スタッフルームには、魔導通信機なる機械が存在している。
壁掛け式の時計に似た、直方体の機械である。
これは魔鉱石を消費することで遠方にいる相手と簡便に連絡を取れるよう、時の大発明家が世に送り出した画期的な機械だ。
通信機は街中に据え置かれ、数年前には持ち運び可能な携帯型も発売。
今では人々の生活になくてはならないアイテムとなっていた。
もちろん、クエスト受付所にもそれはあった。
本来ならば、一台で高級武具が幾つも買えるほど、値が張る代物。
しかし、コストカット好きな領主でさえ、この機器の導入には肯定的だった。
そう。彼は知っていた。
依頼をするためだけに長い道のりを往復する手間を省ける点に、大きな需要があることを。
冒険者からクエストの取り置きの連絡だって来るし、行政からの諸々の通告だってこれ一本。
便利なことこの上ない。
ゆえに受付所職員からも、この機械は重宝されていた……はずだったのだが。
近頃は、そうも行かなくなっていた。
理由は単純明快。
ある悪質な顧客からの注文が、ひっきりなしに入るようになってしまったからだ。
こんな具合に。
ジリリリンッ。
けたたましくベル様の着信音が鳴った。
バイトが受話器を取る。
「はい、こちらクエスト受付所」
「もしもし、私だ」
「あれ、領主さん。どうかされましたか?」
「小娘か、ちょうどよかった。
今から過去の出席簿を転送するから、明後日の晩餐会までに出席する者たちの名前、個人情報をピックアップしておいてくれ」
「……はい?」
「金にご執心のブタどもを接待する際に必要なのだ。
いいな、出席者の名前と家柄、話のネタになりそうな情報を紐付けてリスト化しておけ。
明日にでも手元に寄越してくれると、尚良しだ」
「……それ、領主さんのプライベートの問題ですよね」
「では、切るぞ」
「え、問答無用?」
ガチャ。
そして、通話は切れた。
別の日。
ジリリリンッ。
けたたましい音をたてて、通信機が鳴った。
「はい、こちらクエスト受付所」
「緊急事態だ。
息子の頭が良くなるような食べ物を探してきてくれ。至急だ。
いいな、これは最優先事項だ。
他の業務をすべて停止させてでも成し遂げろ。手段は問わん。
冒険者をボロ雑巾のように扱っても構わん。絶対に持ってこい」
「……息子さん、テストの結果でも悪かったんですか?」
「ノーコメントだ。
とにかく息子の頭を良くする食べ物を見つけ出せ」
「……現実逃避、ですか」
「では、切るぞ」
ガチャ。
そして、通話は切れた。
また別の日。
ジリリリンッ。
「……はい」
「我が城の外壁にヒビが見つかってな。
早急に、外壁塗装のスキルを持つ冒険者を寄越して来て欲しい。
このままでは他の金持ちに馬鹿にされてしまうからな。
頼んだぞ、小娘」
ジリリリンッ。
「はい」
「例のソードマスターに慰労の贈り物をしようと思うのだが、いい防腐剤を売っている店を知らないか。
蜂蜜でもいいのだが、できるだけ見映えのいいラッピングを頼む。領収書を忘れずにな」
ジリリリンッ。
「はい」
「新しくカーペットを変えようと思うのだが、赤と緑、女性から視てどちらが好ましいのか、教えてくれ」
そして、さらに。
領主のイタ電は加速していった。
ジリリリンッ。
「はい」
「今週末、私の名でワインの品評会を行うことになったのだが、コンセプトが定まらなくてな。
どうせなら新進気鋭のワイナリーの宣伝をしたいと思っているのだ。
だから小娘、貴様の手でいくつか良さげな蔵を見繕っておいてくれないか。
加えて、看板広告用のデザインも頼む」
ジリリリンッ。
「はい」
「メイドの一人が守衛と恋に落ちたらしいのだが、このケースは社内恋愛と呼ぶべきなのか否か、ぜひ一般人の見解を聞かせてくれ」
ジリリリンッ。
「はい」
「トマトが鑑賞用だったというのは本当か?
もしそうであれば、我が庭にあるトマトに毒があるかどうか、調べてくれないか?」
ジリリリンッ。
「はい」
「羊毛生産から穀物生産に軸を切り替えるにあたって、人手不足の解消法を考案してほしいのだが……」
ジリリリンッ。
「はい」
ジリリリンッ。
「はい」
「はい」
「はい」
「はい……」
三日後。
ジリリリンッ。
またけたたましい音をたてて、通信機が鳴った。
その受話器を何者かが取る。
彼女は言った。
「はい、もしもし、こちらクエスト受付所ぉ!!」
「……」
「へい、旦那! 何にいたしやしょうか!
会計資料の丸焼き、戸籍謄本のバターソテー、機密文書のボンゴレスパゲティ!
なんでもござれですが!!」
「……その声、クロカミだな」
「はい、その通りでーす! 正解したあなたには、百万点!!」
「相も変わらず煩い女だ……」
受話器を取ったのはクロカミだった。
まるで酒場のホールスタッフのようなノリで、彼女は領主を応対していく。
スピーカーの向こうで、領主は頭を痛めているらしかった。
「……例の小娘はどうした。風邪か」
「バイトちゃんなら、現在カウンターの方でお客様の対応をしたおりまーす。
なんでもー、加減を知らない糞みたいなオーナーからちょっかい出されてー、困っていたらしくってー」
「そうか。では、彼女にはご苦労だったと伝えておいてくれ」
「はいはーい。
それでは受付嬢らしく、ご用件をお伺いしましょうか。
いかがされましたー?」
口をWの字に縫って、挑発的な態度を取るクロカミ。
この雰囲気が機械越しに相手へと伝わってしまったらしい。
虎の尾は案外長く、踏みやすい位置にあったというわけだ。
「…………本当なら仕事を頼むつもりだったのだが、気が変わった」
急激に領主の声色が変わった。
氷点下まっしぐらの声だ。
「……クロカミ、貴様に一つ質問だ」
「なんでしょうか」
「―――この間寄越してきた披露宴用のスピーチ原稿、あれはなんだ」
「何って、相手に媚びるようなスピーチ内容を考えろ、って私に頼んできた奴でしょ。
ご要望にお答えできてませんでしたか?」
「すべての語尾が『にゃん』になっていたのはなぜだ」
「お堅い領主に可愛さをトッピングしてあげようと……」
「ふざけたな?」
「はい。面白いかなと思いました。はい」
「私が頼んだ仕事で、貴様がふざけたのはこれが何回目だろうな」
「そーですね、百回はくだらないかと」
「なぜこんな真似をする?」
「あなたのことが嫌いだからです」
……。
「――命令だ。
明日までにまともなスピーチ原稿を書いてこい」
「い・や・だ!」
互いに主張を譲らなかった。
話は遅々として進まない。
領主の言葉に苛立ちの棘が出始める。
「私の命令が聞けないのか、女」
「聞きたくないです、聞く気もないです」
「…………どうやら、貴様にはお灸をすえてやる必要性があるようだな」
「どうやって?」
調子に乗ったクロカミへ、領主はこう宣言した。
「一時間以内に其方へ行く。
そして、今までに重ねてきた諸々の罪も含めて、口頭できつく絞ってやることにしよう。
当然だが、罰も課す。
仕事も増やす。
休日は減らす。
生意気な口を利けないほどに追い詰めてやろう。
これはある種の戦争だ。覚悟しろ」
「うわ、リアルパワハラ、怖っ」
最後に、彼はこう吐き捨てた。
「……では、切るぞ。震えて待て」
ガチャ。
そして、通話は切れた。切れてしまった。
沈黙が流れる。
受話器を持ったまま、クロカミは固まっていた。
数秒後。
「……ッ」
クエスト受付所に保管されている暴徒鎮圧用装備一式を着込むと、クロカミは感極まったように叫んだ。
日頃の鬱憤を晴らす機会を得られた、とさも嬉しそうに。
「――よっしゃあ、返り討ちにしてやるぜぇ!!!」
その後、スタッフルーム裏口付近でちょっとした戦争があったことは、また別のお話である。
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