もない」

「そうでしたか。安心しました」

 事実上久住派を披露宴から締め出し、かつ出席者にも取るに足らない弱小派閥だと認識させ、青山の承認も取り付けてあるとアピールできる算段が整い、隆也は無意識に笑顔を浮かべた。それは青山も同様で、軽口を叩いてくる。


「いやいや、こんな変な事を口走るなど、私も耄碌したな。そろそろ後進に道を譲った方が良いかもしれん」

「そんな事を仰らずに。まだまだ局長に睨みを利かせて頂かないと、下の者が困ります」

「それはそうと、榊理事官」

「はい、何でしょうか?」

「……あの事件、どこからどこまで仕組んだ?」

 すかさず笑みを消して眼光鋭く睨み付けてきた相手に、隆也も顔付きを改めて正直に答えた。


「妻が巻き込まれたのは本当に偶然ですし、事件そのものに私どもは全く関与しておりません」

「だろうな。君や彼女が計画したなら、もっと上手くやったはずだ。捜査資料を散見したが、どうにも場当たり的な感じが拭えない。それにも係わらず未だに犯人の目星もつかないとは、警察史上稀に見る汚点だ」

「…………」

 忌々しげに述べた青山に下手な反論はせずに隆也が黙っていると、一口酒を飲んでから青山が確信している口調で言い出した。


「だが彼女が疑われた時、敢えて手を出さずに傍観したな?」

「父娘喧嘩に巻き込まれるのは、私としても御免ですので」

「あそこで宇田川君が彼女との関係を必死になって否定したから、彼女が有望な若手官僚と結婚しても関係を主張できんし、耳を貸す者もいないだろうな」

「誠に、予想以上に墓穴を掘って頂きまして、都合よく厄介払いができました」

 薄笑いを浮かべながらそう告げた隆也を、青山は更に追及する。


「あの事件に関しては、色々とリークが多かった事も特徴の一つだな。現場や上層部の言動が、週刊誌で色々かき立てられていたと記憶しているが?」

「最近の記者の情報収集能力は馬鹿にできません。捜査員としてスカウトしたい位です」

 しれっと感想を述べた隆也に、青山は溜め息を吐いて小さく頭を振った。


「分かった。この件に関してはもう良い」

「それでは局長と奥様のご都合が宜しい時に、妻同伴でご自宅に挨拶に伺いますので」

「そうだな、妻も蓉子さんの娘の仲人をする事になったと聞いたら、喜ぶだろう」

 その台詞を聞いた隆也は、怪訝な顔になった。


「奥様は、妻の実家と何かしらのお付き合いがあったのでしょうか?」

 それに青山も、不思議そうに問い返す。


「うん? 知らんのか? 妻の母親は加納貴史氏の妹で、彼の娘の蓉子さんとは従姉妹同士の関係だ」

「は?」

「今でも仲が良くて、昔子供が小さかった頃は、子連れで泊まりがけで遊びに行ったりもしていたぞ? あそこの息子は確か……、祐司君と孝司君とか言ったかな?」

「それは……、存じ上げませんでした」

 完全に予想外の話を聞かされて、半ば呆然としながら隆也が答えると、青山はニヤリと笑って付け加える。


「だから私達夫婦に仲人の話を持ってきたのかと思ったが、どうやら違ったみたいだな。まあ、今回は君のそんな珍しい顔を見れた事だし、各方面にはきちんと根回ししてあげよう」

「重ね重ね、ありがとうございます」

「しかしやはり、良い男は得だな。呆けた顔も絵になるとは、実に羨ましい」

 青山のそんなからかい混じりの言葉に、隆也は何も言い返す事などできず、苦笑しながら酌をした。


「お帰りなさい。どうだった?」

 隆也が幾分精神的な疲労を覚えながらリビングに入ると、貴子が待ちかねた様に歩み寄りながら声をかけてきた。そんな彼女に笑いながら鞄を渡し、ジャケットを脱ぎながら安心するように言い聞かせる。


「お前の事はきちんと説明した上で、問題無く引き受けて貰ったから心配するな」

「そう。良かった」

 貴子が如何にも安堵した風情を見せた為、隆也はネクタイを緩めながら独り言の様に呟く。


「それと、俺なりに引導を渡してきた」

「え? 誰に?」

 不思議そうな顔になった貴子に、隆也はやや強引に話題を変えた。


「何でもない。独り言だ。それと二月に入ったら、二人で先方に挨拶に行くからな」

「そうね、仲人を引き受けて貰うんだし」

「その時、お前がちょっと驚く事がある」

 そう言って人の悪い笑みを浮かべた隆也に、今度は別な意味で不安を覚えた貴子が詰め寄る。


「何? まさか私が面識がある人じゃ無いでしょうね?」

「直接は無い筈だが……」

(いや、ひょっとしたら加納貴之氏の初七日に、宇田川と一緒に乗り込んだ時、顔を合わせているか? 加納氏は局長夫人の伯父に当たるからな)

 彼女から微妙に視線を外しつつ、含み笑いで惚けた隆也に、不安を増幅させられたらしい貴子は、思わず掴みかかって問い質した。


「ちょっと! 何かもの凄く不安になって来たんだけど。一体誰に仲人を頼んだのよ!?」

「挨拶に行けば分かる」

「はぁ? 冗談でしょう! さっさと吐きなさい!」

「俺も少し驚いたからな。お前にも驚いて貰わないと割が合わない」

「何なの、そんな変な理屈は!?」

「そうだな……、今夜は常にはしないご機嫌取りをして、ちょっと疲れたんだ。お前が労わって癒してくれたなら、教えてやらない事も無いが?」

「何なの、その上から目線は!?」

 そこで掴みかかって来た貴子をそのまま抱き込む体勢になった隆也は、腕の中で貴子が「しかも絶対、教える気は皆無よね!?」とジタバタしながら暴れるのを押さえ込みつつ、その耳元で「当然だろう」と楽しげに囁き、首尾良く事を進められた事に対して、満足げな笑みを漏らした。


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