耳を疑う回答だった。
何時になくシリアスな場面でプロレスの話をするとは、気でも狂ったのか。
これには営業の隣でメモを取っていたバイトも、思わず顎を外してしまった。頭の上にミカンを乗せられるくらい、間の抜けた顔をしている。
しかもこれまた異常なことに、営業はまだ真剣な顔を崩していなかった。
下ネタ耐性EXか、この男は。
「……続けて」
そう営業に促され、リリスはより奥深くから事情を掬い上げる。
「――――彼が来たのは、一週間くらい前のことだったわ。
トンテーキって名前で、すごいふくよかな体型をしてたのを覚えてる。
身なりも羽振りもいい人だったし、用心棒を店の前で待たせていたから、どこかの社長さんなのかなって思ってた」
「それで?」
「――指名が入ったから話してみたけど、そんなに悪い人ではなさそうだったし、いつも通りにサービスするつもりだったの。
でも、その人はお店の趣向を全く理解してなくて。
…………『自分たちの声をスピーカーから流しつつ、ニーソを穿いた私をスライム整体術で施術されて恥じらえ!』とかいう、わけわかんないシチュエーションを強要してきて……!」
昂る感情を抑えきれなかったのだろう。リリスは両手で顔を覆った。
相当に辛い体験だたことが窺える。
しかし…………彼女に落ち度はなかったと断定したいところではあるが、イチイチ単語が高次元過ぎて、一般人が共感できない。
――自分たちの声をスピーカーから流すって、それ誰得?
――あとスライム整体術開祖の思考、精神衛生的に大丈夫?
解説を加えてほしい部分は山ほどあるというのに、営業がそれらに言及することはなかった。
すでに彼はそれらマイナージャンルについての造詣が深かったのだ。
違和感を覚えないことが、これほどまでに恐ろしい問題だとは思わなかった。
震撼するバイトを他所に、マニアックな会話は加速する。
「はぁん、けしからん奴だな! 言葉と尻尾でじわじわ虐められるのが、客が守るべき矜持だろうに!」
「……羞恥寄りのSMプレイで、諸手上げ縛りを要求する人はいたわ。
でもまさか私がモンスターNGか確認もしないで、一方的に趣味を押し付けてくるとは思わないでしょ?」
「確かにマナーが悪い奴ってノリも悪いから、結果的に燃えないんだよな」
「だから、『こっちが身を入れられないリクエストは、なるべくご遠慮ください』って言ったら、急に向こうが怒って帰っちゃって……」
「その腹いせに、いきなりの『歓楽街・浄化作戦』が発動されたわけね。
まぁ、自分の性癖を虚仮にされたら怒るやつもいるかぁ」
「私の一言で、こんな大ごとになるなんて、思ってなかったの……私のせいで皆の居場所を壊しちゃうんじゃないかって考えたら、怖くなって…………それで!」
「――責任を感じて、裏クエストを依頼しに来てくれたんだね。
わかってるよ。……でも、君が襲われなくてよかった」
「……?」
「密室で二人きりになった状況でマウント取ろうとする男ほど、寒くて危ない奴はいないから、ね」
「……ふふ、そうかも」
限りなく変な会話だった。
展開も変だった。
一歩引いたところから聞いていたバイトは、無意識に声を挙げる。
「――――お二人とも、標準語でしゃべってくれませんか?」
「「え。この話、共感できないの?」」
「ムチャ言わないでください」
ともあれ。
バイトがその道を理解できずとも、ピュアなツッコミが空振りしようとも、大人の世界は回るものだ。
なぜリリスがわざわざ裏クエスト制度を利用したのか、その理由は分かった。
疚しいことがなかった以上裏取りを継続する必要はないし、これにて調査は一旦切り上げとなる。
次に取り掛かるべき事柄は、リリスを助ける善後策の構築。
難航しそうな案件を手にした今、呑気に風俗店で油を売っていられるほど営業に暇はなかった。
「――とにかく、これで事情はすべて了解できたよ。協力してくれてありがとね」
すっくと立ちあがると、何とはなしに営業は右手を差し出した。
リリスの目を見つめ、話す。
「最高の弁護士を紹介できるよう、こっちも工夫して対処する。
もう君一人で抱え込まなくていいから、ね」
差し出された手に応じるか、一瞬リリスは迷った。
しかし、
「……何から何まで、お世話になってごめんなさい」
悩んだ末、ぺこりと頭を下げたリリスはその手を握り返すことにした。
ハート型の尻尾を添えて、誠意を示して、彼女は微笑む。
「――これからよろしくお願いします」
「ああ。もちろんだとも」
かくして、裏クエストの実地調査は終了した。
リリスに疚しいことがない事実も、歓楽街への圧力が不当なものであることも、無事に発覚した。
これで裏クエストは、何の障害もなく受理できる。
あとは弁護士資格を持った冒険者を探し出し、リリスの弁護に付けさせるだけだ。
つまりは、これにて一件落着。
事態は収束の兆しを見せる。
…………かに思えたが、話はまだ終わっていなかった。
なにせ歓楽街の浄化作戦が、最低な理由で行われたことを暴かれそうになっているのだ。性癖を馬鹿にされた例のお偉いさんが、この事実を耳して黙っているわけがない。
ゆえに次の日。
クエスト受付所に、『使徒』が来た。
次回、使徒襲来。
……お楽しみに!
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