ちょっとずつクエスト受付所の異様さが垣間見えてきます……
「――というわけで。今日から君はここで働くことになりましたー」
開口一番にそう言うと、クロカミはちり紙で鼻をかんだ。
……なんだろう。肺のあたりがふわふわするような気がして、町娘は胸を擦る。
なぜそう思ったのか、その理由は把握できた。
この現場、緊張感がまるで皆無なのだ。
「メインの仕事は『総合受付でのクエストの授受』になるから、そのつもりでいてね」
「わ、わかりました」
「……あれ。もしかして初出勤で固くなってる?」
図星だった。
押さえつけられるような緊張感はなくとも、クロカミがこなれた雰囲気を醸し出す分、掴みどころのない独特の開放感は当たりに充満している。
だから。
その空気に馴れていない町娘は、一周回ってアガっていた。
「だいじょうぶです、気にしないでください」
「そう? ならいいんだけど――ハクションッ!」
大きなくしゃみが飛び出る。
鼻水を啜り上げたクロカミは、新たなちり紙を鼻にあてた。
……実はこの彼女、なんと一晩中受付カウンターの前で酒を煽っていたらしい。
隣に併設された酒場の大将に地ビールとワインを出してもらい、朝になるまで呑んでいたというのだ。
先ほど待合スペースで鼾をかいていた原因は、まさにそれ。
お腹を出して寝ていたのだから、風邪気味になっていたって何らおかしくはない。
つまり、自業自得である。
「…………さてと」
二度鼻をかみ、耳抜きまで済ませたクロカミは、手元の紙ごみを後ろへ抛った。
ごみは見事にごみ箱へ吸い込まれる。
「それじゃあ、具体的な話へ移りますかー」
「よ、よ、よろしくお願いします!」
――受付所のスタッフルーム。
落ち着いて話のできるこの部屋で、現在クロカミと町娘が会話している。
そこには会議で使うような簡素なテーブルとイスが並べられていて、床には紙や雑貨が入った箱がいくつか置かれていた。
シックな色遣いが心地いい、シンプルな内装だ。
ここでクロカミたちは毎日、休憩したり裏方作業をしたりしているらしい。
位置関係でいえば、表のカウンターとは薄い壁一枚でしか隔たれていないから、造りとしてはかなり粗末だ。
椅子を引く音でさえ若干外に漏れるし、しょぼいボケでもかまそうものなら共感性羞恥の嵐が吹き荒れる。
それくらい施工の手抜き感は否めない。
しかし、直接お客さんの視線に触れなくて済むのは、現場職員からしても有り難いこと。
どれだけ無作法にパニーニを食べているのか、そんな自分の汚点が客にバレる心配をしなくていいのだ。
だから皆、気を抜いてしまうのだろう。
クロカミたちの手により、部屋の中は少し散らかっていた。
「――諸々の待遇については、ざっとこんな感じかなー」
雇用契約の内容について話し終えたクロカミは、粘液でぐしゅぐしゅになった鼻を啜りあげた。
「ここまでで、何か質問ある?」
えーと、と顎に手を当て、町娘は考え込む。
……今回、町娘は受付嬢になった。
正確には、受付嬢『見習い』としての採用が決定された。
見習いである間の仕事は、受付での顧客対応と雑務の二つ。
どちらも正職員がサポートに入ってくれるため、業務上で町娘が不安を感じるようなことはないらしい。
そう、クロカミは豪語している。
また、見習いといってもお給金は中々に良いし、社宅にも入居させてくれるという太っ腹っぷりだ。
借金取りの心配をしなくてよくなるのもポイントが高い。
もう一生、彼女は受付所へ足を向けて寝ることはできないだろう。
雇用について、町娘に断る理由はなかった。
しかし、
「――この『見習い』制度って、いつか正規職員になれるんですか?」
「おっ、向上心あるね」
「教えてくれませんか?」
落ち着きなく、町娘は訊いてみた。
やはり金に関する話は詳しく聴いておきたい。
なにせ自分の臓器が掛かっているのだ。体裁を気にせず、全力で不安を取り去ろうとするのは正しい選択と言える。
クロカミも、その熱意にあてられたようだ。
「正社員には上がれるよ」
「ホントですか!」
「ただし、条件付きだけどね」
「……?」
クロカミは笑みを浮かべた。
魔性の笑みだった。
そうして、真実は告げられる。
「――レベル一〇〇以上であること。
それが正社員になる条件なんだ。
……知ってた?」
「ひゃっ……えッッ!?」
驚きのあまり、町娘の目は飛び出しそうになった。
無理もない。
一応この世界には、レベルという概念が存在している。
それこそRPGのようにモンスターを倒すなりなんなりして経験値を稼ぐことで、段階的に自身の能力が強化されるシステムがこれだ。
そして、少しゲームを齧ったことがあるものなら知っているだろうが、レベルは上げれば上げるほどより多くの経験値が必要となる。
だからモンスターなどめったに倒さない村人は、生涯全体で見てもレベル十を超えることはない。
日夜修練に励む騎士団長ですら、平均レベルは五十くらいなものだろう。
また参考までに記載するが、現在魔王討伐の最前線で戦う者たちの平均レベルが一〇〇で、聖剣を携えた勇者のレベルでさえ一五〇なのだ。
クロカミが如何に突拍子もない発言をしているのか、お分かりいただけたことだろう。
どうやらクエスト受付所というものは、とんだ人外魔境らしい。
「――あ、ちなみに私のレベルは三〇〇だよ。凄いでしょ」
「……冗談、ですよね?」
「さぁ、どうでしょうねー」
クロカミの反応を見る限り、とても冗談に見えない。
ということは、本当に彼女ら正職員はレベル一〇〇以上なのだ。
そこまで腕を上げておいて、一体何と闘うつもりなのだろうか。
たかだかクエスト受付所で働くだけなのに、バカみたいだ。
大切なことだから、二度言おう。
バカみたいだ。
「は、はははは……」
想像もつかない足きりラインの高さに、町娘は度肝を抜かれて腰砕け。
頭はパンクし、口から煙を吹く始末だ。
彼女が辛うじて理解したことは、たった一つだけ。
……ここには、変人しかいない。
腕が立つのに魔王退治へ出発しない、金と名誉に興味のない問題児しかいないのだ。
きっとそうだ。
「――――つまり正社員になる頃には、私は大賢者になってるわけですね、了解です」
れっきとした一般人である町娘は、ついに思考停止した。
自動人形みたいな作り笑いで、彼女は説明を催促する。
「では話の続き、お願いします」
「おっけー……って、なんか顔が死んでるけど、ダイジョブ?」
「平気です。両親が蒸発した時に比べれば、なんてことない衝撃です」
「そっか、杞憂か」
それなら、とクロカミは説明を再開させた。
正社員になるにはレベル一〇〇以上必要って、やばすぎる会社ですよね。
ポケ○ンで御三家をレベル一〇〇にするだけで満足した自分には、とても達成できない足切りだ……。
異世界の住人が如何に鍛えられているががわかります。
まぁ、クロカミたちが異常なだけなんですけども。
さて。
次回は、冒険者の抜き打ち検査の回です。
いったい彼女らは何をするのか。テストは何が目的なのか。
次回更新をお楽しみに!
(……よく見ると○多いな)
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