引っ越してから1日が経過した7月4日、日曜日の朝10時に家を出た一行は、3人の子供達を長崎県大村市に住む隆治の両親のところへと預けることにした。
夫婦二人きりになった隆治と美篶は、改めて不動産屋へクレームを言いつけるために、賃貸契約を締結した鈴村不動産がある杵島郡白石町へと向かうことにした。そして着いたと同時に、隆治が勢いよく不動産屋のドアを開けると、「おい!説明で聞いていなかったことがあったんだけど、いったいどういうことだ!説明しろ!!」と怒鳴り込むと、後ろから美篶が恐る恐る入っていくのだった。
店内では営業の担当だろう、丸眼鏡をかけた大人しい男性が現れると、「申し訳ありません。一体何があったのでしょうか?教えていただけませんか?」と聞かれたので、隆治は「多久市内にある5LDKの中古の賃貸で家賃7万円と聞いて思わず賃貸の契約を結んでしまったのだが、実際のお家はどうだったかお前たちは見たか?ゴミだらだけだぞ?それこそ、ゴキブリどころじゃない、ドブネズミや野良猫が出てきた。こんなにも汚いなんて思ってもおらず、また前の住人らしき家具さえ残っていた。こんなものが残っているぐらいなら、最初から”掃除をする必要性があります”ぐらいの説明は必要じゃなかったのか?安さを売りにして、肝心な部分の説明がなされていなかったことに俺は憤りを感じている。結局、前の住人が出した生活ゴミや使っていた家具を外に出して、業者を呼んで処分をした費用を出したのは、俺達だぞ。こんなこと、不動産物件を扱うあんたたちで、綺麗に管理するべきだろ。こんなことをしてまで、家賃7万円はおかしいだろ。せめて家賃6万円ぐらいにまでは下げてもらわないと、この金額には納得が出来ない。」と言い切ったのだった。
出てきた男性は慌てふためいて、「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。すぐ、社長を呼んで参ります。」といって、奥にある社長室のドアをノックすると、クレームを聞きつけた社長の目黒治が慌ててやってくるのだった。
「荻窪さんでしたね。この度は、我々が不動産の管理が怠っていたがゆえに、ご迷惑をおかけしたことを心からお詫びします。誠に申し訳ありませんでした。全ての不動産物件に関しては、我々は全て大家さん任せにしていた実情があったのは、否定できません。こればかりは、我々の管理不足から招いたことは致し方のない事実でもありますし、家賃を7万円と締結していましたが、荻窪さんには非常に迷惑をかけた観点から、6万円に引き下げをしましょう。」と話してくれた。
目黒のお詫びを聞いた隆治は、目黒が真摯に謝る姿勢を見て、さっきまでの怒りの感情が嘘のように消えていたのだった。
「契約時の際に伺いましたが、大家をしている染澤セツさんがご高齢のお婆様だと伺いましたが、僕も実際に大家さんには会ってはいませんが、染澤さんは日頃大家としてどうお過ごしされているのでしょうか?」
隆治が訊ねると、美篶も続けて「ご高齢で動ける範囲内にも限りがあったから、お掃除が出来なかったのでしょうか?教えていただけませんか?」と聞き始めた。
それを聞いた目黒は「大家の染澤セツさんは今年で101歳を迎えますが、お元気であることは間違いないのですが、ただ御歳が御歳で認知症による症状も進んでおり、また車椅子が無ければ歩くのもかなり辛い状態ですので、今は杵島郡江北町にある老人施設で預けられています。御兄弟もいたようですが、聞いた話では金銭にまつわるトラブルがきっかけで長年連絡をすることができなかったようで、今ではすっかり孤立無援状態です。お子さんは息子さん御一人だけがいたようですが、何十年も前にお亡くなりになり、またご主人は戦争に行って亡くなってしまっているので、セツさんは天涯孤独になってしまったそうです。セツさんは残された財産分与の事もあるので、今は成年後見人の保護の元、過ごされていますね。」と話してくれた。
美篶は「因みに成年後見人の方って誰なんですか?身内なんですか?」と訊ねると、目黒は「いえ、身内ではありません。聞いた話ですが弁護士事務所で頼んだ弁護士らしいそうです。わたしも、何で親族じゃないのかとかまでは、詳しい話までは突っ込んで聞けるような状況ではないので、恐らくですが弁護士さんでも知らないと思いますよ。」と話すのだった。
隆治が思わず「それじゃあ、今のセツさんに俺たちが引っ越す前の住人の情報についても答えられないってことですか?」と目黒に質問すると、「それはわたしたちも聞きたいことです。わたしたちもあの多久市内の不動産の物件を取り扱うようになったのはつい半年前の話です。それまでは、鹿島市内にあった渋谷不動産が管理していたようですが、古い電気コードをタコ足配線していたためにショートを起こして火災になってしまったそうです。それが原因で渋谷不動産は全焼してしまい、またスプリンクラーはあったらしいが消火器はなかったために、消火活動にも遅れが生じてしまい、社長の渋谷守さん、奥様で従業員だった菜穂子さん、長男の茂さんがお亡くなりになられました。それから渋谷不動産で扱っていた物件を扱うようになったのです。」と説明した。
隆治が「それで、あの多久市内の物件について何の説明も何の引継ぎなどもなく、引き受けたってことですか。それならばどうして、一軒一軒見ることぐらい出来たんじゃないのか!?違うか!?」とまたしても勢いのあまりに問い詰めてしまったが、目黒は「申し訳ありません。管理不足だったのは我々の落ち度があります。渋谷不動産で管理していた物件だけでも数百件はありましたから、その物件を我々鈴村不動産のほか、富岡不動産、吉武不動産などで分割して引き受けたのですから。それぞれの不動産屋に聞いても、引き受けたのが半年前ですからまだまだ調査しきれていないところがあるんです。わたしたちも、荻窪さんのお家の賃貸価格を見て、お家の広さの割には破格すぎるともいえる価格を見て思わず”事故物件では?”と考えてしまいましたが、あの事故物件の紹介サイトで有名な終末太郎のサイトを見ても、多久市内の荻窪さんのお家はご紹介されていませんでした。恐らく何かあったのだろうと思いますが、それを知ろうと思うには図書館なり、過去の事件を報道した新聞紙や、郷土史などを見て調べるしかないように思われます。」と語るのだった。
隆治はその答えを聞き、「その答えじゃ、あんたたちだって調べようと思ったら調べられたんじゃないのか?」と聞き出すも、目黒は「仰る通りです。調べようと思えば調べることが出来ましたが、ただ悪い情報で鈴村不動産の存在が有名になりたくないなあという思惑もあって、ちゃんと調べようとしませんでした。」とあっさりと白状した。
それを聞いた隆治は舌打ちして、「結局身内が大事なのかよ。まあいいや、6万円以上上げたら今度こそ訴える。」と言い出すと、美篶は大家の染澤セツさんに会いたくなったのか、染澤セツさんがどこの施設に預けられているのかと目黒に聞き始めた。
目黒はその質問に「染澤さんなら、老人ホーム彩々の認知症の高齢者の方々が入所している棟にいます。」というと、美篶は「ありがとうございます。ぜひ会ってお話を伺ってみたいです。」といって鈴村不動産を後にすることにしたのだった。
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